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2020年6月16日 (火) 12:27時点における版
フリーエージェント(free agent, FA)とは、NPBにおける国内FA及び海外FAの総称である。[1] 国内FAとは、NPBが定める国内FA資格条件を満たし、この組織のいずれの球団とも選手契約を締結する権利を有する選手をいい、海外FAとは、NPBが定めるFA資格条件を満たし、外国のいかなるプロフェッショナル野球組織の球団をも含め、国内外のいずれの球団とも選手契約を締結する権利を有する選手をいう。
選手はFA宣言したうえで移籍せずに前所属球団と契約することもできる。栗山巧や中村剛也のように残留宣言の際に敢えて権限を行使したケースもある。FA移籍が成立した場合、一定の条件下で移籍先球団から移籍元球団へ金銭補償や人的補償が必要になる場合がある。現行制度では、外国人を除く年俸上位11位以下の選手(Cランク)のFA移籍においては補償は不要である。
日本におけるFA制度は1993年のオフに導入され、2003年、2008年に改正が行われた。なお、この制度の前身として1947年から1975年まで10年選手制度があった。
概要
出場選手登録(一軍登録)145日を1年として換算し、規定の年数経過で権利を取得できる。ただし、1シーズンに145日以上一軍登録されても、145日までしかカウントされない。また、登録日数が145日に満たないシーズンが複数ある場合は、それらを合算して満145日ごとに1年として計算される。途中で所属球団が変わっても引き継いで計算される。また、クライマックスシリーズでの登録日数もカウントされる。開幕2カード目での先発予定のため開幕時点で登録されない場合、オールスター期間前後に登板間隔が10日以上となるために登録抹消される場合や、レギュラーシーズン終了からクライマックスシリーズのチーム初戦まで10日以上あるため自動的に登録抹消となる場合(2011年より制度化され、2010年に意図して実施された中日を含め適用)は、一定条件を満たせば登録扱いとなるなどの救済策もある。
年 | 権利取得までの必要日数 |
---|---|
1993年 - 2002年 | ドラフト逆指名制度(現在は適用停止中)による選手 - 累計10年(通算1450日)経過で取得 その他の選手 - 累計9年(通算1305日)経過で取得 |
2003年 - 2007年 | 逆指名制度による選手も含め、全選手が累計9年経過で取得 |
2008年 - 現在 | 国内移籍のFA権 2006年までのドラフトで入団した全選手 - 累計8年(通算1160日)経過で取得 2007年以降のドラフトで入団した高校生選手 - 累計8年経過で取得 2007年以降のドラフトで入団した大学生・社会人選手 - 累計7年(通算1015日)経過で取得 |
海外移籍のFA権 全選手が累計9年経過で取得 |
権利を行使する場合は、日本シリーズ終了の翌日から、土・日・祝日を除く7日以内にコミッショナー宛に文書で申請する。8日目の午後3時にコミッショナーより「FA宣言選手」として公示され、翌日より国内外全ての球団と契約交渉を行うことが可能となる。
FA宣言選手として公示された選手のFA権利再取得は、残留・移籍を問わず4年後。FA宣言選手として公示されなければ権利は翌年以降に持ち越される。2008年のルール改正により、国内FA権と海外FA権が分立したが、4年後に再取得した権利は全て海外移籍が可能なFA権とする。
また、外国人枠の選手がFA権を取得すると、行使の有無に関わらず翌シーズンからは外国人枠から外れ、一般の日本人選手と同等の扱いになる。現行制度下では、国内FA権取得を以ってこの条件を満たすこととなる。
故障者選手特例措置制度
日本プロ野球では2007年より故障者選手特例措置制度を導入している。これは特定の条件を満たした選手の出場選手登録日数を救済する制度である。
2月1日から11月30日の間にグラウンド上で発生した故障が原因で出場選手登録を抹消されたために、その年の出場登録日数が145日に達しない選手について、登録抹消を起点として二軍の公式戦に出場するまでの日数のうち、最大60日までがその年の出場選手登録の日数に加算される。シーズン中に数回に渡って登録抹消が起こった場合も、累計60日まで計算され、加えられる。
前提条件として、前年の出場選手登録が145日以上であることが必要である。この制度により出場登録日数が加算された場合、翌年は適用の対象外となる。
この制度によってFA権を取得した初めての選手は2007年の福留孝介(取得当時は中日ドラゴンズ在籍)。2008年は大村直之(取得当時は福岡ソフトバンクホークス在籍、海外FA権)と多村仁(取得当時同球団所属、国内FA権)がこの制度で権利を取得した。
国内FAにおける制約・補償
FA宣言をして国内の球団と契約した場合(宣言残留も含む)、以下に示した制約が生じる。
年俸
FA宣言した選手の翌シーズンの年俸は現状維持が上限となる。減額は無制限であり、通常の減額制限を超えての減額も可能であるが、年俸調停の申請はできない。
年俸上限が現状維持なのは複数球団による過度な獲得競争を防止するためだが、契約年数や出来高払い(インセンティブ契約)、2年目以降の年俸の上昇に制約は無い。
ただし「特別な事情をコミッショナーに文書で申請し、コミッショナーがこれを認めた場合」(FA規約第7条から抜粋)は制限を超える金額での契約が可能。
2016年に横浜DeNAから巨人に移籍した山口俊は当初推定年俸8,000万円と前年度の据置で発表されていたが、実際は上記の規約を巨人が申請し、コミッショナーが認めていたため、推定年俸2億5000万円程度で契約していたことが発覚した。
契約金
FA宣言した選手は年俸とは別に契約金を得ることが出来る。前球団に残留する場合は上限無し、移籍した場合は翌シーズンの年俸の半額が契約金の上限となる。契約内容によっては契約金無しの場合もある。
