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「玉津浦駅」の版間の差分

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* [[1966年]](昭和41年) - 無人化<ref>{{Cite book|和書|author=神谷力(編)|year =2000|title = 三河を走って85年―三河線・挙母線とともに歩んだ郷土の歴史と文化|publisher =郷土文化社|isbn = 978-4876701292|page=106}}</ref>。
* [[1966年]](昭和41年) - 無人化<ref>{{Cite book|和書|author=神谷力(編)|year =2000|title = 三河を走って85年―三河線・挙母線とともに歩んだ郷土の歴史と文化|publisher =郷土文化社|isbn = 978-4876701292|page=106}}</ref>。
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<!--* [[1967年]](昭和42年)頃 - 駅舎解体<ref name="M100-123"/>。-->
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* [[2004年]](平成16年)[[4月1日]] - 廃止<ref name="IMAO-45"/>。



2021年8月14日 (土) 06:53時点における版

玉津浦駅
廃止前の玉津浦駅入口(2004年)
たまつうら
TAMATSU-URA
碧南 (0.7 km)
(0.9 km) 棚尾
所在地 愛知県碧南市塩浜町
北緯34度52分02秒 東経136度59分08秒 / 北緯34.867326度 東経136.985655度 / 34.867326; 136.985655座標: 北緯34度52分02秒 東経136度59分08秒 / 北緯34.867326度 東経136.985655度 / 34.867326; 136.985655
所属事業者 名古屋鉄道
所属路線 三河線(通称海線)
キロ程 19.2 km(知立起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度-
32人/日(降車客含まず)
-2003年-
開業年月日 1926年(大正15年)9月1日
廃止年月日 2004年(平成16年)4月1日
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地図
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1.5 km
2
1
地図
1
玉津浦駅
2
玉津浦海岸駅(痕跡無し)

玉津浦駅(たまつうらえき)は、かつて愛知県碧南市塩浜町3丁目にあった名古屋鉄道三河線廃駅)である。

歴史

駅構造

ホーム1面1線の停留場であった。晩年はホームに上屋はなかった。かつて当駅付近より貨物線(大浜臨港線運送の専用線)が伸びていた。

配線図

玉津浦駅 構内配線略図

碧南駅
玉津浦駅 構内配線略図
吉良吉田方面
凡例
出典:[7]


大浜臨港線運送専用線

玉津浦駅から字大水落(現・岬町2丁目)まで伸びていた貨物側線は「大浜臨港線運送」が所有する専用線であり、大浜口支線と同じく衣浦港船運と鉄道とを中継するために建設された(大浜口支線が堀川で接続したのに対し、当側線は蜆川で接続した)。この側線には特別な名前も無く、一方で碧南駅 - 玉津浦駅間にあった大浜口支線の別称「大浜臨港線」が会社名と被っていた事もあり、両者は混同されやすい[2]

大浜口支線と異なり戦後まで存続し、玉津浦海水浴場への臨時輸送として旅客電車が走った事もあったが、伊勢湾台風の被災により廃止された[2]

利用状況

  • 『名古屋鉄道百年史』によると1992年度当時の1日平均乗降人員は83人であり、この値は岐阜市内線均一運賃区間内各駅(岐阜市内線・田神線・美濃町線徹明町駅 - 琴塚駅間)を除く名鉄全駅(342駅)中338位、 三河線(38駅)中38位であった[8]
  • 『愛知統計年鑑』によると2003年度の乗車人員は1日平均32人であった[9]。2003年度までの1日平均乗車人員は下表の通り。
年度 1日平均
乗車人員
1998年 38 [10]
1999年 35 [11]
2000年 36 [12]
2001年 38 [13]
2002年 34 [14]
2003年 32 [9]

駅周辺

隣の駅

名古屋鉄道
三河線(廃止区間)
碧南駅 - 玉津浦駅 - 棚尾駅
大浜臨港線運送
専用線
玉津浦駅 - 玉津浦海岸駅(臨時旅客輸送時の駅名[2]

脚注

  1. ^ a b 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 7 東海、新潮社、2008年、45頁。ISBN 978-4107900258 
  2. ^ a b c d e 棚尾の歴史を語る会 テーマ82 「大浜臨港線運送株式会社」 - 第50回 棚尾の歴史を語る会 次第” (PDF). 碧南市. 2019年3月31日閲覧。
  3. ^ 神谷力(編)『三河を走って85年―三河線・挙母線とともに歩んだ郷土の歴史と文化』郷土文化社、2000年、235頁。ISBN 978-4876701292 
  4. ^ 神谷力(編)『三河を走って85年―三河線・挙母線とともに歩んだ郷土の歴史と文化』郷土文化社、2000年、106頁。ISBN 978-4876701292 
  5. ^ a b “三河線も一部ワンマンに 名鉄、来月レールバス投入”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1990年6月23日) 
  6. ^ 碧南の名鉄三河線廃線跡に遊歩道 中日新聞 2016年3月30日付け記事
  7. ^ 電気車研究会、『鉄道ピクトリアル』通巻第473号 1986年12月 臨時増刊号 「特集 - 名古屋鉄道」、付図「名古屋鉄道路線略図」
  8. ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、651-653頁。 
  9. ^ a b 平成17年度刊愛知県統計年鑑 第10章 運輸,通信 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
  10. ^ 平成12年度刊愛知県統計年鑑 第10章 運輸,通信 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
  11. ^ 平成13年度刊愛知県統計年鑑 第10章 運輸,通信 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
  12. ^ 平成14年度刊愛知県統計年鑑 第10章 運輸,通信 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
  13. ^ 平成15年度刊愛知県統計年鑑 第10章 運輸,通信 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
  14. ^ 平成16年度刊愛知県統計年鑑 第10章 運輸,通信 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員

関連項目