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* [[2004年]](平成16年)[[4月1日]] - 廃止<ref name="IMAO-45"/>。 |
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2021年8月14日 (土) 06:53時点における版
寺津駅 | |
---|---|
廃止前の寺津駅(2004年) | |
てらづ TERAZU | |
◄三河楠 (2.0 km) (2.3 km) 西一色► | |
所在地 | 愛知県西尾市寺津町 |
所属事業者 | 名古屋鉄道 |
所属路線 | 三河線(通称海線) |
キロ程 | 26.4 km(知立起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
乗車人員 -統計年度- |
114人/日(降車客含まず) -2003年- |
開業年月日 | 1926年(大正15年)9月1日 |
廃止年月日 | 2004年(平成16年)4月1日 |
寺津駅(てらづえき)は、かつて愛知県西尾市寺津町にあった名古屋鉄道三河線の駅(廃駅)である。
歴史
- 1926年(大正15年)9月1日 - 大浜港(のちの碧南)・神谷(のちの松木島)間(当時:三河鉄道)の開通に伴い開業[1]。
- 1927年(昭和2年)3月25日 - 0.6km西一色寄りに移設[2]。
- 1941年(昭和16年)6月1日 - 三河鉄道が名古屋鉄道に合併。同社三河線の駅となる。
- 1965年(昭和40年)1月1日 - 貨物営業廃止[3]。
- 1969年(昭和44年)7月1日 - 無人化[4]。
- 1990年(平成2年)7月1日 - 碧南・吉良吉田間の電化設備廃止[5]。レールバス(キハ20形)の営業開始[5]。
- 2004年(平成16年)4月1日 - 廃止[1]。
駅構造
廃線前までは4両編成に対応した1面1線ホームのみの地上駅であった。
交換設備の跡や、ホーム待合席の屋根の形状から、かつては島式の1面2線であったことや、ほかにも貨物用ホームがあったことが伺えた。
-
廃止後の寺津駅(2016年)
-
駅跡にあった駐車場
配線図
← 碧南方面 |
→ 吉良吉田方面 |
|
凡例 出典:[6] |
利用状況
- 『名古屋鉄道百年史』によると1992年度当時の1日平均乗降人員は467人であり、この値は岐阜市内線均一運賃区間内各駅(岐阜市内線・田神線・美濃町線徹明町駅 - 琴塚駅間)を除く名鉄全駅(342駅)中278位、 三河線(38駅)中29位であった[7]。
- 『愛知統計年鑑』によると2003年度の乗車人員は1日平均114人であった[8]。2003年度までの1日平均乗車人員は下表の通り。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
1998年 | 177 [9] |
1999年 | 142 [10] |
2000年 | 134 [11] |
2001年 | 127 [12] |
2002年 | 118 [13] |
2003年 | 114 [8] |
駅周辺
- 市立寺津小学校
- 市立寺津中学校
- 寺津公民館
ふれんどバス
三河線の碧南・吉良吉田間の廃止に伴う代替バスで、旧沿線自治体で構成するふれんどバス運行協議会からの委託によりバス会社が運行している。
-
寺津二ツ家バス停
-
寺津神社前バス停
-
巨海バス停
-
刈宿バス停
隣の駅
その他
北寺津駅
寺津駅は当初0.6km三河楠寄りにあり、1927年(昭和2年)3月25日に廃止時の位置へと移転した[2]。その後、同年7月25日には移転後の寺津駅から三河楠寄り0.5kmの位置に北寺津駅が設置されている[14]。
北寺津駅は1944年に休止され1969年4月25日正式に廃止となるが、三河鉄道時代のホームは廃止後もそのまま残されていた[15]。
寺津高架橋
西三河南部地域から衣浦トンネルを通り、中部国際空港への主要アクセス道路となる都市計画道路衣浦岡崎線への踏切設置を避けるため、寺津・三河楠間におよそ21億円の費用をかけて鉄道高架橋が建設され、1998年11月に供用開始となった。しかし、間もなくして名鉄は三河線の区間廃止を表明したため、わずかな期間しか利用されなかったので批判が噴出した。
-
北寺津駅の遺構[15]
-
寺津高架橋
-
県道41号線をオーバークロスしている寺津高架橋(2016年)
脚注
- ^ a b 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 7 東海、新潮社、2008年、45頁。ISBN 978-4107900258。
- ^ a b 日本鉄道旅行地図帳 追加・訂補 7号 東海 - 鉄道フォーラム
- ^ 神谷力(編)『三河を走って85年―三河線・挙母線とともに歩んだ郷土の歴史と文化』郷土文化社、2000年、88頁。ISBN 978-4876701292。
- ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、870頁。
- ^ a b “三河線も一部ワンマンに 名鉄、来月レールバス投入”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1990年6月23日)
- ^ 電気車研究会、『鉄道ピクトリアル』通巻第473号 1986年12月 臨時増刊号 「特集 - 名古屋鉄道」、付図「名古屋鉄道路線略図」
- ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、651-653頁。
- ^ a b 平成17年度刊愛知県統計年鑑 第10章 運輸,通信 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
- ^ 平成12年度刊愛知県統計年鑑 第10章 運輸,通信 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
- ^ 平成13年度刊愛知県統計年鑑 第10章 運輸,通信 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
- ^ 平成14年度刊愛知県統計年鑑 第10章 運輸,通信 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
- ^ 平成15年度刊愛知県統計年鑑 第10章 運輸,通信 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
- ^ 平成16年度刊愛知県統計年鑑 第10章 運輸,通信 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
- ^ 鉄道省 編 『鉄道停車場一覧 昭和12年10月1日現在(国立国会図書館デジタルコレクション)』、川口印刷所出版部、1937年、355頁
- ^ a b 新實守 著「三鉄ものがたり」、徳田耕一 編『名鉄の廃線を歩く』JTB、2001年、151頁。ISBN 978-4533039232。