移籍に関わる補償
FA権を行使して他球団へ移籍したFA選手が補償対象選手(後述)の場合、移籍先球団は前球団に対して選手の旧年俸による'''金銭補償'''、および移籍先球団が保有する支配下選手のうち下記の選手を除いた中から、前球団が指名した選手1名を与える'''人的補償'''をしなければならない。[2]人的補償に指名された選手がこれを拒否した場合、その選手は資格停止選手となる。この場合と前球団が人的補償を求めない場合は追加の金銭補償をする。[3]
人的補償における獲得制限
以下の選手は人的補償選手として獲得する事ができない。
- プロテクトした28名の選手[注 1]
- FA権取得により外国人枠の適用外になった選手を含む外国人選手
- 直近のドラフトで獲得した新人選手(本契約がFA期間も過ぎた11月以降となり、そもそも保有選手ではない)
複数年契約中やトレードなどで保有選手になった日本人選手もプロテクト枠に含まれなければ人的補償の対象になる。
複数名のFA宣言選手と契約した場合には、それぞれの球団に異なる獲得可能選手リストを提示できる。万一、人的補償選手が複数の球団で重複した場合には、移籍先球団と同一連盟内の球団が優先される。同一連盟内であれば同年度の勝率が低い球団が優先される。
補償対象選手と移籍元球団への補償
- 1993年 - 2007年
- 全てのFA権行使選手が補償対象選手となる。
- 金銭補償 - 移籍先球団は旧年俸の80%(2度目以降のFAでは40%)を前球団へ支払わなければならない。
- 人的補償 - 移籍先球団は前球団が指名した上記の獲得制限外の選手1名を与えなければならない。ただし前球団が求めない場合は、旧年俸の40%(2度目以降のFAでは20%)を前球団へ支払わなければならない。
- 実際の補償(金銭補償+人的補償)は次の2通りとなる。
- 人的補償なし - 移籍した選手の旧年俸の1.2倍(2度目以降のFAでは旧年俸の0.6倍)。
- 人的補償あり - 移籍先球団が指定した獲得制限外の選手1名と選手の旧年俸の0.8倍の金銭(2度目以降のFAでは獲得制限外の選手1名+旧年俸の0.4倍の金銭)。
- 全てのFA権行使選手が補償対象選手となる。
- 2008年 - 現在
- 各球団ごとに日本人選手の前球団の旧年俸順に上位3位までをランクA、4位から10位までをランクB、11位以下をランクCとランク付けされ、ランクAとランクBの選手が補償対象選手となる。
- 金銭補償 - 移籍先球団はランクAの選手獲得の場合は旧年俸の50%(2度目以降のFAでは25%)を、ランクBの選手獲得の場合は旧年俸の40%(2度目以降のFAでは20%)を前球団へ支払わなければならない。
- 人的補償 - 移籍先球団は前球団が指名した上記の獲得制限外の選手1名を与えなければならない。ただし前球団が求めない場合は、ランクAの選手獲得の場合は旧年俸の30%(2度目以降のFAでは15%)、ランクBの選手獲得の場合は上記の獲得制限外の選手1名または旧年俸の20%(2度目以降のFAでは10%)を前球団へ支払わなければならない。
- 実際の補償(金銭補償+人的補償)は次の通りとなる。
- 各球団ごとに日本人選手の前球団の旧年俸順に上位3位までをランクA、4位から10位までをランクB、11位以下をランクCとランク付けされ、ランクAとランクBの選手が補償対象選手となる。
ランクA | ランクB | ランクC | ||
---|---|---|---|---|
人的補償なし | 旧年俸の0.8倍の金銭 (2度目以降のFAでは旧年俸の0.4倍の金銭) |
旧年俸の0.6倍の金銭 (2度目以降のFAでは旧年俸の0.3倍の金銭) |
補償(人的・金銭)不要 | |
人的補償あり | 獲得制限外の選手1名+旧年俸の0.5倍の金銭 (2度目以降のFAでは獲得制限外の選手1名+旧年俸の0.25倍の金銭) |
獲得制限外の選手1名+旧年俸の0.4倍の金銭 (2度目以降のFAでは獲得制限外の選手1名+旧年俸の0.2倍の金銭) |
補償に関する日程は、まずFA選手と移籍先球団との選手契約締結がコミッショナーより公示された日が起点となり、2週間以内にまず移籍先球団が上記の獲得制限選手を除いた選手名簿を提示する。この後起点より40日以内に全ての補償を完了しなければならないが、金銭補償に限り前球団の同意があれば40日を延長することができる。人的補償として選ばれた選手が移籍を拒否した場合、その選手は資格停止選手となり処分が解除されるまで試合をすることができなくなる。補償は金銭補償のみだった場合と同じになる。
2019年、巨人監督の原辰徳は「FAの明るさ取り戻すため」という理由[5]で人的補償制度の撤廃を主張し、ソフトバンクの三笠杉彦GMも一定の理解を示したが[6]、中日を筆頭に「自軍を有利にしたいだけ」[7]として批難を受けている。
獲得人数
獲得する選手が上記の補償対象選手の場合、直前のシーズンまで他の球団に在籍していたFA選手と翌年度の選手契約を結べる人数には2名までという制限がある。ただし公示されたFA宣言選手が多い場合は以下のように緩和される。
- FA選手21名以上30名以下 - 3名まで
- FA選手31名以上40名以下 - 4名まで
- FA選手41名以上 - 5名まで
FA宣言前からその球団に所属していた選手(すなわち、FA権を行使しての残留選手)及びランクCの選手はこれに含まれない。
海外FAにおける制約・補償
FA権を行使して海外の球団へ移籍した場合は、国内FAと異なり、上記のような制約は生じない。ただし例外として、以下のような場合には制約が生じる。
FA宣言した年の翌々年の11月30日まで日本のプロ野球球団と契約を交わさなかった選手のうち、翌12月1日以降に日本のプロ野球球団と選手契約を交わした場合は、補償対象選手であっても前球団への補償を必要としない。そのため、FA宣言により他国のプロ野球球団へ移籍し、上記の翌々年の11月30日までに日本のプロ野球球団へ再度移籍する場合はこれに該当せず、最後に在籍した日本の前球団への補償が必要となる。
