「守屋山」の版間の差分
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'''守屋山'''(もりやさん)は、[[長野県]][[諏訪市]]と[[伊那市]]との境にある[[標高]]1,651mの山である<ref name="gsi.go.jp/common/000091072">{{Cite news|url=http://www.gsi.go.jp/common/000091072.pdf|title=標高値を改定する山岳一覧 資料1|publisher=国土地理院|accessdate=2014-03-26}}</ref><ref>GNSS測量等の点検・補正調査による2014年4月1日の国土地理院『日本の山岳標高一覧-1003山-』における改定値。なお、旧版での標高は1,650m。</ref>。 |
2021年5月13日 (木) 23:00時点における版
守屋山 | |
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標高 | 1,650.3 m |
所在地 |
日本 長野県諏訪市・伊那市 |
位置 | 北緯35度58分03秒 東経138度05分36秒 / 北緯35.96750度 東経138.09333度座標: 北緯35度58分03秒 東経138度05分36秒 / 北緯35.96750度 東経138.09333度 |
山系 | 伊那山地 |
守屋山の位置 | |
プロジェクト 山 |
守屋山(もりやさん)は、長野県諏訪市と伊那市との境にある標高1,651mの山である[1][2]。
名称
伝承によると旧名を「
諏訪地方の人々には守屋山を含めた伊那側の山並みを「西山」とも呼ばれている。
概要
伊那山地の最北部にあり、山頂からは、南アルプス、中央アルプス、北アルプス、八ヶ岳連峰といった山々が眺望できる。清流とうたわれる沢川の水源で、もみじ湖(箕輪ダムの人造湖)を経て天竜川に注ぐ。
緑色凝灰岩でできているこの山は、糸魚川静岡構造線と中央構造線が交わる地点にあたり、地質学的にきわめて重要な地域である。
東峰には山頂から少し下ったところに石祠があり、古絵図には「守矢大臣宮」「守矢大神」という名で描かれている。現在は南麓にある守屋神社(伊那市高遠町藤澤区片倉)の奥宮とされている[4]。
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山頂から見た諏訪湖
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山頂直下のラビットハウス
信仰
その名称から「モリヤ」という神(洩矢神あるいは物部守屋)が宿る山として信仰を集めた。
雨乞い信仰
守屋山の神が怒ると雨をもたらすと信じられ、過去には干天が続くと雨乞いとして山頂の祠を谷底に突き落とす習慣があった。現在は祠が柵で囲ってあるのはこれを防ぐためである[5]。
「おじり[注釈 1]晴れ 守屋へ雲を 巻き上げて 百舌鳥きち鳴かば 鎌を研ぐべし」という諺で言われているように、山頂に雲がかかると必ず雨が降ると信じられていたことから、諏訪盆地や伊那谷 に住む人々には古くから気象の予知に用いられた[6]。
磐座信仰
祠に向かって右側にある岩も磐座として信仰の対象であった。かつては守屋山の西側に住む人たちが旧6月朔日に登山して、祠を拝した後に磐座を7回まわって諏訪上社へ参拝するという行事を行い、これを「御七堂」と呼んだ[7]。
磐座の表面には文字らしきものが彫ってあり、祈雨や五穀豊穣を願うまじないの痕跡ではないかと思われる[8]。
諏訪大社上社との関係
近年諏訪上社の神体山とされるが、もともと諏訪明神(建御名方神)の神体は諏訪氏出の大祝であり、歴史的に守屋山を神体とした記録はない。それどころか、山頂の石祠には御柱がなく、諏訪に背を向けている[9]。ただし、宝治3年(1249年)に書かれたといわれる『諏訪信重解状』には、諏訪明神が守屋山の麓に降臨して、この地を治めていた守屋大臣(洩矢神)と覇権争いをした後、上社を構えたという伝承が書かれているため[10][11][12]、必ずしも上社とは全く関係がないとは言えない。
天正10年(1582年)3月、織田信忠の軍勢が上社を焼き討ちした時、神官たちが神輿を担ぎ出し守屋山へ避難したと言われている。この事跡に関係する地名(御輿坂、権祝昼飯場など)が山中に残っている[13]。
寛政12年(1800年)、白銅製の八稜鏡が山に発見され、天正の兵乱の際に紛失した宝物だろうということで上社に寄進された。この鏡は現在は上社本宮の宝物殿に収蔵されている[14]。
