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「三遊亭円楽 (6代目)」の版間の差分

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* [[せいせいするほど、愛してる#テレビドラマ|せいせいするほど、愛してる]] 第3話(TBS系列、2016年7月26日) - 石岡健一 役
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* [[BS笑点ドラマスペシャル]]第2作「五代目三遊亭圓楽」([[BS日本|BS日テレ]]、2019年1月12日)- ナレーション
* [[BS笑点ドラマスペシャル]]第2作「五代目三遊亭圓楽」([[BS日本|BS日テレ]]、2019年1月12日)- ナレーション
* [[月曜名作劇場]] [[京都タクシードライバーの事件簿]] (TBS系列、2019年2月4日)- 茶川大助 役
* [[月曜名作劇場]] [[京都タクシードライバーの事件簿]] (TBS系列、2019年2月4日)- 茶川大助 役

2021年3月4日 (木) 11:18時点における版

6代目 三遊亭 円楽
6代目 三遊亭 円楽
三ツ組橘は、5代目圓楽一門の定紋である。『笑点』で着用している着物の紋も同様。
本名 會 泰通(あい やすみち)
(別表記:会 泰通)
別名 三遊亭圓楽
三遊亭楽太郎(旧名)
楽さん
ラッキー
生年月日 (1950-02-08) 1950年2月8日(74歳)
出身地 日本の旗 日本 東京都墨田区
師匠 5代目三遊亭圓楽
弟子 三遊亭楽生
三遊亭楽京
三遊亭楽市
三遊亭楽大
三遊亭一太郎
三遊亭楽天
三遊亭楽八
三遊亭楽㐂
三遊亭楽べえ
三遊亭楽太
ニックス
名跡 1. 三遊亭さんゆうてい楽太郎らくたろう(1970年 - 2010年)
2. 6代目三遊亭円楽(2010年 - )
出囃子 元禄花見踊
活動期間 1970年 -
活動内容 古典落語
配偶者 あり
家族 会一太郎(長男)
所属 落語家として
落語協会(1970年 - 1978年)
落語三遊協会(1978年 - 1980年)
大日本落語すみれ会→落語円楽党→落語ベアーズ→円楽一門会五代目圓楽一門会(1980年 - )
落語立川流Bコース(1990年頃)
落語芸術協会[注 1]2017年 - )
マネージメント
星企画(1970年 - 2010年)
オフィスまめかな(2010年 - )
受賞歴
放送演芸大賞最優秀ホープ賞(1979年)
若手落語家努力賞(1981年)
備考
円楽一門会幹事長

6代目 三遊亭 円楽(さんゆうてい えんらく 1950年2月8日 - )は、日本の落語家

五代目円楽一門会所属で、幹事長を務める(マネジメントはオフィスまめかな)。また、2017年6月27日から、客員として落語芸術協会に加入しており[1]、2つの噺家団体で活動している。

2010年3月1日、初名の三遊亭 楽太郎(さんゆうてい らくたろう)から師匠の名跡である6代目三遊亭圓楽を襲名した[注 2]出囃子は師匠の5代目三遊亭圓楽と同じ『元禄花見踊[注 3]