- 2002年に横浜よりFA宣言してMLBのメッツに移籍し、同シーズン限りで退団した小宮山悟がこの規定に該当した事で、日本のプロ野球11球団からは敬遠され、さらに前球団で唯一補償を必要としない横浜も小宮山と契約しなかったため、小宮山は2003年シーズンを棒に振り、2004年にロッテに復帰という事例が起きている。
- 小宮山以外にも、FA移籍して所属した海外球団の在籍期間が短く、この規定に該当して補償が発生した選手もいたが、いずれも補償の必要がない前球団へ復帰、または海外の他球団へ移籍しており、この規定による前球団への補償が発生した事例はない。
海外プロ野球球団への移籍に対する補償は未整備状態である。
FA権を行使する理由
元千葉ロッテマリーンズ選手の里崎智也は選手がFA権を行使する理由として下記の4つに類型化している[8][9]。
- 夢追い型
- さらに細かく分類すると、以下の3つのケースが挙げられる。このうちの複数にわたり該当するケースも存在する。
- 「子どものときからずっと憧れていたチームでプレーしたい」場合が該当(例:清原和博[1996年:西武 → 巨人]、和田一浩[2007年:西武 → 中日]、糸井嘉男[2016年:オリックス → 阪神]等)。
- 出場機会優先型
- より出場機会の多いチームでプレーしたい。出場機会が減少傾向である、あるいは起用法に不満を持つ選手が宣言する場合が該当(例:駒田徳広[1993年:巨人 → 横浜]、涌井秀章[2013年:西武 → ロッテ]、木村昇吾[2015年:広島 → 西武]、森福允彦[2016年:ソフトバンク → 巨人]、炭谷銀仁朗[2018年:西武 → 巨人]、大和[2017年:阪神 → 横浜]等)。
- 好待遇、高額年俸を求める金銭追求型
- より高額の年俸、より長期の契約年数を最優先とする場合が該当(例:落合博満[1993年:中日 → 巨人]等)。
- チーム愛最優先型
- 所属チームを「生涯のチーム」とする、つまり「チームを去るとき=引退するとき」と考える場合。いわゆる「宣言残留型」(例:関本賢太郎[2010年:阪神残留]、栗山巧[2016年:西武残留]、中村剛也[2018年:西武残留]、則本昂大[2019年:楽天残留]等。また、三浦大輔[2008年:横浜残留]等のように、他球団を含めた交渉をした上で、熟考の結果として「宣言残留」に至った事例も存在する)。
また、後に里崎が自身のyoutubeチャンネルにて以下の類型を追加している。
- このチームが嫌だ型
- 上記の出場機会優先型と重なる場合もあるが、こちらは出場機会的には問題ないものの、フロントや首脳陣と良好な関係を築けなかった場合が該当(例:前田幸長[2001年:中日 → 巨人][注 2]、谷繁元信[2001年:横浜 → 中日][注 3]、杉内俊哉[2011年:ソフトバンク → 巨人]、野上亮磨[2017年:西武 → 巨人]等)。
なお里崎曰く、「FA権(の行使)はもろ刃の剣」であるという。理由として「移籍先で評価を得られなかったFA選手は引退後、球界から永久に声がかからない可能性だってある」と述べている[10]。
また、上記の類型に必ずしも該当しない事例も存在する。
- 家庭の事情
- 家族親族の関係で、それを保つのが容易な環境での選手生活を送ることを望む場合が該当(例:川口和久[1994年:広島 → 巨人][注 4]、小笠原道大[2006年:日本ハム → 巨人][注 5]、美馬学[2019年:楽天 → ロッテ][注 6]等。)。
- その他
- 特殊な事例が該当(例:小久保裕紀[2006年:巨人→ ソフトバンク][注 7]、サブロー[2011年:巨人→ ロッテ][注 8]、小笠原道大[2013年:巨人→ 中日][注 9]等。)
移籍の成立数
FA権を取得する選手の数は毎年60から70人だが、実際に移籍する選手は2011年以降では1年当たり2,3名ほど。
所属球団を失う恐れ
現行制度では、FA権を行使した選手が新たな球団と契約を締結できず、さらに元の球団との再契約にも至らなかった場合、所属球団がなくなる可能性がある。特に移籍先が国内12球団に限定される国内FAの場合、その問題はより顕著である。
国内FA権を行使した選手は、11月末の時点で移籍先が見つからなかった(別の球団からオファーがなかった)場合、FA宣言時に所属していた球団(元の球団)の保留選手名簿に名前が記載される[11]。この場合、FA宣言した選手は元の球団を含むNPB所属球団と引き続き交渉を続けることができるが、いずれとも契約できなかった場合はプレーする球団を失う。一方、球団は選手枠を1つ費やさなければならないうえ[12]、翌年1月10日以降は保留手当を支払う義務を負う[13]。
この状態が解消されるには、FA宣言した選手が国内の別の球団と契約を結ぶか、元の球団が当該選手を自由契約にしなくてはならない。ただ、保留選手名簿に記載された時期は、すでにそのシーズンの戦力外通告の期間が経過した後であり、その時期に選手の同意なしに自由契約にすることは選手会からの反発を受けるため、NPB所属球団は翌シーズンの10月1日に事実上の戦力外通告を行い、自由契約として公示される前日の11月30日まで保留手当を支払わなければならなくなる。また、選手の同意が得られたとしても、自由契約となった場合はFA移籍のような契約金が得られず、大幅減俸での契約も可能となるため、選手は不利な内容での契約を強いられる恐れがある。
これらの問題が現実化したものとして、2009年に国内FA権を行使した北海道日本ハムファイターズの藤井秀悟の事例が挙げられる。藤井は、他球団への移籍を希望して11月9日にFA権を行使した[注 10]が、同月末の時点で国内球団からオファーはなく、日本ハムにも再契約の意思がなかったため、保留者名簿に藤井の名前が記載された[15]。一時はプロ野球選手会の松原事務局長が懸念を表する事態にもなったが[16]、12月8日に読売ジャイアンツへの移籍が合意に至ったため、最終的に「所属球団なし」の状態は免れることになった。
