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「忉利天」の版間の差分

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[[ファイル:Shumisen.jpg|サムネイル|図上部、須弥山の上に位置するのが忉利天。]]
'''忉利天'''(とうりてん、{{lang-sa|त्रायस्त्रिंश}} {{Unicode|Trāyastriṃśa}};{{lang-pi|Tāvatiṃsa}})は、[[欲界]]における[[六欲天]]の第2の[[天 (仏教)|天]]である。「とう」はりっしんべん+刀。意訳して'''三十三天'''ともいう。
'''忉利天'''(とうりてん、{{lang-sa|त्रायस्त्रिंश}} {{Unicode|Trāyastriṃśa}};{{lang-pi|Tāvatiṃsa}})は、[[欲界]]における[[六欲天]]の第2の[[天 (仏教)|天]]である。「とう」はりっしんべん+刀。意訳して'''三十三天'''ともいう。


== 概略 ==
== 概略 ==
[[ファイル:Anonymous - The Buddha Descending from Trayastrimsa Heaven at Sankissa - 64.115 - Metropolitan Museum of Art.jpg|サムネイル|三道宝階によって忉利天からサンカーシャへと降る釈迦 19世紀 [[タイ王国]] [[メトロポリタン美術館]]蔵]]
[[須弥山]]の頂上、[[閻浮提]]の上、80000[[由旬]]の処にあり、中央に善見(喜見)宮がある。四面それぞれ80000由旬の大きな城があり、そこに[[帝釈天]]が住し、四方には各8つの城があり、その所属を支配する天部の衆徒や神々が住んでいる。ゆえにこれに善見城を加えて計33天となるので、三十三天と称される。
中国語、および[[漢訳]]において「三十三天」という場合、三十三天自体とそこに住む住人の両方を指すが(後述)、サンスクリット語において、前者は{{Unicode|Trayastriṃśa}}、後者は{{Unicode|Trāyastriṃśat}}と区別される{{Sfn|定方|1973|p=52}}。


『[[一切経音義 (慧琳)|一切経音義]]』によれば、[[須弥山]]の頂上、[[閻浮提]]の上、80,000[[由旬]]<ref group="注釈">『倶舎論』によれば、1由旬は約7~8km。</ref>の処にあり、中央に善見(喜見)宮がある。四面それぞれ80,000由旬の大きな城があり、そこに[[帝釈天]]が住し、四方には各8つの城があり、その所属を支配する天部の衆徒や神々が住んでいる。ゆえにこれに善見城を加えて計33天となるので、三十三天と称される<ref>慧琳『一切経音義』巻二九</ref>。須弥山の頂上の中央には、建物は金、地面は戸羅綿<ref group="注釈">{{lang-*-Latn|sa|tūlapicu}}</ref>でできた[[善見天|善見城]]があり、その内部の殊勝殿がある{{Sfn|定方|1973|p=56}}。この建物には[[インドラ]](帝釈天)が住んでいる。殊勝殿は、一辺の長さが250由旬で、さまざまな宝石で建物が荘厳されており、その豪華さは他の楼閣の追随を許さない。善見城は、殊勝殿の他にも飲食市、衣服市、戯女市、米穀市といった市場を持つほか、四辺それぞれに、東に衆車<ref group="注釈">しゅうしゃ、{{lang-*-Latn|sa|Caitra-ratha}}</ref>、南に麤悪<ref group="注釈">そあく、{{lang-*-Latn|sa|Pāruśha}}</ref>、西に相雑<ref group="注釈">そうざつ、{{lang-*-Latn|sa|Miśra}}</ref>、北に歓喜<ref group="注釈">かんき、{{lang-*-Latn|sa|Nandana}} 『[[マハーバーラタ|マーハーバラタ]]』では、インドラ(仏教では帝釈天)の庭園。</ref>という遊苑地を備えている{{Sfn|定方|1973|p=55}}。善見城の周囲に作られた四つの庭園は、それぞれの四方、20由旬離れた場所にひとつずつ遊び場が置かれている。さらに、都の外、北東の隅には円生樹が、南西の隅には善法堂がある{{Sfn|定方|1973|p=57}}。33天は、半月の三斎日には善法堂に集会して、如法・不如法を論評するという。
この33天は、半月の三斎日には城外西南角の善法堂に集会して、如法・不如法を論評するという。この天の有情が婬欲を行ずる時は、形を変えて人間の如くなるが、ただ、風気を泄し終われば熱悩がたちまち除かれるという。身長は1由旬、衣の重さは6銖、寿命は1000歳にして、その一昼夜は[[人間界]]の100年に相当するといわれる。また初生の時は、人間の6歳の如く色円満し自ら衣服があるという。

