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** 第24話「ふるさとへの旅路」(1976年)
** 第24話「ふるさとへの旅路」(1976年)
** 第25話「ふるさとの空はふたたび」(1976年)
** 第25話「ふるさとの空はふたたび」(1976年)
* [[古谷一行の金田一耕助シリーズ#横溝正史シリーズI・II|横溝正史シリーズ]] / [[三つ首塔]](1977年、[[MBSテレビ|MBS]] / 東宝) - 佐竹建彦 役
* [[古谷一行の金田一耕助シリーズ#横溝正史シリーズI(1977年)|横溝正史シリーズ]] / [[三つ首塔]](1977年、[[MBSテレビ|MBS]] / 東宝) - 佐竹建彦 役
* [[土曜ワイド劇場]]([[テレビ朝日|ANB]])
* [[土曜ワイド劇場]]([[テレビ朝日|ANB]])
** [[声 (松本清張)|松本清張の「声」 ダイヤルは死の囁き]](1978年) - 浜野幸平 役
** [[声 (松本清張)|松本清張の「声」 ダイヤルは死の囁き]](1978年) - 浜野幸平 役

2021年4月18日 (日) 08:43時点における版

よねくら まさかね
米倉 斉加年
本名 米倉 正扶三 → 米倉 斉加年
生年月日 (1934-07-10) 1934年7月10日
没年月日 (2014-08-26) 2014年8月26日(80歳没)
出生地 日本の旗日本福岡県福岡市1972年発足の中央区相当地域)
死没地 日本の旗日本福岡県福岡市
職業 俳優、演出家、絵本作家、絵師
ジャンル 演劇
活動期間 1957年 - 2014年
配偶者 あり
主な作品
テレビドラマ
明智探偵事務所』シリーズ
国盗り物語
水色の時
風と雲と虹と
花神
ちりとてちん
坂の上の雲
映画
男はつらいよ 寅次郎夢枕
動乱
男はつらいよ 寅次郎真実一路
ふしぎな岬の物語
 
受賞
紀伊國屋演劇賞
個人賞
1966年、1988年
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米倉 斉加年(よねくら まさかね、1934年7月10日 - 2014年8月26日)は、日本の俳優演出家絵本作家絵師福岡県福岡市(現在の同市中央区)出身。福岡市立警固中学校福岡県立福岡中央高等学校卒業、西南学院大学文学部英文科卒業。

来歴・人物

高等学校ではバスケットボール部で主将を務めた。もとの本名は正扶三(まさふみ)だったが、幼い頃に旅の僧侶により「斉加年」と命名されて以降この名を名乗り続け、後に戸籍上も改名する。

大学在学中に演劇に目覚め、卒業。1957年劇団民藝水品研究所に3期生として入る。1960年には研究所同期の岡村春彦常田富士男らとともに劇団青年芸術劇場(現・シアター青芸)を旗揚げする。劇団民藝に決別宣言をし、「安保闘争のデモは皆勤だった劇団」であったという[1]宇野重吉のアドバイスにより、1965年劇団民藝に復帰(劇団史としてはこのときに入団扱いとなっている)、2000年に退団するまで演出家としても活動した。

繊細な奇人芸術家・善良だが内気なインテリといった役柄を得意としており、特にNHKへの出演は多く、大河ドラマではたびたび大役を演じた。

風と雲と虹と』での国司でありながら将門の乱をたきつける皇族・興世王役での怪演をはじめ、『花神』での桂小五郎役は、本来二枚目人気スターの当たり役なだけに(しかもこのドラマでは準主役的ポジション)、民放や現在のNHKでは考えられない起用であったが、高い知性やリーダーシップと神経質さを併せ持つ桂像を構築して見せた点など、同シリーズでの功績は大きい。

明智探偵事務所』では準レギュラー・「博多訛りの」怪人二十面相役を務めた。

善人としての持ち味は山田洋次がよく活かし、『男はつらいよ』シリーズには2度、恋敵役で登板したほか、カメオ出演風に数回顔出しした(実質、準レギュラー)。山田監督の愛弟子・高橋正圀脚本の『僕の姉さん』でも倍賞千恵子の夫となる美術教師として準主演だった(こちらも善良なインテリキャラクターだった)。他に『沖田総司』の近藤勇役、『動乱』の高倉健吉永小百合に次ぐ三番手ポジションである憲兵役などが映画での大役である。

第1回、第23回紀伊国屋演劇賞、第11回「新劇」演技賞。

いっこく堂について、「私のたった一人の弟子である。彼は魂の芸人である」と述べる。[2]

米倉は役者のほかに絵本作家、絵師としての活動も行っており、ボローニャ国際児童図書展にて、1976年の『魔法おしえます』と1977年の『多毛留』で、2年連続グラフィック大賞を受賞したほど(この展覧会で大賞を2年連続で受賞したのは米倉が初めて)。角川文庫の夢野久作作品など、表紙やイラストも多く手掛けている。

著書『おとなになれなかった弟たちに…』は、中学1年生の国語教科書(光村図書)に採用されている(本文・挿絵とも米倉によるもの)。

「世田谷・九条の会」呼びかけ人を務めていた[3]

2014年8月26日、知り合いの結婚式に出席するため、出身地である福岡市滞在中に宿泊先のホテルで腹痛を訴えた後に倒れて救急車で搬送されたが、同日午後9時33分、腹部大動脈瘤破裂のため、搬送先の同市内の病院で死去[4]。80歳没。通夜・葬儀は、近親者や親族のみで執り行われ、10月13日にお別れの会が開かれた[5]

出演作品

テレビドラマ

映画

舞台

テレビアニメ

劇場アニメ

吹き替え

バラエティ

CM

  • ニビシ醤油(味噌「里ごころ」、「四季のつゆ」他)
  • モランボン 焼肉のたれ「ジャン」(ジャンは生きている)、辛子明太子、キムチ(生き続ける味、朝鮮の味)、焼魚魚刺身のタレ「ジャン」

著書

  • 『Omara & komara』画と話 (東名企画 1972年)
  • 『多毛留(たける)』(偕成社 1976年)『多毛留・おとなになれなかった弟たちに…』(1989年3月 偕成社文庫)
  • 『人魚物語 まさかね絵草紙』(角川書店 1977年)
  • 『憂気世絵草紙』(大和書房 1978年4月)
  • 『大麻羅小麻羅』(未来工房 1979年10月)
  • 『MASAKANE 米倉斉加年画集』(集英社 1981年6月)
  • 『風よついて来い』(松永伍一との対談集 小学館 1983年3月)
  • おとなになれなかった弟たちに…』(偕成社、1983年)
  • 『道化口上』(影書房 1985年8月)
  • 『おんな憂気世絵』(講談社 1986年12月)
  • 『演ずるとは』(旬報社 1997年11月)
  • 『いま、普通に生きる』 (新日本出版社 2006年4月)

挿画

脚注

外部リンク