2015年11月15日には広島東洋カープの木村昇吾がFA権を行使したが、広島はFA宣言後の残留は認めておらず、その他の球団からも公示から1ヶ月が経っても動きがなかった。その後木村は埼玉西武ライオンズの入団テストを受け、2016年2月5日に西武と1年契約を結んだ。なお、この場合でもNPBの規定上FA権の行使による移籍となる。
FA権取得を口実とする「事実上の構想外」
先述の「所属球団を失う恐れ」とも関係するが、選手がFA権を取得した場合、それを口実として、球団側が「事実上の構想外」としてなかば退団へと追いやって、選手にとってなかば不本意的な感じでのFA権行使になるケースが少なからず発生している。背景としては選手がFA権を取得する場合、年俸が高騰することが多いので、球団の財政的に高騰する(と思われる)年俸に対応できないと判断された場合、あるいは高騰する(と思われる)年俸に見合う成績を見込めるとは言いがたいと判断された場合が挙げられる[17]。
これに該当し得る事例として先述の藤井の他、仲田幸司(1995年:阪神→ロッテ)、西崎幸広(1997年:日本ハム→西武)、小宮山悟(1999年:ロッテ→横浜)、今江敏晃(2015年:ロッテ→楽天)、陽岱鋼(2016年:日本ハム→巨人)が挙げられる。仲田、今江及び陽はFA権行使に当たって必ずしも移籍を望んでいるわけではなかったが、所属球団との下交渉の過程で、「(来季以後の)戦力構想に入っていないと感じた」などとのことで、FA権行使を表明する会見は結果として事実上の「退団会見」となってしまった[18][19][20]。 西崎と小宮山は、FA権を行使することなく西武、横浜へとそれぞれ移籍している。これらは球団の主力選手でありながら、球団に対する物言いの多さから、FA権取得と成績低下が重なった時期にトレードや自由契約で「事実上の構想外」とされた例である[21][22]。
FA権を行使し日本の他球団へ移籍した選手
表の年は、該当選手がFA権を行使した年のことであり、移籍先が翌年1月1日以降に決まった選手も同年扱いとする。
1993年 - 2007年
年 | 選手 | 移籍元 | 移籍先 | 補償 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1993年 | 松永浩美 | 阪神タイガース | 福岡ダイエーホークス | 金銭 | 初の権利を行使して移籍した選手 |
駒田徳広 | 読売ジャイアンツ | 横浜ベイスターズ | 金銭 | ||
落合博満 | 中日ドラゴンズ | 読売ジャイアンツ | 金銭 | ||
石嶺和彦 | オリックス・ブルーウェーブ | 阪神タイガース | 金銭 | ||
1994年 | 工藤公康 | 西武ライオンズ | 福岡ダイエーホークス | 金銭 | |
川口和久 | 広島東洋カープ | 読売ジャイアンツ | 金銭 | ||
山沖之彦 | オリックス・ブルーウェーブ | 阪神タイガース | 金銭 | ||
広沢克己 | ヤクルトスワローズ | 読売ジャイアンツ | 金銭 | ||
石毛宏典 | 西武ライオンズ | 福岡ダイエーホークス | 金銭 | ||
金村義明 | 近鉄バファローズ | 中日ドラゴンズ | 金銭 | ||
1995年 | 河野博文 | 日本ハムファイターズ | 読売ジャイアンツ | 川邉忠義 | 初の人的補償 |
仲田幸司 | 阪神タイガース | 千葉ロッテマリーンズ | 金銭 | ||
1996年 | 田村藤夫 | 千葉ロッテマリーンズ | 福岡ダイエーホークス | 金銭 | |
清原和博 | 西武ライオンズ | 読売ジャイアンツ | 金銭 | ||
1997年 | 中嶋聡 | オリックス・ブルーウェーブ | 西武ライオンズ | 金銭 | |
山崎慎太郎 | 近鉄バファローズ | 福岡ダイエーホークス | 金銭 | ||
1998年 | 武田一浩 | 福岡ダイエーホークス | 中日ドラゴンズ | 金銭 | |
1999年 | 工藤公康 | 福岡ダイエーホークス | 読売ジャイアンツ | 金銭 | 初の2度目のFA移籍 |
星野伸之 | オリックス・ブルーウェーブ | 阪神タイガース | 金銭 | ||
江藤智 | 広島東洋カープ | 読売ジャイアンツ | 金銭 | ||
2000年 | 川崎憲次郎 | ヤクルトスワローズ | 中日ドラゴンズ | 金銭 | |
2001年 | 前田幸長 | 中日ドラゴンズ | 読売ジャイアンツ | 平松一宏 | |
加藤伸一 | オリックス・ブルーウェーブ | 大阪近鉄バファローズ | ユウキ | ||
谷繁元信 | 横浜ベイスターズ | 中日ドラゴンズ | 金銭 | ||
片岡篤史 | 日本ハムファイターズ | 阪神タイガース | 金銭 | ||
2002年 | 若田部健一 | 福岡ダイエーホークス | 横浜ベイスターズ | 金銭 | |
金本知憲 | 広島東洋カープ | 阪神タイガース | 金銭 | ||
2003年 | 村松有人 | 福岡ダイエーホークス | オリックス・ブルーウェーブ | 金銭 | |
2004年 | 大村直之 | 大阪近鉄バファローズ[23] | 福岡ソフトバンクホークス[24] | 金銭 | 補償を受ける権利はオリックス[23] |
稲葉篤紀 | ヤクルトスワローズ | 北海道日本ハムファイターズ | 金銭 | ||
2005年 | 野口茂樹 | 中日ドラゴンズ | 読売ジャイアンツ | 小田幸平 | |
豊田清 | 西武ライオンズ | 読売ジャイアンツ | 江藤智 | 人的補償が初の過去FA移籍入団選手 | |