本名は會 泰通(あい やすみち)[注 4]東京都墨田区出身。墨田区立両国中学校東京都立深川高等学校青山学院大学法学部卒業。

長男は落語家・声優会一太郎(落語家としての名称は三遊亭一太郎)。

芸歴

  • 1970年4月 - 青山学院大学在学中、5代目三遊亭圓楽の鞄持ちのアルバイトに志願し、付き人を経てスカウトされ入門し、楽太郎を名乗る。大学の落語研究部に所属しており、後に兄弟子となる三遊亭楽松(現:三遊亭鳳楽)とは落研の発表会で会うなど、入門前から面識があった。
  • 1972年3月 - 青山学院大学法学部卒業。
  • 1976年7月 - 二つ目昇進。
  • 1977年8月28日 - 6代目三遊亭圓窓の後任として『笑点』レギュラーとなる。5代目圓楽の降板で欠員が出ていたため、5代目が着ていた薄紫の色紋付を着用することとなった。
  • 1978年 - 落語協会分裂騒動で師匠と共に脱退し、落語三遊協会所属となる。
  • 1979年1月 - 放送演芸大賞最優秀ホープ賞受賞。
  • 1980年 - 落語三遊協会解散。大日本すみれ会(現:五代目円楽一門会)所属となる。
  • 1981年1月 - 若手落語家努力賞受賞。
  • 同年3月 - 真打昇進。
  • 2007年より「博多・天神落語まつり」のプロデュースを手がけており、東西の大物落語家なども登場する一大イベントとなっている。
  • 2010年3月1日 - 6代目三遊亭圓楽を襲名。
  • 2016年6月10日 - 写真週刊誌フライデー」に40代女性と錦糸町ラブホテルへ入る様子を撮影された件で、釈明会見を開き不倫関係にあることを認めた[5]。この際、冒頭で相手との出会いや関係について自らつまびらかに語り、不倫相手・「フライデー」・妻・落語関係者・『笑点』関係者に対して謝罪と感謝の言葉を述べ、報道陣の質問にも制限をほとんど設けずすべて答えたため、「神対応」と評価された[6]。なお、掲載直後の『笑点』の大喜利(2016年7月3日放送分)では、挨拶の前に司会の春風亭昇太からこの不倫報道を理由に問答無用で座布団を全部没収された[7]
  • 2017年6月27日 - この日開かれた落語芸術協会の総会にて客員での加入が認められ、同日より五代目円楽一門会と並行して落語芸術協会の落語家としても活動する[1]。これにより、落語協会脱退以来39年ぶり(厳密には6代目円楽襲名披露興行を落語芸術協会の協力の下、定席興行にて実施しているため、それ以来7年ぶり)に定席興行に出演できるようになった。また、この加入は単身での加入であり、6代目円楽門下の弟子は引き続き五代目円楽一門会のみの所属となる。
  • 2018年9月28日、自身の所属する事務所の公式ホームページを通じて初期の肺がんであることを公表[8]。翌月の5日に手術を行い、12日に復帰した[9]
  • 2019年5月24日~26日、札幌市内の三か所のホールを会場に三遊亭圓楽プロデュース「さっぽろ落語まつり」第一回開催。28名の落語家が出演、主催はテレビ北海道北海道新聞社ほか。
  • 2019年7月18日、検査で脳腫瘍が見つかり、19日、検査と治療のため3週間ほど入院することを発表した[10][11]。8月11日、病院からの一時外出という形で国立演芸場・8月中席に出演、トリを務め、高座復帰を果たす[12]。19日に退院[13]
  • 2020年11月に開催された新型コロナウイルス感染症流行下におけるがん検診の重要性を訴えるセミナーで、2019年に肺がんが再発していたがごく初期のため薬を変えて検査数値が良くなったこと、過去に初期の大腸がんも患っていたこと、現在も毎月がん検診を受けていることなどを報道陣に明らかにした[14]

6代目圓楽襲名

2008年8月、師匠・5代目圓楽から、楽太郎(6代目円楽)が還暦を迎える2010年2月に6代目圓楽を襲名をすることが発表された。当時、楽太郎が60歳を迎えるのが2010年の2月で、真打昇進したのが1981年の春(3月)だったため、その頃を目処にという表現をしていた。楽太郎は「圓楽の名跡は師匠(5代目)が大きくしたもの。5代目・6代目はよかったねと言われるよう精進したい」と語った。

しかし、自らがプロデュースする「博多・天神落語まつり」開催直前の2009年10月29日、5代目が肺癌で死去した。既に福岡入りしていた楽太郎は、師匠の最期には立ち会えなかった(2009年9月3日に、長男の一太郎を伴って、5代目圓楽の自宅へ自分の弟子にしたと挨拶に訪問したのが直接対面した最後だったとのこと。この日は大師匠である6代目三遊亭圓生の誕生日と命日でもあり、墓参りもしていたとしている)。翌日の開幕式では気丈に振舞っていたものの、師匠を失い、襲名披露に立ち会ってもらえなくなったという精神的ショックは大きく、報道陣に対しては自筆のコメントペーパーを出すのが精一杯だった。その後も、仕事で地方廻りがあったため、対面は一門による通夜が行われた11月4日となった。