この天の[[衆生|有情]]が婬欲を行ずる時は、形を変えて人間の如くなるが、ただ、風気を泄し終われば熱悩がたちまち除かれるという。身長は1由旬、衣の重さは6銖、寿命は1000歳にして、その一昼夜は[[人間界]]の100年に相当するといわれる。また初生の時は、人間の6歳の如く色円満し自ら衣服があるという{{Sfn|定方|1973|p=59}}

[[釈]]を生んだ[[摩耶夫人]]はその7日後に死去したが、この天に転生したとされる。『摩訶摩耶経』などには、釈はかつてこの天に昇り、実母の摩耶夫人のために3ヶ月間説法し、三道宝階に依って[[サンカーシャ|僧伽施国]](サンカーシャ)の地に降り給うたと記されている{{Sfn|岡本|2017|p=1}}。また『[[地蔵菩薩本願経]]』によれば、釈迦は忉利天でこの経典に記された内容を摩耶夫人、菩薩、天人たちを相手に説法したとされる<ref>『地蔵菩薩本願経』巻上 T0412_.13.0777c11 - 12</ref>

インド、[[ブータン]]、[[ブリヤート共和国]]、チベットなどの[[チベット仏教]]圏においては、[[チベット暦]]9月22日に釈迦の「三道宝階降下」を祝う{{仮リンク|ラバブ・ドゥーチェン|en|Lhabab Duchen}}(降臨大祭)が催される<ref>{{Cite web|url=https://www.mmba.jp/archives/18322|title=白壁を塗り仏たちの降臨を待つ 釈尊の降臨大祭とはどんな縁日か|accessdate=2021-11-21|publisher=[[文殊師利大乗仏教会]]|author=野村 正次郎<!--早稲田大学文学研究科文学修士、文殊師利大乗仏教会代表理事-->}}</ref>。

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[[釈]]を生んだ[[摩耶夫人]]はその7日後に死去したが、この天に転生したとされる。『摩訶摩耶経』などには、釈はかつてこの天に昇り、実母の摩耶夫人のために3ヶ月間説法し、三道宝階に依って僧伽施国の地に降り給うたと記されている。


== 三十三天 ==
== 三十三天 ==
[[ファイル:1860s Edo Period Japanese Buddhist Map of Mount Meru.jpg|サムネイル|須弥山図 [[1860年代]] 日本

図の下部に描かれた須弥山の上に、忉利天と見える。]]
#善法堂天
#善法堂天
#山峯天
#山峯天
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#清浄天
#清浄天