2006年 | 小久保裕紀 | 読売ジャイアンツ | 福岡ソフトバンクホークス | 吉武真太郎 | 過去所属球団へ復帰した初のFA移籍 |
小笠原道大 | 北海道日本ハムファイターズ | 読売ジャイアンツ | 金銭 | ||
門倉健 | 横浜ベイスターズ | 読売ジャイアンツ | 工藤公康 | FA補償選手が過去FA移籍入団選手 | |
2007年 | 新井貴浩 | 広島東洋カープ | 阪神タイガース | 赤松真人 | |
和田一浩 | 西武ライオンズ[25] | 中日ドラゴンズ | 岡本真也 | ||
石井一久 | 東京ヤクルトスワローズ | 埼玉西武ライオンズ[25] | 福地寿樹 | MLBからNPBへ復帰した後、NPBの他球団へFA移籍した初の選手 |
2008年 -
- 「種」とは行使したFA権の種類を意味し、「国」は国内FA権、「外」は海外FA権を表す。
- 「俸」とは年俸ランクを意味する。年俸は推定。
年 | 選手 | 移籍元 | 移籍先 | 種 | 俸 | 補償 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2008年 | 中村紀洋 | 中日ドラゴンズ | 東北楽天ゴールデンイーグルス | 外 | C | 無 | 前球団への補償がない初の移籍 |
野口寿浩 | 阪神タイガース | 横浜ベイスターズ | 外 | C | 無 | ||
相川亮二 | 横浜ベイスターズ | 東京ヤクルトスワローズ | 外 | B | 金銭 | ||
2009年 | 藤本敦士 | 阪神タイガース | 東京ヤクルトスワローズ | 国 | C | 無 | 国内FA権で移籍した初の選手 |
橋本将 | 千葉ロッテマリーンズ | 横浜ベイスターズ | 外 | C | 無 | ||
藤井秀悟 | 北海道日本ハムファイターズ | 読売ジャイアンツ | 国 | C | 無 | ||
2010年 | 藤井彰人 | 東北楽天ゴールデンイーグルス | 阪神タイガース | 外 | C | 無 | |
細川亨 | 埼玉西武ライオンズ | 福岡ソフトバンクホークス | 国 | B | 金銭 | 逆指名でプロ入りした球団をFAで退団し国内移籍した初の選手 | |
森本稀哲 | 北海道日本ハムファイターズ | 横浜ベイスターズ | 外 | B | 金銭 | ||
内川聖一 | 横浜ベイスターズ | 福岡ソフトバンクホークス | 国 | B | 金銭 | ||
小林宏之 | 千葉ロッテマリーンズ | 阪神タイガース | 外 | A | 高濱卓也 | 初のFA補償選手がドラフト1位指名選手 | |
2011年 | 村田修一 | 横浜ベイスターズ[26] | 読売ジャイアンツ | 外 | A | 藤井秀悟 | FA補償選手が過去FA移籍入団選手 |
鶴岡一成 | 読売ジャイアンツ | 横浜DeNAベイスターズ[26] | 国 | C | 無 | 過去に所属していた球団への復帰 | |
許銘傑 | 埼玉西武ライオンズ | オリックス・バファローズ | 国 | C | 無 | 外国人選手初のFA権による移籍 | |
帆足和幸 | 埼玉西武ライオンズ | 福岡ソフトバンクホークス | 国 | B | 金銭 | ||
杉内俊哉 | 福岡ソフトバンクホークス | 読売ジャイアンツ | 国 | A | 金銭 | ||
小池正晃 | 中日ドラゴンズ | 横浜DeNAベイスターズ[26] | 国 | C | 無 | 過去に所属していた球団への復帰 | |
サブロー | 読売ジャイアンツ | 千葉ロッテマリーンズ | 外 | B | 高口隆行 | 巨人での登録名は「大村三郎」[27]、過去に所属していた球団への復帰 | |
2012年 | 日高剛 | オリックス・バファローズ | 阪神タイガース | 外 | C | 無 | |
寺原隼人 | オリックス・バファローズ | 福岡ソフトバンクホークス | 国 | B | 馬原孝浩 | 過去に所属していた球団への復帰 | |
平野恵一 | 阪神タイガース | オリックス・バファローズ | 国 | B | 高宮和也 | 過去に所属していた球団への復帰、初のFA補償選手が自由獲得枠入団選手 | |
2013年 | 小笠原道大 | 読売ジャイアンツ | 中日ドラゴンズ | 外 | C | 無 | 2度目のFA移籍 |
山崎勝己 | 福岡ソフトバンクホークス | オリックス・バファローズ | 国 | C | 無 | ||
久保康友 | 阪神タイガース | 横浜DeNAベイスターズ | 国 | B | 鶴岡一成 | FA補償選手が過去FA移籍入団選手 | |
大竹寛 | 広島東洋カープ | 読売ジャイアンツ | 国 | A | 一岡竜司 | ||
中田賢一 | 中日ドラゴンズ | 福岡ソフトバンクホークス | 国 | C | 無 | ||
鶴岡慎也 | 北海道日本ハムファイターズ | 福岡ソフトバンクホークス | 国 | B | 藤岡好明 | ||
片岡治大 | 埼玉西武ライオンズ | 読売ジャイアンツ | 国 | B | 脇谷亮太 | ||
涌井秀章 | 埼玉西武ライオンズ | 千葉ロッテマリーンズ | 国 | A | 中郷大樹 | ||
2014年 | 大引啓次 | 北海道日本ハムファイターズ | 東京ヤクルトスワローズ | 国 | B | 金銭 | |
成瀬善久 | 千葉ロッテマリーンズ | 東京ヤクルトスワローズ | 国 | B | 金銭 | ||
小谷野栄一 | 北海道日本ハムファイターズ | オリックス・バファローズ | 外 | C | 無 | ||
相川亮二 | 東京ヤクルトスワローズ | 読売ジャイアンツ | 外 | B | 奥村展征 | 2度目のFA移籍、補償選手は史上最年少(19歳)・最短(プロ2年目)※後に尾仲祐哉が1年目のオフに補償選手となり更新 | |
金城龍彦 | 横浜DeNAベイスターズ | 読売ジャイアンツ | 外 | C | 無 | ||
2015年 | 高橋聡文 | 中日ドラゴンズ | 阪神タイガース | 国 | C | 無 | |