2010年2月28日放送の『笑点』にて「六代目円楽襲名披露口上」を行い、翌3月1日付で正式に6代目圓楽を襲名した。3月2日には、襲名披露パーティーと記者会見を帝国ホテルにて開催し、襲名披露公演は3月3日の高知県立県民文化ホールを皮切りに12月まで全国80か所以上で行われ[15]、3月15日には新橋演舞場、2010年3月下席から4月中席まで落語芸術協会の定席興行(新宿末廣亭浅草演芸ホール池袋演芸場)でも開催された。寄席定席での披露興行は、楽太郎の要望に応じた落語芸術協会会長の桂歌丸の協力により実現し、当人の定席への出演は32年ぶりとなった。また5月31日には、横浜市三吉演芸場で行われた歌丸一門会でのトリを務めた。

笑点のオープニングではアニメーションが変更され、2010年2月28日から2016年5月8日の放送まで「六代目」の寄席文字が入っていた(英語標記も、6th SANYUTEI ENRAKUとなっていた)。

襲名と同時に、5代目が担当していた日本香堂毎日香のCMナレーションも継承している。

エピソード

  • しばしば、政治社会風刺ネタを用いる[16]
  • 父は警視庁警察官で、反抗心からか学生時代にはブントに所属し学生運動にも参加していたが、「ユートピアを追うことに疲れ、そのときに落語を聞き返したところ、その中にユートピアがあることを発見し、落語に生きることにした」[17]と語っている。
  • 楽太郎の名は、大師匠である6代目圓生が付けたものであり、真打昇進の際にも改名を拒んだ[注 5]
  • 20歳で圓楽に弟子入りし、概ね5年ごとに節目を迎えてきたため、いつしか「5年計画」で物事を進めるようになった。そのため、圓楽襲名の話が師匠からあった際も、すぐにというわけではなく、その5年ごとの節目にもあたる60歳にという意向で、6代目襲名の話を進めることになったと語っている。
  • 若手時代、瀬古利彦に顔が似ているとされており、テレビで瀬古の物真似をすることが多かった。瀬古が所属していた「S&B」の文字が入ったランニングシャツを着て「これは『三遊亭楽太郎は、僕です』の略字」と説明するなどのギャグを披露していたが、35歳を迎える1985年正月より「落語で勝負したい」として、瀬古の物真似を封印した。数年後、瀬古の方から「楽太郎に似ている」ことを話のネタにするという逆転現象となった。現在も交流があり、2010年3月の6代目圓楽襲名披露パーティーにサプライズゲストとして瀬古が出演した。
  • 2015年1月1日に放送された『笑点』正月特番では、女子アナとの大喜利コラボ企画で「青山頑張れ!」と母校の青山学院大学陸上部を応援し、翌日開催された箱根駅伝において、青学陸上部は完全優勝を果たした。これに2区を走った一色恭志選手が、感謝のツイートを上げている[18]
  • 最初の弟子は、後に放送作家に転身した石田章洋(門下当時は花楽京)で、二番目はタレントに転身した伊集院光(門下当時は楽大)である。