== ギャラリー ==
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ファイル:Descent of the Buddha from the Trayastrimsa Heaven Sanchi Stupa 1 Northern Gateway.jpg|[[サーンチー]]のストゥーパ、北門(トラナ)
ファイル:Indian Museum Sculpture - Descent From Tavatimsa (9220480404).jpg|[[紀元前1世紀|前1世紀]]{{Sfn|肥塚|1978|p=38}} {{仮リンク|バールフット|en|Bharhut}}出土 [[コルカタ]]、[[インド博物館 (コルカタ)|インド博物館]]蔵 [[仏塔]]を荘厳していたレリーフ。三道宝階を降る釈迦が、仏足によって象徴的に表現されている。
ファイル:Astasahasrika Prajnaparamita Descending Trayastrimsa Heaven.jpg|忉利天から降る釈迦 8世紀から12世紀 [[貝葉]] [[ビハール州]]、[[ナーランダ僧院|ナーランダ―]]
ファイル:Buddha's descent from Tushita, 18th century, Mongolia.png|[[タンカ]] 18世紀 モンゴル
ファイル:Buddha's descent.png|タンカ [[19世紀]] [[チベット]]
ファイル:Phutthamonthon030620a.jpg|壁画 タイ王国、[[プッタモントン (公園)|プッタモントン公園]]
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== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
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== 参考文献 ==
*[https://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/index.html 大正新脩大藏經テキストデータベース (SAT)]
*{{Citebook|和書|title=須弥山と極楽 仏教の宇宙観|date=1975-07-20|year=1975|publisher=[[講談社]]|author=[[定方晟]]|ref={{SfnRef|定方|1973}}|isbn=9784061157309|edition=3}}
*{{Cite Journal|author=岡本健資|year=2017|title=Dhammapada-Aṭṭhakathā における 「三道宝階降下」について|journal=パーリ学仏教文化学|volume=31|ref={{SfnRef|岡本|2017}}|ISSN=09148604|url=https://doi.org/10.20769/jpbs.31.0_51|accessdate=2021-11-21}}
*{{Cite journal|author=[[肥塚隆]]|year=1978|title=「従三十三天降下」図の図像|url=http://hdl.handle.net/11094/48124|journal=待兼山論叢. 美学篇|volume=11|accessdate=2021-11-21|ref={{SfnRef|肥塚|1978}}|ISSN=03874818}}
*{{Cite Journal|author=林鳴宇<!--りんめいう-->|year=2011|date=2011-03|title=『重編諸天伝』訳注記 (4)|url=http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/30227/|journal=駒澤大学仏教学部研究紀要|volume=69|pages=143-159|accessdate=2021-11-21}}

== 関連項目 ==
* [[禅定]]
* [[天国]] - [[極楽]] - [[浄土]]
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2021年12月10日 (金) 16:20時点における版

図上部、須弥山の上に位置するのが忉利天。

忉利天(とうりてん、サンスクリット: त्रायस्त्रिंश Trāyastriṃśaパーリ語: Tāvatiṃsa)は、欲界における六欲天の第2のである。「とう」はりっしんべん+刀。意訳して三十三天ともいう。

概略

三道宝階によって忉利天からサンカーシャへと降る釈迦 19世紀 タイ王国 メトロポリタン美術館

中国語、および漢訳において「三十三天」という場合、三十三天自体とそこに住む住人の両方を指すが(後述)、サンスクリット語において、前者はTrayastriṃśa、後者はTrāyastriṃśatと区別される[1]

一切経音義』によれば、須弥山の頂上、閻浮提の上、80,000由旬[注釈 1]の処にあり、中央に善見(喜見)宮がある。四面それぞれ80,000由旬の大きな城があり、そこに帝釈天が住し、四方には各8つの城があり、その所属を支配する天部の衆徒や神々が住んでいる。ゆえにこれに善見城を加えて計33天となるので、三十三天と称される[2]。須弥山の頂上の中央には、建物は金、地面は戸羅綿[注釈 2]でできた善見城があり、その内部の殊勝殿がある[3]。この建物にはインドラ(帝釈天)が住んでいる。殊勝殿は、一辺の長さが250由旬で、さまざまな宝石で建物が荘厳されており、その豪華さは他の楼閣の追随を許さない。善見城は、殊勝殿の他にも飲食市、衣服市、戯女市、米穀市といった市場を持つほか、四辺それぞれに、東に衆車[注釈 3]、南に麤悪[注釈 4]、西に相雑[注釈 5]、北に歓喜[注釈 6]という遊苑地を備えている[4]。善見城の周囲に作られた四つの庭園は、それぞれの四方、20由旬離れた場所にひとつずつ遊び場が置かれている。さらに、都の外、北東の隅には円生樹が、南西の隅には善法堂がある[5]。33天は、半月の三斎日には善法堂に集会して、如法・不如法を論評するという。

この天の有情が婬欲を行ずる時は、形を変えて人間の如くなるが、ただ、風気を泄し終われば熱悩がたちまち除かれるという。身長は1由旬、衣の重さは6銖、寿命は1000歳にして、その一昼夜は人間界の100年に相当するといわれる。また初生の時は、人間の6歳の如く色円満し自ら衣服があるという[6]