脇谷亮太 | 埼玉西武ライオンズ | 読売ジャイアンツ | 国 | C | 無 | 過去に人的補償による移籍を経験した選手で初の移籍、過去に所属していた球団への復帰 | |
今江敏晃 | 千葉ロッテマリーンズ | 東北楽天ゴールデンイーグルス | 外 | A | 金銭 | ||
木村昇吾 | 広島東洋カープ | 埼玉西武ライオンズ | 外 | C | 無 | 入団テストを経た初の移籍[28] | |
2016年 | 岸孝之 | 埼玉西武ライオンズ | 東北楽天ゴールデンイーグルス | 外 | A | 金銭 | |
糸井嘉男 | オリックス・バファローズ | 阪神タイガース | 国 | B | 金田和之 | ||
山口俊 | 横浜DeNAベイスターズ | 読売ジャイアンツ | 国 | B | 平良拳太郎 | ||
森福允彦 | 福岡ソフトバンクホークス | 読売ジャイアンツ | 国 | C | 無 | ||
陽岱鋼 | 北海道日本ハムファイターズ | 読売ジャイアンツ | 国 | B | 金銭 | 初となる1球団で同一年3人目のFA獲得[29] | |
2017年 | 増井浩俊 | 北海道日本ハムファイターズ | オリックス・バファローズ | 国 | A | 金銭 | 2007年以降のドラフトで入団した大学生・社会人選手 - 累計7年(通算1015日)経過で取得したFA権で移籍した初の選手。 |
大和 | 阪神タイガース | 横浜DeNAベイスターズ | 国 | B | 尾仲祐哉 | 登録名は「大和」。本名以外の登録名のままFA移籍した初の選手。補償選手は最短(プロ1年目) | |
野上亮磨 | 埼玉西武ライオンズ | 読売ジャイアンツ | 国 | B | 高木勇人 | ||
大野奨太 | 北海道日本ハムファイターズ | 中日ドラゴンズ | 外 | B | 金銭 | ||
鶴岡慎也 | 福岡ソフトバンクホークス | 北海道日本ハムファイターズ | 外 | C | 無 | 2度目のFA移籍。過去にFA移籍で退団した球団に復帰した初の選手及び平成最後の無償によるFA移籍 | |
2018年 | 炭谷銀仁朗 | 埼玉西武ライオンズ | 読売ジャイアンツ | 外 | B | 内海哲也 | ドラフトで入団拒否した選手で初の補償選手 |
浅村栄斗 | 埼玉西武ライオンズ | 東北楽天ゴールデンイーグルス | 国 | B | 金銭 | 平成生まれ初のFA移籍、及び平成最後の金銭補償 | |
丸佳浩 | 広島東洋カープ | 読売ジャイアンツ | 国 | A | 長野久義 | ドラフトで2度入団拒否した選手で初、及び平成最後の補償選手 | |
西勇輝 | オリックス・バファローズ | 阪神タイガース | 国 | B | 竹安大知 | 平成最後のFA移籍選手 | |
2019年 | 美馬学 | 東北楽天ゴールデンイーグルス | 千葉ロッテマリーンズ | 国 | B | 酒居知史 | |
鈴木大地 | 千葉ロッテマリーンズ | 東北楽天ゴールデンイーグルス | 国 | B | 小野郁 | ||
福田秀平 | 福岡ソフトバンクホークス | 千葉ロッテマリーンズ | 国 | C | 無 | 令和初の無償によるFA移籍 |
- FAにより移籍した球団で監督に就任する例は長らくなかったが、2014年シーズンから谷繁元信が中日の監督に就任し初のケースとなった。その後、2015年シーズンから福岡ソフトバンクホークスの工藤公康、2016年シーズンから阪神タイガースの金本知憲が続いている。
- FA行使経験の選手がメジャー移籍した選手例は長らくいなかったが、初めて山口俊がポスティング行使でメジャー移籍した。マイナーリーグを含む海外移籍はいる。
FA権を行使し日本国外の球団へ移籍した選手
- 表の年は、選手がFA権を行使した年のことであり、移籍先が翌年1月1日以降に決まった選手も同年扱いとする。
- 原則として人的補償、金銭補償はないため省略。
- 移籍先の球団名の(マ)はマイナー契約。
年 | 選手 | 移籍元 | 移籍先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1997年 | 吉井理人 | ヤクルトスワローズ | ニューヨーク・メッツ | 初のFA権行使によるメジャーリーグへの移籍 |
1998年 | 木田優夫 | オリックス・ブルーウェーブ | デトロイト・タイガース | |
1999年 | 佐々木主浩 | 横浜ベイスターズ | シアトル・マリナーズ | |
2000年 | 新庄剛志 | 阪神タイガース | ニューヨーク・メッツ | 野手で初のFA権行使によるメジャーリーグへの移籍 |
2001年 | 小宮山悟 | 横浜ベイスターズ | ニューヨーク・メッツ | 補償発生期間中に退団となり、期間経過に至るまで所属球団なしとなった初の選手 |
田口壮 | オリックス・ブルーウェーブ | セントルイス・カージナルス | ||
2002年 | 松井秀喜 | 読売ジャイアンツ | ニューヨーク・ヤンキース | |
2003年 | 高津臣吾 | ヤクルトスワローズ | シカゴ・ホワイトソックス | |
松井稼頭央 | 西武ライオンズ | ニューヨーク・メッツ | 内野手で初のFA権行使によるメジャーリーグへの移籍 | |
2004年 | 藪恵壹 | 阪神タイガース | オークランド・アスレチックス | 逆指名でプロ入りした球団をFAで退団した初の選手 |
2005年 | 城島健司 | 福岡ソフトバンクホークス | シアトル・マリナーズ | 捕手で初のFA権行使によるメジャーリーグへの移籍 |
2006年 | 岡島秀樹 | 北海道日本ハムファイターズ | ボストン・レッドソックス | |
2007年 | 黒田博樹 | 広島東洋カープ | ロサンゼルス・ドジャース | |
小林雅英 | 千葉ロッテマリーンズ | クリーブランド・インディアンス | ||