  • 天龍源一郎は中学時代の同級生であり、プロレスファンとして知られる。特に全日本プロレスジャイアント馬場と親交が深く、リングサイドで観戦中客席に向かって唾を吐こうとする永源遙に向けて、輪ゴムを飛ばすシーンが全日本プロレス中継で放映された。馬場死去の際、インタビューでは涙を流し、馬場のことを圓楽の方が歳下であるものの親しみを込め「正平」と呼び捨てにしていたことを明かし、「馬場さんの中には小さな馬場さんがいっぱいいて、細やかな気遣いのある人でした」と言葉を詰まらせながら語った。また、ウルティモ・ドラゴンが立ち上げた「闘龍門」の理事長を務めたこともあった。
  • かつて「おはよう!ゲートボール」で審判員として出演した経験から、ゲートボール審判員の資格を持っている。
  • 先代圓楽と三遊亭圓丈とは、落語協会脱退後に袂を分かつ状態となったため特段の交流は無かったが、2013年の圓丈の著書「落語家の通信簿」について、圓楽が誤認を指摘して増刷時に修正されたのを機に意気投合し、2014年に圓丈・圓窓の一門弟子と共に圓生一門の合同落語会「三遊ゆきどけの会」が開催されることとなった[19]。2016年からは「三遊落語祭」と名前を変え、以降も年1回ペースで開催している。
  • 5代目が創設した五代目圓楽一門会と、桂歌丸が会長を務めた落語芸術協会(客員)との二重所属である。更に、入門当時は落語協会に在籍しており、円楽一門会独立後の1990年頃、落語立川流に非落語家の著名人枠である立川流Bコースに所属していたことがある。あくまで円楽一門会所属の落語家である故に、プロ落語家として落語家団体の二重加盟を避けたためであると思われるが、立川談志との交流関係を伺わせるエピソードであり、6代目襲名披露にも病をおして談志が出演している[20]。主要噺家4団体全てに、何かしらの形で在籍歴がある数少ない噺家の1人となっている。
  • 衆議院議員東祥三とは長い付き合いがあり応援をしている[21]
  • 5代目が生前、曹洞宗釈迦尊寺(群馬県前橋市)の住職との親交があったため、その関係から6代目も前名の楽太郎時代から釈迦尊寺との繋がりがある。自身は「俺は次男なので実家の墓に入れないから」と、釈迦尊寺に生前墓(寿陵)を建立している[22][23]。2016年3月には釈迦尊寺にて得度(出家)式を行い、『楽峰圓生』(らくほうえんしょう)の僧名を賜った[22][23]
  • 上記の釈迦尊寺との関係もあり、前橋市出身の立川談之助立川談志一門)、弟弟子でもある三遊亭竜楽と共に、「まえばし観光大使」を委嘱されている[24][23]
  • 1985年8月12日、笑点の企画で5代目圓楽、桂歌丸、初代林家木久蔵(現・林家木久扇)三遊亭小遊三林家こん平古今亭朝次(現・7代目桂才賀)山田隆夫と、翌日の阿波踊りに参加するべく徳島入りする予定だったが、予約した徳島行きの航空機が大幅に遅延し、徳島空港が悪天候のため、予約便は条件付き運行となった。そこで1つ後の日本航空123便に搭乗して[注 6]、神戸から船で移動する案が浮上したが[注 7]、こん平が「いいじゃないかい、決まった便でゆったり行こうよ、きっと徳島空港に着陸できるよ」と提案したため、元の徳島便に搭乗し、日本航空123便墜落事故から逃れることができた。徳島空港到着後、宿泊先のホテルへタクシーで移動中に、墜落事故を知ったという[25]
  • 同期入門の噺家として春風亭小朝立川ぜん馬桂歌春らがいる。