御柱祭の時に建て替えられる2つの宝殿の網代天井の一部には、山中の一角に生えている「穂無し萱」が古くから使用されている[15]。
守矢氏と物部氏との関係
諏訪上社に
物部守屋を祀る守屋神社が立つ伊那市の片倉地区にも、物部守屋の子孫と名乗る守屋姓の家が多く存在する[16]。また、山中には鍛冶技術を持った物部氏とは関係があると思われる「
風の三郎信仰
諏訪上社一帯を描いた伝『天正の古図』(『天正のボロボロ絵図』とも[20])から、山中には東日本に知られる風神「風の三郎」を祀る「三郎宮」がかつてあったことが分かる。諏訪上社にはこの社に対する神事が見当たらないため、この痕跡は民間信仰跡だと推測される[21]。
製鉄には風が必要とされたため、鋳物師ヶ釜にいたと思われる鍛冶屋や鋳物師が祀った風の神がそのルーツだったと考えられる[21]。
周辺の山
脚注
注釈
出典
- ^ “標高値を改定する山岳一覧 資料1”. 国土地理院 2014年3月26日閲覧。
- ^ GNSS測量等の点検・補正調査による2014年4月1日の国土地理院『日本の山岳標高一覧-1003山-』における改定値。なお、旧版での標高は1,650m。
- ^ 太田亮 「第七章 祠官」『諏訪神社誌 第1巻』官幣大社諏訪神社附属 諏訪明神講社、1926年、225, 227頁。
- ^ 原正直「守屋山の習俗と伝承」『諏訪学』山本ひろ子編、国書刊行会、2018年、133-137頁。
- ^ 原正直「守屋山の習俗と伝承」『諏訪学』山本ひろ子編、国書刊行会、2018年、141-143頁。
- ^ 原正直「守屋山の習俗と伝承」『諏訪学』山本ひろ子編、国書刊行会、2018年、140-141頁。
- ^ 原正直「守屋山の習俗と伝承」『諏訪学』山本ひろ子編、国書刊行会、2018年、143頁。
- ^ 原正直「守屋山の習俗と伝承」『諏訪学』山本ひろ子編、国書刊行会、2018年、144頁。
- ^ 寺田鎮子、鷲尾徹太『諏訪明神―カミ信仰の原像』岩田書店、2010年、133頁。
- ^ 諏訪市史編纂委員会 編「第二節 諏訪神社上社・下社」『諏訪市史 上巻 (原始・古代・中世)』1995年、682-683頁。
- ^ 宮坂光昭『諏訪大社の御柱と年中行事』郷土出版社、1992年、91-93頁。
- ^ 原正直「守屋山の習俗と伝承」『諏訪学』山本ひろ子編、国書刊行会、2018年、148-149頁。
- ^ 原正直「守屋山の習俗と伝承」『諏訪学』山本ひろ子編、国書刊行会、2018年、134-135頁。
- ^ 原正直「守屋山の習俗と伝承」『諏訪学』山本ひろ子編、国書刊行会、2018年、135頁。
- ^ 原正直「守屋山の習俗と伝承」『諏訪学』山本ひろ子編、国書刊行会、2018年、139頁。
- ^ a b 原正直 「守屋山の習俗と伝承」『諏訪学』 山本ひろ子、2018年、149-154頁。
- ^ 大和岩雄 『信濃古代史考』 名著出版、1990年、110-111頁。
- ^ 田中基「穴巣始と外来魂」『諏訪信仰の発生と展開』 古部族研究会編、人間社〈日本原初考 3〉、2018年、210-212頁。
- ^ 原正直 「守屋山の習俗と伝承」『諏訪学』 山本ひろ子、2018年、157-158頁。
- ^ “上社古図 天正のボロボロ絵図”. 公益財団法人 八十二文化財団 (2018年12月29日). 2018年12月29日閲覧。
- ^ a b 原正直 「守屋山の習俗と伝承」『諏訪学』 山本ひろ子、2018年、158-160頁。
関連図書
- 垣外富士男、津野祐次、中山秀幸『新・分県登山ガイド(改訂版) 15 長野県の山』山と渓谷社、2010年。ISBN 978-4-6350-2365-8。
- 諏訪市史編纂委員会 編『諏訪市史 上巻 (原始・古代・中世)』 、諏訪市、1995年。
- 寺田鎮子、鷲尾徹太『諏訪明神―カミ信仰の原像』岩田書店、2010年。ISBN 978-4-8729-4608-6。
- 徳久球雄、武内正、石井光造 編『三省堂 日本山名事典』三省堂、2004年。ISBN 978-4-3851-5404-6。
- 日本山岳会『新日本山岳誌』ナカニシヤ出版、2005年。ISBN 4-7795-0000-1。
- 日本山岳会東海支部『東海・北陸の200秀山 下(東海・信州編)』中日新聞社、2009年。ISBN 978-4-8062-0599-9。
- 宮坂光昭『諏訪大社の御柱と年中行事』郷土出版社、1992年。ISBN 978-4-8766-3178-0。
- 宮地直一 『諏訪史 第2巻 前編』信濃教育会諏訪部会、1931年。
- 山本ひろ子 編『諏訪学』国書刊行会、2018年。ISBN 978-4-3360-6254-3。
- 『改訂新版 名古屋周辺の山』山と渓谷社、2010年。ISBN 978-4-6351-8017-7。