薮田安彦 | 千葉ロッテマリーンズ | カンサスシティ・ロイヤルズ | ||
福盛和男 | 東北楽天ゴールデンイーグルス | テキサス・レンジャーズ | ||
福留孝介 | 中日ドラゴンズ | シカゴ・カブス | 初の故障者特例制度で取得したFA権で移籍した選手 | |
2008年 | 川上憲伸 | 中日ドラゴンズ | アトランタ・ブレーブス | |
上原浩治 | 読売ジャイアンツ | ボルチモア・オリオールズ | ||
高橋建 | 広島東洋カープ | トロント・ブルージェイズ(マ) | マイナー契約で入団した初のFA選手 | |
2009年 | 五十嵐亮太 | 東京ヤクルトスワローズ | ニューヨーク・メッツ | |
高橋尚成 | 読売ジャイアンツ | ニューヨーク・メッツ(マ) | ||
2010年 | 建山義紀 | 北海道日本ハムファイターズ | テキサス・レンジャーズ | |
土肥義弘 | 埼玉西武ライオンズ | ランカスター・バーンストーマーズ(米独立リーグ) | 移籍先が独立リーグのチームだった初のFA選手 | |
2011年 | 和田毅 | 福岡ソフトバンクホークス | ボルチモア・オリオールズ | |
岩隈久志 | 東北楽天ゴールデンイーグルス | シアトル・マリナーズ | ||
川﨑宗則 | 福岡ソフトバンクホークス | シアトル・マリナーズ(マ) | ||
2012年 | 藤川球児 | 阪神タイガース | シカゴ・カブス | |
中島裕之 | 埼玉西武ライオンズ | オークランド・アスレチックス | ||
田中賢介 | 北海道日本ハムファイターズ | サンフランシスコ・ジャイアンツ(マ) | ||
2017年 | 平野佳寿 | オリックス・バファローズ | アリゾナ・ダイヤモンドバックス | 5年振り、平成最後の海外FA移籍選手 |
2019年 | 秋山翔吾 | 埼玉西武ライオンズ | シンシナティ・レッズ | 令和初のFA権行使によるメジャーリーグへの移籍 |
10年選手制度
FA制度の前身にあたる制度。1947年4月14日に連盟・経営者側と選手会の合意により導入。1952年12月24日発行の野球協約により抜本改正され、1975年限りで全廃された。
概要
プロ入りから10シーズン以上現役選手として同一球団に在籍した者は「自由選手」として表彰され、所属球団を自由に移籍する権利が与えられた。
1952年の改正後は、10シーズン以上現役選手として球団に在籍した者に対しコミッショナーが10年選手に指名した。10年間フランチャイズ・プレイヤーだった「A級」と、単に10年間現役だった「B級」に大別された。A級は「ボーナス受給の権利」と「自由移籍の権利」、2つのうち任意の選択肢を与え、B級は「ボーナス受給の権利」を与えた。また、A・B級双方とも引退試合の主催権利が与えられた。再取得は3年後。
10年選手の権利
1952年改正以前は表彰と移籍権利のみ。以下は1952年改正後の権利。
- 引退試合
- 現役時代に顕著な功績を残した10年選手は、所属球団との合意の下、希望する地域において毎年11月15日(オフシーズンに入る日)以降に引退試合を主催することができた。非公式試合であり、試合開催による収益金を得ることも認められた。引退選手複数人共同で催すこともできたが、その場合も1試合のみ。
- トレード拒否
- 10年選手をトレードに出す場合は、事前に本人の書面による同意が無ければ不可とされた。
- ボーナス受給
- ボーナス(今で言う再契約金)を受け取ることができた。当初は無制限だったが、1959年3月の改定でA級選手のボーナスに限り、移籍なら1.5倍まで、残留なら2倍までと制限された。
- A級選手の移籍
- A級10年選手に指名された選手はその年の12月16日以降、自由に球団を移籍することができた。この権利は1度のみで再取得は不可。移籍した場合、新球団は旧球団に対し、新年俸の半額を譲渡金として支払った。
10年選手制度により他球団へ移籍した選手
1947年オフ
1949年オフ
1956年オフ
1958年オフ
- 田宮謙次郎 大阪タイガース→大毎オリオンズ
- この年、A級10年選手の権利を得た田宮はボーナスを貰うつもりでいたが、当時のコミッショナー機関が「A級権利でボーナスを得て残留すればその選手はA級のままであり、移籍自由の権利は残る」との見解を示した。本来、A級権利のどちらを行使しても再取得時にはB級になり、権利もボーナス受給だけになるはずだったが、当時はこの部分が明文化されておらず、このコミッショナー見解が正式とされてしまった。近い将来移籍してしまう可能性のある選手にボーナスは出せないと考えたタイガースのフロントはボーナスの金額交渉に消極的になり、最終的に田宮側に契約意思が無いことを通知、田宮はやむなく移籍権利を行使して移籍した。
- 内藤博文 読売ジャイアンツ→近鉄パールス
- 杉山悟 中日ドラゴンズ→国鉄スワローズ
- 青田昇 大洋ホエールズ→阪急ブレーブス
- 阿部八郎 阪急ブレーブス→西鉄ライオンズ
- 米川泰夫 東映フライヤーズ→西鉄ライオンズ
1959年オフ
1960年オフ
- 箱田淳 国鉄スワローズ→大洋ホエールズ
1964年オフ
- 金田正一 国鉄スワローズ→読売ジャイアンツ
- 田宮の一件以後規約が一部改正され、「A級10年権利でボーナスを得た場合、3年後の再取得時にはB級となるが移籍権利は残る。ただし、移籍交渉の順番はシーズンの順位によるウェイバー方式。交渉拒否は2度まで」とされた。金田は1959年にA級10年選手の権利を行使してボーナスを貰っており、1963年にB級10年選手として移籍権利を含めて再取得した。この年は行使せず保留して迎えた1964年シーズンオフ、国鉄がサンケイに対して正式に球団を譲渡することが決定した(1962年には、既にサンケイが球団経営の主導権を握る形で業務提携していた)ため、金田は前年保留したB級選手制度の移籍権利を行使した。この年の順位は下から中日、国鉄、広島、巨人、大洋、阪神であり、金田は拒否権を2度使って巨人へ移籍した。