大喜利メンバーとして

  • 1977年8月28日より『笑点』の大喜利に出演している(入門直後から、5代目の付き人・裏方として番組に関わっていた)[26]
    • 2021年時点での大喜利メンバーの中では林家木久扇(1969年11月加入)に次ぐ古参である反面、2004年12月に林家たい平代理メンバーとして加入するまでは、1歳年下の桂才賀がメンバーだった一時期を除いて、最年少メンバーだった。
  • インテリ[16]、腹黒[16]、友達がいないキャラを担当[27][注 8]
  • かつてノベルティーグッズとして『腹黒時計』なるものを制作していたことがあり、時計の一部は弟子筋にも配布されている[28]。他にも、林家木久扇が販売している「木久蔵ラーメン」に対抗して、「円楽腹黒ラーメン」を販売している[29]
  • 5代目が司会を務めていたころ、自身に対するダメ出しで番組が締めになるなど師匠から厳しく叱責されたため、降板を考えた事がある。しかし、当時の番組プロデューサーである本多益幸から説得を受け、思いとどまった[30]。自身が褒められたのは5代目が死去する2年ほど前であり、「おまえもようやく少しは“らしく”なったねぇ」と言われたという[31]
  • 兄弟弟子である好楽が運営する池之端しのぶ亭は『笑点』のネタで、「解体工事中」「客が来ない」などと多用している。
  • 師匠・5代目圓楽に対しては、師匠の作った寄席の若竹が潰れて借金まみれ、顔長の馬面(「馬頭観音」「馬の耳に念仏」などの罵倒ネタを、歌丸とともに多用していた。
  • メンバーの中では「他メンバーに毒を吐く」イメージがあるが、収録の際はパン等の差し入れを毎回している[32]
  • 昇太が司会に就任してからは、司会の座を奪おうとするネタを多用するようになった。ただし、これはあくまでも番組としてのネタであり、本人は自ら司会をやることに対しては否定的な発言をしている[33]。なお、2018年4月1日のエイプリルフール企画で、1度だけ昇太と入れ替わる形で司会を担当したことがある[34][35]

桂歌丸との関係

  • 5代目圓楽の司会就任以降、大喜利メンバーの先輩である歌丸との罵倒合戦を繰り広げており、歌丸司会当時は、政治批判や時事ネタを活かして座布団を獲得するも、罵倒ネタ(主にジジイネタ・禿または髪の毛のネタ・臨終または葬式ネタなど)を用いて(稀に両隣の昇太とたい平や全員を巻き込んで)大量ないし全部没収されてしまうことがしばしばあった。番組内では犬猿の仲を演じていたが、若手時代にネタに困っていた楽太郎に歌丸が「俺のことでもいいから」とアドバイスしたのが罵倒合戦の始まりであり[30](円楽曰く「罵倒ネタを用いた際は収録後に謝るようにしている」)、歌丸との仲は良く、二人会等番組外での共演も多くメキシコで一緒に海外公演を行ったこともあった。円楽が主催し、東西の落語家が協会の垣根を超えて出演する『博多・天神落語まつり』にも、歌丸は亡くなる前年の2017年まで毎年出演していた。6代目襲名の際、5代目が逝去していたこともあって歌丸が後見人を引き受け、襲名披露を落語芸術協会の定席興行で実現させた。
  • 2017年6月より、歌丸が会長を務める落語芸術協会に単身で客員として加入することになったが、その仲介役となったのが会長の歌丸と、同じく笑点メンバーで副会長の三遊亭小遊三であった[36]
  • 長年に渡る関係から、円楽の歌丸へ対する尊敬の念は大きく、2015年10月には『桂歌丸師匠を人間国宝にする会』を立ち上げ、歌丸を落語界4人目の人間国宝にすべく署名運動を展開したこともあった[37]
  • 2018年7月の歌丸死去の際にはコメントで歌丸のことを、噺家としての父である師匠の5代目圓楽に次いで、自身を支えてくれた『最後の父親』と称し、歌丸への思いを綴った[38]。歌丸との生前最後の対面となった同年6月20日の見舞いの際には、その様子を共に見舞った笑点の番組関係者がビデオ撮影しており、撮影映像が7月12日に日本テレビで生放送された歌丸追悼特別番組で『歌丸生前最後の映像』として放送された。
  • 歌丸の死後最初の放送となった7月8日放送の笑点は、「歌丸追悼スペシャル」として歌丸を偲んでの追悼大喜利が行われ、この中で円楽は大喜利最後の回答で指名され、亡き歌丸相手に「ジジイ!早過ぎるんだよ!」と最後の罵倒を叫んで、長年の罵倒合戦を涙ながらに締め括った[39]
  • 歌丸の死後も高座や笑点の回答にて歌丸に関連することをしばしば話しており、前述の肺がんや脳腫瘍が判明した時は「歌丸師匠が呼んだかと思った」と話している[40]
  • また、歌丸が長年トリを務めていた国立演芸場8月中席のトリを2019年から引き継ぎ、2020年も同寄席にて高座をつとめた[41]