釈迦を生んだ摩耶夫人はその7日後に死去したが、この天に転生したとされる。『摩訶摩耶経』などには、釈迦はかつてこの天に昇り、実母の摩耶夫人のために3ヶ月間説法し、三道宝階に依って僧伽施国(サンカーシャ)の地に降り給うたと記されている[7]。また『地蔵菩薩本願経』によれば、釈迦は忉利天でこの経典に記された内容を摩耶夫人、菩薩、天人たちを相手に説法したとされる[8]

インド、ブータンブリヤート共和国、チベットなどのチベット仏教圏においては、チベット暦9月22日に釈迦の「三道宝階降下」を祝うラバブ・ドゥーチェン英語版(降臨大祭)が催される[9]


三十三天

須弥山図 1860年代 日本 図の下部に描かれた須弥山の上に、忉利天と見える。
  1. 善法堂天
  2. 山峯天
  3. 山頂天
  4. 善見城天
  5. 鉢私地天
  6. 倶吒天
  7. 雑殿天
  8. 歓喜園天
  9. 光明天
  10. 波利耶多天
  11. 離険岸天
  12. 谷崖岸天
  13. 摩尼蔵天
  14. 旋行天
  15. 金殿天
  16. 鬘影天
  17. 柔軟天
  18. 雑荘厳天
  19. 如意天
  20. 微細行天
  21. 歌音喜楽天
  22. 威徳輪天
  23. 月行天
  24. 閻摩那娑羅天
  25. 速行天
  26. 影照天
  27. 智慧行天
  28. 衆分天
  29. 曼陀羅天
  30. 上行天
  31. 威徳顔天
  32. 威徳燄輪光天
  33. 清浄天

ギャラリー

脚注

注釈

  1. ^ 『倶舎論』によれば、1由旬は約7~8km。
  2. ^ サンスクリットラテン翻字: tūlapicu
  3. ^ しゅうしゃ、サンスクリットラテン翻字: Caitra-ratha
  4. ^ そあく、サンスクリットラテン翻字: Pāruśha
  5. ^ そうざつ、サンスクリットラテン翻字: Miśra
  6. ^ かんき、サンスクリットラテン翻字: Nandana 『マーハーバラタ』では、インドラ(仏教では帝釈天)の庭園。

出典

  1. ^ 定方 1973, p. 52.
  2. ^ 慧琳『一切経音義』巻二九
  3. ^ 定方 1973, p. 56.
  4. ^ 定方 1973, p. 55.
  5. ^ 定方 1973, p. 57.
  6. ^ 定方 1973, p. 59.
  7. ^ 岡本 2017, p. 1.
  8. ^ 『地蔵菩薩本願経』巻上 T0412_.13.0777c11 - 12
  9. ^ 野村 正次郎. “白壁を塗り仏たちの降臨を待つ 釈尊の降臨大祭とはどんな縁日か”. 文殊師利大乗仏教会. 2021年11月21日閲覧。
  10. ^ 肥塚 1978, p. 38.

参考文献

  • 大正新脩大藏經テキストデータベース (SAT)
  • 定方晟『須弥山と極楽 仏教の宇宙観』(3版)講談社、1975年7月20日。ISBN 9784061157309 
  • 岡本健資 (2017). “Dhammapada-Aṭṭhakathā における 「三道宝階降下」について”. パーリ学仏教文化学 31. ISSN 09148604. https://doi.org/10.20769/jpbs.31.0_51 2021年11月21日閲覧。. 
  • 肥塚隆 (1978). “「従三十三天降下」図の図像”. 待兼山論叢. 美学篇 11. ISSN 03874818. http://hdl.handle.net/11094/48124 2021年11月21日閲覧。. 
  • 林鳴宇 (2011-03). “『重編諸天伝』訳注記 (4)”. 駒澤大学仏教学部研究紀要 69: 143-159. http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/30227/ 2021年11月21日閲覧。. 

関連項目