脚注
注釈
- ^ 1993年のFA制度導入時にはプロテクト枠は40人あったが、1996年には35人、2003年に30人と徐々に削減され、2004年から28人となっている[4]。
- ^ 当時の中日の投手コーチであった山田久志とソリが合わず、その山田が中日の監督として就任することがFA移籍の主たる理由であった。
- ^ 当時の横浜監督であった森祇晶との確執がFA移籍の主たる理由であった。
- ^ 都内に住む義父の看病が出来る環境でのプレーを望んだことがFA移籍の主たる理由であった。
- ^ 「FA宣言を契機に、家族と共に暮らせる環境でプレーしたい」がFA移籍の主たる理由であった。
- ^ 順天堂大学付属順天堂医院、同浦安病院との提携による右肘ケアのサポートを受けられる上、家族が住む関東の球団でのプレーを望んだことがFA移籍の主たる理由であった。
- ^ 当時のホークス球団フロントとの対立で無償トレードという形で巨人に移籍していたが、その後ホークスの経営母体がソフトバンクに変わりチーム復帰への障害がなくなったことと、当時の監督である王貞治の下で優勝して恩返ししたいという気持ちが、FA移籍の主たる理由であった。
- ^ 2011年のシーズン途中に、出場機会の減少などから、ロッテから巨人へとトレード移籍していたが、2011年のシーズンオフの際にロッテ側の球団首脳陣が交代したことなどによりチーム復帰への障害がなくなったことが、FA移籍の主たる理由であった。
- ^ チームから事実上の戦力外となっていたが、功労者には戦力外通告を出せないという巨人の方針があり、チームとの交渉では自由契約も難色を示された。そのため再取得した権利でFA宣言をした。
- ^ 藤井は後に写真週刊誌のインタビューで「事実上の戦力外通告だったが、球団の配慮で表向きはFA宣言ということになった」と、自ら進んで権利を行使したわけではないことを明かしている。[14]
出典
- ^ “フリーエージェント規約第”. 2019年11月閲覧。
- ^ “フリーエージェント規約第10条”. 2019年7月閲覧。
- ^ “フリーエージェント規約第10条7”. 2019年7月閲覧。
- ^ 長野と内海の移籍 巨人が犯したたった一つの過ち 文春オンライン(神田洋)、2019年2月17日(2019年3月23日閲覧)。
- ^ FAの明るさ残すため、原監督「人的補償撤廃」提言、2019年11月19日閲覧。
- ^ ソフトバンク・三笠GM 巨人・原監督の「FA人的補償撤廃」提言に一部賛成、2019年12月18日閲覧。
- ^ 中日 原監督の「DH制導入&人的補償廃止」提言に断固反対、2019年11月19日閲覧。
- ^ 里崎智也 (2016年11月21日). “4タイプに分けられるFA選手(上)/里崎コラム”. 日刊スポーツ 2017年3月6日閲覧。
- ^ (日本語) 【FAについて】FAしている人の4つの理由を教えます!これを聞いてみんなもこの人はこの理由だなって考えてみてください! 2020年1月8日閲覧。
- ^ 里崎智也 (2016年11月22日). “FA権はもろ刃の剣/里崎コラム(下)”. 日刊スポーツ 2017年3月6日閲覧。
- ^ フリーエージェント規約6条6項
- ^ プロ野球規約79条
- ^ プロ野球規約71条
- ^ 藤井秀悟 ヤンチャで通した30年 週刊誌フライデー、2016年8月24日閲覧
- ^ ハムが改めてFA藤井と「再契約はない」 日刊スポーツ 2009年12月1日
- ^ FA藤井“失職”問題、労組松原局長が私見 日刊スポーツ 2009年11月23日
- ^ 、2015、「東尾修「今の選手はうらやましい。でも…」高騰する年俸に苦言」、『週刊朝日』(2016年1月1-8日号)、朝日新聞出版
- ^ “キミのFA権は紙切れ同然”…マイク仲田、恩師広岡氏のもとへ
- ^ 重光 晋太郎 (2015年11月11日). “今江 涙のFA行使、新天地へ…球団条件は単年契約&年俸ダウン”. スポーツニッポン 2017年3月5日閲覧。
- ^ 山田 忠範 (2016年11月8日). “陽岱鋼、涙のFA宣言「戦力構想に入ってないと感じた」”. スポーツニッポン 2017年3月5日閲覧。
- ^ 【10月3日】1997年(平9) 西崎幸広 事実上の戦力外通告 ハム ベテラン大量解雇.スポニチ Sponichi Annex 野球 日めくりプロ野球 2011年10月.2016年11月9日閲覧。
- ^ 【1月4日】1999年(平11) 小宮山悟、ケンカ売る「球団改革しなけりゃ出て行く」
- ^ a b 近鉄は2004年を以ってオリックスに合併したため。プロ野球再編問題 (2004年)を参考のこと。
- ^ 2004年までの球団名は「福岡ダイエーホークス」、大村が移籍した2005年以降の球団名は「福岡ソフトバンクホークス」である。
- ^ a b 和田が在籍していた2007年までの球団名は「西武ライオンズ」、石井一が移籍した2008年以降の球団名は「埼玉西武ライオンズ」である。
- ^ a b c 村田が在籍していた2011年までの球団名は「横浜ベイスターズ」、鶴岡・小池が移籍してきた2012年以降の球団名は、「横浜DeNAベイスターズ」である。
- ^ 読売ジャイアンツ#登録名を併せて参照。
- ^ “FA木村昇吾が西武テスト合格「ゼロからスタート」”. 日刊スポーツ. 2016年12月15日閲覧。
- ^ “3人目のFA選手、陽獲得。大型補強を決断させた巨人の事情【死亡遊戯コラム】”. ベースボールチャンネル. 2017年11月9日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 野球協約・統一契約書ほか(日本プロ野球選手会)
- プロ野球FA移籍の人的補償の対象(OKGuide)