出演

テレビ

テレビドラマ

ラジオ

映画

CM

  • マクドナルド(1970年代後半)
  • ヤマハ発動機 GR50(「落語家でいえば、楽太郎。」がキャッチコピー、1970年代後半)
  • 松下電器産業(ふろブザー、1980年)
  • 祐徳薬品工業(パスタイム 『きもちんよか〜♪』のCMで薬局薬剤師の役などで出演、1980年代前半)
  • 旭化成ホームズ(ヘーベルハウス、1980年代)
  • ヤマサ醤油 さしみしょうゆ(1984年)
  • ナショナルショップ(1984年)
  • 松下電器産業(ナショナル パナスプレー 園芸用殺虫剤噴霧器、1980年代後半)
  • 太洋技建(ポリマーライト、1990年代後半)
  • 家具の荒川(岩手県限定、1992年頃)
  • 野村證券(株券電子化篇、2006年、木久扇(当時初代木久蔵)と歌丸と共演)
  • 日本香堂
    • 毎日ローソク
    • 青雲…師匠5代目圓楽と共演(※ ただし、5代目圓楽は声のみ)していたことがある。
    • 毎日香…6代目圓楽を襲名した2010年2月28日より、師匠5代目圓楽に代わって、毎日香の語りを務める。現在、彼岸バージョン、お盆バージョン、仏壇へのお参りバージョンの3パターンが用意されている。
  • 代々木アニメーション学院(自ら学院長を務めたが、経営難で離脱)
  • サンコー食品(ヤマザワ系列の製乳業。※山形県/宮城県限定)笑点で宮城県/山形県で収録の際はネタにする
  • 日清オイリオ
  • 徳島カントリー倶楽部
  • 東京団子(切り餅)
  • サントリー
    • 「福T(笑点オリジナルTシャツ)」プレゼント(2007年春)
    • 「福バッグ(笑点オリジナルバッグ)」プレゼント(2008年春)
    • 「福ジャン(笑点オリジナルジャンパー)」プレゼント(2008年秋)
    • 「帰ってきた福T(笑点オリジナルTシャツ)」プレゼント(2009年春)
    • 「ソーラー福バッグ(笑点オリジナルバッグ)」プレゼント(2010年春)
    • グルコサミン&コンドロイチン(2008年- )グルコサミンのみ単独出演、それ以外は笑点コラボでメンバー全員出演、着物は紫ではなくオレンジ
  • 白十字「サルバやわ楽パンツ」(2017年)
  • Phone Appli「連絡とれるくん」(2019年、webCM)[44]

著書

  • 『ジョーダンはよせ!』三遊亭楽太郎 広済堂出版 豆たぬきの本 1984
  • 『楽太郎の麦ごはん健康法』リヨン社 1987
  • 『楽太郎の実践トーク術 結婚式編』池田書店 1992
  • 『失敗しない司会進行実例百科 結婚式・ビジネス・地域社会での司会をじょうずにこなす』三遊亭楽太郎 池田書店 1993
  • 『楽太郎の実践トーク術 ビジネスライフ編』池田書店 1993
  • 『こころの日向ぼっこ』三遊亭楽太郎 法研 1995
  • 『失敗しない司会進行のコツと実例集』三遊亭楽太郎 池田書店 2003
  • 『流されて円楽に 流れつくか圓生に』六代目 三遊亭円楽 (著)十郎ザエモン(構成) 竹書房 2019

共著

  • 『楽太郎と税を語る 聞きたい知りたい税のこと』三遊亭楽太郎,小宮山隆著 ストーク 1997
  • 『楽太郎と法人税を語る 聞きたい知りたい法人税のこと』三遊亭楽太郎,小宮山隆著 税務研究会出版局 1999
  • 『六代目円楽と税を考える 知っておきたい税金の常識』三遊亭円楽,小宮山隆共著 法令出版 2010
  • 『噺家の魂が震えた 名人芸落語案内』噺家三十人衆(著)、六代目三遊亭円楽(解説)竹書房新書、2017

