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青山公園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
青山公園
Aoyama Park
南地区グランド
青山公園の位置(東京都区部内)
青山公園
分類 総合公園
所在地
座標 北緯35度39分49秒 東経139度43分29秒 / 北緯35.66361度 東経139.72472度 / 35.66361; 139.72472座標: 北緯35度39分49秒 東経139度43分29秒 / 北緯35.66361度 東経139.72472度 / 35.66361; 139.72472
面積 38,465.49m2
開園 1970年昭和45年)6月1日
運営者 東京都公園協会
2011~2015年度指定管理者
駐車場 なし
事務所 青山公園サービスセンター
事務所所在地 東京都港区南青山二丁目32番2号(青山霊園内)
公式サイト 公式サイト
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南地区から見た米軍ヘリポート

青山公園(あおやまこうえん)は、東京都港区にある都立公園(総合公園)である。

公園は、「南地区」(六本木7丁目)と「北地区」(南青山2丁目)という、お互いに500メートル以上離れた2地区に分かれている。北地区は港区が管理する「青葉公園[1]」と入り組んでいる。

南地区

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日本陸軍兵舎の射撃場跡地を公園として整備したもの。道路沿いの西側には球技用フェンスで囲まれた運動場が広がる(ただし高校生以上の野球・バッティングは禁止)。東側は道路側より一段高くなっているが、大部分が赤坂プレスセンター在日米軍ヘリポートに占有されており、遊具や設備は設置されていない。園内北東の高台には展望台と「麻布台懐古碑」が設置されており、隣接する在日米軍ヘリポートを一望できる。

沿革

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1958年昭和33年)に在日米軍が接収解除した旧日本陸軍歩兵第3連隊(三連隊)兵舎敷地の西側(旧裏門・射撃場跡)を東京都が公園として整備し、1970年昭和45年)に開園した。園内の「麻布台懐古碑」は、かつて同地に駐留していた歩兵第3連隊と近衛歩兵第5連隊の関係者有志により1987年昭和62年)8月13日に建立された。なお、現在は旧兵舎敷地の東側(旧正門・兵舎跡)に国立新美術館政策研究大学院大学が建ち、旧兵舎の一部が「国立新美術館別館」として保存されている。

1984年(昭和59年)から、南地区の一部が在日米軍赤坂プレスセンターのヘリポートに占有されている。環状三号線六本木トンネルの工事に伴い、一時的に隣接する青山公園の敷地4,300m2を借用して設置したものだが、1993年平成5年)に工事が完了した後も米軍は周囲のビルが高層化して危険であると主張して返還しなかった。2007年(平成19年)1月12日に東京都は、臨時ヘリポートの返還に替えて代替の公園用地4,700m2の返還と緊急・災害時のヘリポート共同使用を条件に解決を図ることを発表した[2]。4月23日に日米合同委員会で代替地の返還合意がなされた[3]。返還されるのは国立新美術館と環状三号線に挟まれた敷地で、青山公園の一部として追加整備される予定である。港区市民団体は不法占領部分そのものの返還を要求し続けている[4]

年表

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設備

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  • 運動場
  • 遊具広場
  • 石碑(麻布台懐古碑)
  • トイレ

所在地

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北地区

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引揚者住宅の跡地を整備した公園で、別名は「東京都南青山一丁目ひろば」。周辺は東京都住宅供給公社が委託管理する都営住宅地で、公園の敷地はこれらの宅地を取り囲む複雑な形状をしている。遊具は隣接する港区立青葉公園内に設置されている。

設備

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  • こども広場

所在地

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アクセス

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南地区、北地区、いずれも東京都道319号環状三号線沿い。

南地区(日本学術会議前交差点。日本学術会議または隣接の国立新美術館が目印。)

北地区(港区立赤坂図書館そば)

周辺施設

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備考

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脚注

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  1. ^ 青葉公園 港区のウェブサイト 面積:9,752.74平方メートル
  2. ^ 赤坂プレスセンター臨時ヘリポート問題の解決について 東京都知事本局、2007年1月12日。
  3. ^ 赤坂プレスセンターヘリポートの緊急時使用に係る協定締結等について 東京都知事本局、2007年4月23日。
  4. ^ 麻布米軍ヘリ基地撤去実行委員会HP
  5. ^ 青山運動場 港区のウェブサイト
  6. ^ 青山公園 港区立青山公園。港区のウェブサイト

外部リンク

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