スポットライト (歴史番組)
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『スポットライト』は、1972年4月6日から1978年3月19日までNHK総合で放送されたテレビ番組である。
概要
[編集]歴史に埋もれた出来事にスポットライトを当てる近現代史番組であった。全208回。レギュラー放送開始前の1972年3月21日に「一枚の小判」が放送されている[1]。
放送時間と司会
[編集]期間 | 司会 | 初回放送時間[注釈 1] | 再放送時間 | ||
---|---|---|---|---|---|
関東[注釈 2] | 東北 | その他の地域[注釈 3] | 全国 | ||
1972年4月 - 1973年3月 | フランキー堺 | 木曜 19:30 - 20:00 | 木曜 19:30 - 20:00 | 木曜 19:30 - 20:00 | 金曜 23:15 - 23:45 |
1973年4月 - 1974年3月 | 永六輔 | 日曜 07:30 - 08:00 | |||
1974年4月 - 1974年9月 | 日曜 07:30 - 08:00 | ||||
1974年10月 - 1975年3月 | 米倉斉加年 | ||||
1975年4月 - 1976年3月 | 赤塚不二夫 | 木曜 23:20 - 23:50 | |||
1976年4月 - 1978年3月 | 鈴木健二 | なし[注釈 4] |
主なテーマ
[編集]放送年・月は本放送日を基準。
- ヨーイ・ドン(1972年4月[注釈 5])
- 三通の戦死公報(1972年5月)
- 消えた名画(1972年5月)
- 発掘(1972年7月)
- 人形流転(1972年8月)
- 折れた指揮棒(1972年10月[注釈 6])
- 人形使節メリー(1973年3月[注釈 7])
- 還ってきたフィルム(1973年5月)
- 幻のツチノコ(1973年6月)
- 密航船水安丸(1973年9月)
- 赤い風船(1973年12月)
- マカルーの旗(1974年1月)
- 咸臨丸はどこへ行った(1)(2)(1974年7月[注釈 8])
- タイムカプセル2600(1974年8月)
- 四つのハーネス(1974年10月)
- 幻の一銭陶貨(1974年12月)
- 碧素誕生(1975年3月)
- 2時17分のいかだ(1975年8月)
- 姫谷焼秘録(1975年9月)
- 諏訪の雷(1976年2月)
- 壁画が…見えた!(1976年7月)
- ソフィアの歌(1976年10月[注釈 9])
- 紙人形 伊勢路のにぎわい(1976年10月)
- 雷電の足袋(1977年4月)
- 天保のわら餅(1977年6月)
番組の現存状況
[編集]以下の11本が現存している(2020年1月17日現在)[4]。日付は本放送日[注釈 1]。
- 変な自転車(1972年4月13日、モノクロ)
- オー・マイ・北斎(1972年11月2日)
- 人形使節メリー(1973年3月15日、視聴者から提供[6])
- われら鎌大生(1975年3月2日・6日)[注釈 10]
- 碧素誕生(1975年3月9日・13日、番組関係者より提供[7])
- 午砲(ドン)と時報(ボン)(1975年6月8日・12日、NHKに保存[4])
- 尋常小学校唱歌 “ふるさと”(1975年9月7日・11日、視聴者から提供、Uマチック、冒頭10分欠落[8])
- 姫谷焼秘録(1975年9月14日・18日、NHKに保存[4])
- 壁画が…見えた!(1976年7月4日・8日)
- アインシュタインの贈り物(1977年12月8日・11日)
- よみがえった無尽灯(1978年3月16日・19日、番組出演者の親族提供[9])-最終回。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ a b 本放送枠が全国一斉放送から「関東(東京ローカル)」(木曜午後7:30)と「それ以外の全国(ネット)」(日曜午前7:30)とに分かれてのち、1976年9月最終週までは初回番組は日曜-木曜の放送順であったが、同年10月第1週から最終回までは木曜-日曜の順になった(1976年10月3日(日曜)に再放送を入れ調整した)。1976年10月の例では、片方が『スポットライト』を放映している時間帯は、もう片方の総合TVは30分の各局地域番組を放送している[5]。
- ^ NHKクロニクルでの表記は「東京ローカル」。
- ^ NHKクロニクルでの表記は「ネット」。
- ^ 不定期・不定局の再放送は時々あった。
- ^ レギュラー放送初回。
- ^ 早慶戦リンゴ事件の際に奪われた、慶大の指揮棒の行方を題材にしたテーマ。