CD

DVD

  • 六代目三遊亭円楽襲名記念 三遊亭楽太郎十八番集BOX(DVD3巻組、特典:秘蔵写真フォトDVD付)
  • 六代目三遊亭円楽襲名記念 三遊亭楽太郎十八番集①(薮入り・お化長屋)
  • 六代目三遊亭円楽襲名記念 三遊亭楽太郎十八番集②(禁酒番屋・死神)
  • 六代目三遊亭円楽襲名記念 三遊亭楽太郎十八番集③(明烏・芝浜)

その他

  • 1980年 - 税務大学校講師小宮山隆と税金関連の著書をしている。
  • 1991年9月 - アメリカンM&N大学(ただしディプロマミル(学位工場や学歴工場などと呼ばれる実質的な教育実態がない学校)より哲学・理学博士号を購入)
  • 1992年11月 - 国税庁長官表彰
  • 1994年4月 - 栃木・中央福祉医療専門学校客員教授、教え子の学生たちが笑点の客席に観覧に来た際に、歌丸で介護実習を行うなどのあいさつを行っている。
  • 1996年9月 - ハワイ・オアフパークゴルフ協会名誉顧問
  • 2006年4月 - 代々木アニメーション学院学院長に就任(後に経営危機で離脱する)

一門弟子

直弟子

真打

三遊亭五九楽が一門の顧問格だった[45]

二ツ目

前座

落語以外の芸能に転向した弟子

  • 石田章洋(三遊亭花楽京(一人目)、放送作家に転身)
  • 伊集院光(三遊亭楽大(一人目)、タレントに転身)

両名について円楽は、落語家廃業後も身内ととらえており、一門会に出演することもあるほか、石田の著書を『笑点』で宣伝したり[46]、伊集院とテレビ・ラジオにおいて共演することがある[注 9]。また、伊集院も円楽を現在も「師匠」と呼び、落語家時代の話をすることがある。

息子の一太郎も、厳密には本業は落語家ではなく声優である。

色物

師匠だったWエースの両名が他界した後に一門入りし、漫才協会員としての活動に加え、圓楽が出演する両国寄席などに出演する。また、自身の結成10周年記念イベントにも圓楽はゲスト出演し、モタレ(トリの前の出番)を務めた。落語協会所属。

廃業

脚注

注釈

  1. ^ 円楽一門会と並行
  2. ^ 「落語界では旧字体の<圓>の字をよく使うが、常用漢字の<円>で通す」[2]と表明しており、襲名以降各種落語会、独演会、テレビ出演等すべての活動において、「(6代目)三遊亭楽」と名乗っている。
  3. ^ 以前は『花が咲き候』を使用。
  4. ^ 「会 泰通」とも表記する[3][4]
  5. ^ 圓楽の「楽」に長男を意味する「太郎」で楽太郎となった。なお、当時圓楽一門には兄弟子の楽松(現:鳳楽)がいたが、楽松については6代目圓生の本名「松尾」の「松」を与えたとされている。
  6. ^ 同便ではイベントに同行する予定だった、数名の広告代理店社員が搭乗した。
  7. ^ 当時は瀬戸大橋明石海峡大橋神戸空港は未開業。
  8. ^ 昇太の司会就任後3年ほど経ってからは何故かたい平と親友という設定ができ、互いに「円楽っち」「たい平っち」と呼び合っている。
  9. ^ 他の出演者(若手含む)が6代目円楽に対して普通に接しているのに対し、弟子の伊集院は師匠に気遣って接していることが多い。

出典

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  2. ^ 新宿末廣亭2010年(平成22年)3月寄席だより
  3. ^ 六代目 三遊亭 円楽 | 株式会社オフィスまめかな
  4. ^ 三遊亭円楽 協会員プロフィール
  5. ^ 三遊亭円楽、涙で不倫認める「浮気と言えば浮気」日刊スポーツ 2016年6月10日閲覧
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  46. ^ 企画は、ひと言。公式サイト

関連項目

外部リンク