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* [[1988年]]、武蔵野美術大学在外研修員として渡欧<ref name="musa"/>。
* [[1988年]]、武蔵野美術大学在外研修員として渡欧<ref name="musa"/>。
* [[1993年]]11月、[[主体美術協会]]会員を辞任。元会員の赤塚徹、根岸正、金野宏治、上野實、戸津勇作、羽原智達、東紀久夫、河瀬うた代、本田久一郎とともに新作家美術協会を結成<ref>[http://www.shinsakka.jp/katudou.html 新作家美術協会史]新作家美術協会サイト</ref>。
* [[1993年]]11月、[[主体美術協会]]会員を辞任。元会員の赤塚徹、根岸正、金野宏治、上野實、戸津勇作、羽原智達、東紀久夫、河瀬うた代、本田久一郎とともに新作家美術協会を結成<ref>[http://www.shinsakka.jp/katudou.html 新作家美術協会史]新作家美術協会サイト</ref>。
* [[1994年]]、第9回[[小山敬三]]美術賞を受賞。[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]・[[島屋]]で、「受賞記念中野淳展」開催。小山敬三美術振興財団から目録刊行。
* [[1994年]]、第9回[[小山敬三]]美術賞を受賞。[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]・[[島屋]]で、「受賞記念中野淳展」開催。小山敬三美術振興財団から目録刊行。
* [[1995年]]1月、『MADO美術の窓』1995年1月号(生活の友社刊)に「[[松本竣介]]と私」を掲載。同年[[9月28日]]〜[[10月30日]]、武蔵野美術大学で中野淳展開催。
* [[1995年]]1月、『MADO美術の窓』1995年1月号(生活の友社刊)に「[[松本竣介]]と私」を掲載。同年[[9月28日]]〜[[10月30日]]、武蔵野美術大学で中野淳展開催。
* [[1999年]]8月、『青い絵具の匂い—[[松本竣介]]と私』(中公文庫)を刊行。
* [[1999年]]8月、『青い絵具の匂い—[[松本竣介]]と私』(中公文庫)を刊行。

2020年6月15日 (月) 23:28時点における版

中野 淳(なかの じゅん、1925年8月22日 - 2017年3月23日[1])は、日本の画家。専門は油彩画新作家美術協会代表、武蔵野美術大学名誉教授。

東京都生まれ。川端画学校洋画部で学ぶ。岡鹿之助松本竣介川端修に師事[2]

1957年プーシキン美術館賞。1994年小山敬三美術賞を受賞[2]

日本美術会事務局長、武蔵野美術大学で非常勤講師、教授、主任教授を歴任。東京富士美術館に作品収蔵[2]

経歴

出典

  1. ^ 中野淳氏 洋画家、武蔵野美術大名誉教授:おくやみ(TOKYO Web)”. 東京新聞 (2017年3月28日). 2017年3月31日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 企画展1995武蔵野美術大学サイト内
  3. ^ この年の美術展には北朝鮮の版画家ハム・チャンヨンも出品。版画家ハム・チャンヨン参照。
  4. ^ 書誌情報国立国会図書館
  5. ^ a b 日本美術会と日本アンデパンダン展の略歴日本美術会サイト内
  6. ^ 書誌情報 国立国会図書館
  7. ^ 新作家美術協会史新作家美術協会サイト