- ^ 昭和2年にアメリカより贈られた「青い目の人形」を題材にしたテーマ。
- ^ (1)「二つの航跡」(2)「最後の乗客名簿」の2回シリーズ。
- ^ 漂流民大黒屋光太夫の生涯と、彼がロシアから日本に持ち帰ったとされる「ソフィアの歌」(『北槎聞略』に歌詞のみカタカナで記録されている)がテーマ。中村喜和らが出演しているが、後年中村に聞き取り取材を行った山下恒夫(在野の光太夫研究家)が、『大黒屋光太夫史料集 第三巻』(日本評論社、2003年)[2]に番組後半の鈴木健二アナの語りの一部を詳細に書き起こしている[3]ことから、中村又は山下が番組の録音テープを保管していたと思われる。歌の復元演奏はロイヤルナイツ。
- ^ いずみたくら鎌倉アカデミア出身者が出演。
出典
[編集]- ^ “スポットライト 「一枚の小判」 | 番組表検索結果詳細”. NHKクロニクル. 2021年6月4日閲覧。
- ^ 山下恒夫「ソフィアの歌をめぐって ‐中村喜和氏に聞く‐」(インタビュー実施は1999年1月、於・中村邸)は、山下編『大黒屋光太夫史料集 第三巻』(日本評論社、2003年5月。ISBN 4-535-06619-1 ) p.669-702 に収録されており、更に巻末の山下による「解題 ソフィアの歌をめぐって」(p.757-758)に、番組「スポットライト」への言及(同頁)とテープ起こし文面(p.758)とが入っている。放送当時は光太夫の伊勢帰郷史料が未発見だったため(10年後の1986年に見つかる)、鈴木アナも当時の通説に従い、帰国後の光太夫が江戸の幕府薬草園に軟禁され「園丁とすら口をきくことは禁じられ」た囚人のような後半生を送ったように語っているが、山下は「帰国後の伊勢二漂民監禁説が、すこぶるセンチメンタルなお涙頂戴物語に仕立てられ、江湖に広く流布していった経緯がよくわかると思われる」(p.758)と鈴木ナレーションへの不満を顕わにしている。また鈴木アナの語りには、帰国後の光太夫が薬草園で妻を迎え「一子をもうけます」(実際は1男1女の2子。←山下編『大黒屋光太夫史料集 第四巻』(日本評論社、2003年6月。ISBN 4-535-06620-5 ) 所収の「東京の史跡と史料」(p.421-460)より「興安寺の過去帳」(p.435-443))という間違いもある。尚、放送年月日が「一九七六年十月十四日、同十九日、同三十日の三回にわたって」とあるが(第三巻 p.756)、これは10月14日(関東)・同17日(関東以外の全国)の間違い。
- ^ 「引用」、即ち著作権上は合法。
- ^ a b c “ユニーク歴史番組『スポットライト』動画公開!”. NHKアーカイブス>NHK番組発掘プロジェクト通信 (2020年1月17日). 2023年6月16日閲覧。
- ^ 朝日新聞東京・大阪・名古屋・西部各本社版および北海道新聞の同年10月14日(木曜)・17日(日曜)のTV番組欄にて確認。17日(日曜)の午前7:30の東京地域の番組は『関東ところどころ』-「赤い靴のふるさと横浜港」。
- ^ NHK (2016年3月18日). “「スポットライト」青い目の人形 山あいの町に再び!”. NHK番組発掘プロジェクト通信. 2021年6月4日閲覧。
- ^ “"碧素"って? ユニーク歴史番組「スポットライト」発掘!”. NHKアーカイブス>NHK番組発掘プロジェクト通信 (2015年7月24日). 2023年6月16日閲覧。
- ^ NHK (2018年3月30日). “唱歌「ふるさと」のルーツを探る『スポットライト』”. NHK番組発掘プロジェクト通信. 2021年6月4日閲覧。
- ^ “「スポットライト」最終回発掘! 幻のノートも!”. NHKアーカイブス>NHK番組発掘プロジェクト通信 (2016年2月19日). 2023年6月16日閲覧。
関連項目
[編集]- 日本史探訪(1970年4月8日 - 1976年3月27日)
- 新日本史探訪(1976年4月27日 - 1978年2月28日)
- 歴史への招待(1978年4月 - 1984年3月)
- 歴史ドキュメント(1984年9月 - 1988年4月)
- 歴史誕生(1988年8月 - 1992年3月)
- 歴史発見(1992年4月 - 1994年3月)
- ライバル日本史(1994年4月 - 1996年3月)
- 堂々日本史(1996年4月 - 1999年3月)
- ニッポンときめき歴史館(1999年4月 - 2000年3月)
- その時歴史が動いた(2000年3月29日 - 2009年3月18日)
- 歴史秘話ヒストリア(2009年4月 - )
外部リンク
[編集]NHK総合 木曜 19:30 - 20:00 | ||
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