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「浜離宮恩賜庭園」の版間の差分

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2021年6月20日 (日) 01:30時点における版

浜離宮恩賜庭園
Hama-rikyu Gardens
潮入の池と中島の御茶屋
分類 都立庭園特別名勝特別史跡
所在地
座標 北緯35度39分36秒 東経139度45分49秒 / 北緯35.66000度 東経139.76361度 / 35.66000; 139.76361座標: 北緯35度39分36秒 東経139度45分49秒 / 北緯35.66000度 東経139.76361度 / 35.66000; 139.76361
面積 250,215.72m2(約25ヘクタール
開園 1946年4月1日
運営者 東京都公園協会
2011 - 2015年度指定管理者
設備・遊具 集会場(芳梅亭・中島の御茶屋)など
駐車場 観光バスと障害者の車両のみ可
公式サイト 公式ホームページ
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浜離宮恩賜庭園(はまりきゅう おんし ていえん)は、東京都中央区浜離宮庭園にある都立庭園である。

概要

東京湾から海水を取り入れ潮の干満で景色の変化を楽しむ、潮入りの回遊式築山泉水庭。[1] 江戸時代庭園として造成された。園内には鴨場、潮入の池、茶屋、お花畑やボタン園などを有する。元は甲府藩下屋敷の庭園だったものが、徳川将軍家の別邸浜御殿や、宮内省管理の離宮を経て東京都に下賜され、都立公園として開放された。

近年、かつて園内にあった複数の建築物の再建計画が進められており、2010年に「松の御茶屋」、2015年に「燕の御茶屋」の復元が完了した。2018年4月に「鷹の御茶屋」も完成した[2]。復元予定があった「延遼館」は舛添要一都知事の辞任により未定となっており、「海手御茶屋」の復元が検討中されている。

主な見所

  • 鴨場 - 猟のため作られた。庚申堂鴨場と新銭座鴨場の二つがある。築造は、前者が1778年、後者が1791年。鴨場は池と林を3mほどの土手で囲い、土手には常 緑樹や竹笹を植え、鴨が安心して休息できるように外部と遮断されている。鴨場ではかつて猟が行われていた。その方法は、池に幾筋かの引堀(細い堀)を設け、小のぞきから鴨の様子をうかがいながら、稗・粟などのエサとおとりのアヒルで引掘におびきよせ、機をみて土手の陰から網ですくいとるというものであった[3]
  • 潮入の池 - 海水を引き入れ、潮の干満(水位の上下に従って水門を開閉)による眺めの変化を楽しむことができるようになっている。東京湾からボラ、セイゴ、ハゼ、ウナギなどの魚が入り込んで生育している。江戸時代には釣りが行われていた。現在は禁止されている。池の岩や石にはベンケイガニ、フナムシ、フジツボがなどが見られる[3]
  • 中島 - 潮入の池の中央に位置する小さい島。
  • 中島の御茶屋 - 中島にある休憩所。
  • 松の御茶屋 - 潮入りの池の北東側にある茶屋。(利用不可)
  • 燕の御茶屋 - 潮入りの池の北側にある茶屋。
  • 鷹の御茶屋 - 潮入りの池の北側にある茶屋。
  • 三百年の松 - 江戸時代、徳川家宣が改修したときに植えられたと伝わる。東京都内最大の黒松
  • ボタン園 - 60種800株が植えられている。
  • お花畑 - 季節の花が咲きほこる。
  • - 種類が多いため見頃が比較的長い。春はライトアップされる。
  • 他の樹木 - ケヤキなど多種。園内には多くの大木が残されている。
  • 芳梅亭 - 離宮時代の官舎を修復した集会場。
  • 可美真手命[4] - 芳梅亭の近くにある。
佐野昭作「可美真手命像

ギャラリー

歴史

1654年(承応3年)に甲府藩主の徳川綱重がこの地を拝領し、海を埋め立てて別邸を建てた。その後は甲府藩の下屋敷として使用された。このため甲府浜屋敷海手屋敷と呼ばれるようになった。綱重の子である徳川綱豊が6代将軍(家宣)になったため甲府徳川家は絶家となり[5]将軍家の別邸とされた。浜御殿と改称して大幅な改修が行われ、茶園、火薬所、庭園が整備された。とくに徳川家斉家慶の頃は、将軍の鷹狩の場であった。幕末には、幕府海軍伝習屯所であった。

1729年(享保14年)5月、雄の象がベトナムから運ばれ、浜御殿の小屋で12年を過ごした[6]

慶応2年に着工した石造洋館が、明治2年に外国人接待所「延遼館」として竣工した。延遼館は、明治維新後も鹿鳴館が完成するまでは迎賓館として使用された。明治3年に、宮内省の管轄となり名前も離宮と改められた。明治天皇も度々訪れるようになる。

その後、1923年関東大震災1945年東京大空襲で、大手門や複数の御茶屋や樹木が焼失し、庭園自体も大きく損傷する被害を受けた。

交通

大手門口
中の御門口
水上バス

脚注

  1. ^ 庭園東側の水路は築地川、西側の水路は汐留川の下流部にあたり、水路東側の築地川水門と水路南橋の汐留川水門で隅田川に通じていて潮の干満の影響を受ける。
  2. ^ 浜離宮に「鷹の御茶屋」十一代将軍が創建 休憩所を復元『毎日新聞』朝刊2018年4月20日(東京面)
  3. ^ a b 庭園へ行こう。 浜離宮恩賜庭園”. 東京都公園協会. 2018年5月24日閲覧。
  4. ^ 三島由紀夫の短編小説『離宮の松』では古代の天皇像となっている。
  5. ^ 甲府藩は5代将軍綱吉御側御用人柳沢吉保が入った。
  6. ^ 松島駿二郎 (2008年7月25日). “長崎から江戸まで、象が歩いた”. 日経ビジネスオンライン. 2018年5月31日閲覧。
  7. ^ 小杉雄三『浜離宮庭園』東京公園文庫 12, 1981, p.93.
  8. ^ 「都立公園 無料化が裏目に」『朝日新聞』昭和47年(1972年)6月19日朝刊、24面
  9. ^ “「燕の御茶屋」の復元が終了しましたので、公開を始めます!”. 浜離宮恩賜庭園(公園へ行こう!). (2015年5月27日). http://www.tokyo-park.or.jp/announcement/028/detail/22160.html 2015年5月31日閲覧。 
  10. ^ “燕の御茶屋 よみがえる 浜離宮庭園 30、31日に公開記念イベント”. 東京新聞. (2015年5月30日). http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20150530/CK2015053002000114.html 2015年5月31日閲覧。 

参考文献

  • 小杉雄三『浜離宮庭園』東京公園文庫 12, 郷学舎, 1981.
  • 水谷三公『将軍の庭 ― 浜離宮と幕末政治の風景』中公叢書, 2002.
  • 横浜開港資料館編『F. ベアト写真集 1 ― 幕末日本の風景と人びと』明石書店, 2006. - 英語版に写真あり

関連項目

外部リンク

  • 浜離宮恩賜庭園(東京都公園協会|公園へ行こう!)
  • 浜離宮恩賜庭園(東京都公園協会|庭園へ行こう。)
  • "浜離宮恩賜庭園". TripAdvisor. 2020年4月22日閲覧