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「鞍馬 (巡洋戦艦)」の版間の差分

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2021年9月18日 (土) 07:15時点における版

鞍馬
呉軍港に停泊する鞍馬(1913年6月18日)[1]
呉軍港に停泊する鞍馬(1913年6月18日)[1]
基本情報
建造所 横須賀海軍工廠[2]
運用者  大日本帝国海軍
艦種 一等巡洋艦[3](装甲巡洋艦[4])
巡洋戦艦[5]
母港 横須賀[6][2]
艦歴
計画 明治37年臨時軍事費[7]
発注 1905年1月31日製造訓令[4]
起工 1905年8月23日[8][9]
進水 1907年10月21日[10][9]
竣工 1911年2月28日[11][9]
除籍 1923年9月20日[12]
その後 解体
要目
排水量 14,500英トン[13]
1920年時:14,600英トン[2]
常備排水量 14,636英トン[9]
新造公試時:15,594英トン[14]
全長 485 ftin (147.83 m)[15]
水線長 (451 ft 0 in (137.46 m)[注釈 1])
垂線間長 450 ftin (137.16 m)[13][2][9][15]
最大幅 75 ft 6 in (23.01 m)[13][2][15]
または 75 ft 4+78 in (22.98 m)[9]
深さ 42 ft 2+38 in (12.86 m)[13]
または 42 ft 2+14 in (12.86 m)[15]
または 44 ft 0 in (13.41 m)[9]
吃水 26 ft 0 in (7.92 m)[2]
または 26 ft 1+58 in (7.97 m)[13][9]
または 26 ft 1 in (7.95 m)[15]
新造公試時:27 ft 3+14 in (8.31 m)[14]
ボイラー 宮原式混焼 単面28基[16]
1920年時:同 18基[2][9]
主機 直立4気筒3段レシプロ[2]
推進 2軸(外回り[16]) x160rpm[9][9]
出力 計画:22,500実馬力[13][2][16]
公試:23,081実馬力[16]
速力 計画:21.25ノット[2][9][注釈 2]
燃料 1920年:石炭1,868トン、重油288トン[2][9]
乗員 計画乗員:844名[9]
竣工時定員:842名[17]
1920年調:817名[2]
兵装 竣工時
45口径12インチ(速射[13])砲 連装2基4門[9]
45口径8インチ(速射[13])砲 連装4基8門[9]
4.7インチ(速射)砲 単装14門[9][13]
1号短3インチ砲 4門[18]
(または3インチ単装砲 8門[19]、または6門[9])
安式[20]18インチ水中発射管 舷側2門、艦尾1門[21][13][9]
三八式二号[20]18インチ魚雷 6本[21]
14インチ魚雷 4本(艦載水雷艇用)[21]
探照灯 90cm4基、75cm 1基[22]
1920年[2]
四一式30cm砲 4門
四一式20cm砲 8門
四一式12cm砲 14門
四一式8cm砲(子砲) 4門
四一式短8cm砲 4門
麻式6.5mm機砲 3挺
水中発射管 3門
探照灯 5基
装甲 舷側:7in(177.8mm)-4in(101.6mm)[23]KC鋼[9][注釈 3]
甲板:3in(76.2mm)[23]
砲塔:7in(177.8mm)-5in(127mm)[23]
司令塔:8in(203.2mm)[23]
バーベット 125-180mm[要出典]
または、水平防御平坦部2in、傾斜部2in、水線甲帯7in、上甲帯5in、砲台5in、露砲塔7in[13]
搭載艇 1921年:11隻[2]
1922年[24]:56ft(フィート)ペデットボート(艦載水雷艇)1隻、40ft小蒸気船2隻、40ft内火艇1隻、30ftカッター4隻、30ft通船2隻、20ft通船1隻
その他 (無線)略符号:GKM(1908年10月28日-)[25]
(無線)略符号:JGR(1913年1月1日-)[26]
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鞍馬(くらま)は[27]日本海軍巡洋戦艦(建造時は装甲巡洋艦[3][5]。艦名は鞍馬山に由る[28]伊吹と姉妹艦[29]

艦歴

建造

1904年(明治37年)日露戦争による臨時軍事費により予算成立[7]1905年(明治38年)1月31日、横須賀宛に製造の訓令が出された[4]。同年6月11日、日本海軍は寅号装甲巡洋艦の艦名を「鞍馬」と内定する(第一号装甲巡洋艦は伊吹を予定)[30]8月23日、寅号装甲巡洋艦は横須賀海軍工廠で起工[28]1907年(明治40年)10月21日午後3時7分[10]、(第3船台より[31])進水[28][32]。進水式には明治天皇皇后(のち昭憲皇太后)が臨席した[32][33]。進水重量は6,380英トン、横須賀での主力艦進水は既に薩摩で経験しており、鞍馬は順調に進水した[34] 。同日附で寅号装甲巡洋艦は制式に「鞍馬」と命名[27]。一等巡洋艦に類別される[3]1911年(明治44年)2月28日、竣工[28]。計画時点では、香取型戦艦に準ずる砲力を持つ高速艦であったが、ドレッドノートの出現により、進水時点で既に旧式艦としての性格を帯びた艦となった。翌3月1日第2艦隊に編入された[35]

遣英艦隊

就役直後にジョージ5世の戴冠記念観艦式に参加するため、本艦は「利根」とともに遣英艦隊(司令長官:島村速雄中将)を編成した[28]1911年(明治44年)3月下旬、島村中将及び鞍馬・利根乗組員は明治天皇に拝謁する[36][37]。 4月1日、巡洋艦2隻(鞍馬、利根)は横須賀を出港[38]。6月24日にスピットヘッドでの観艦式に参加[28]。11月22日(または12日[39])、横須賀に帰投した[40]。12月1日、第2艦隊を外れた[41]

1912年度

1912年(明治45年)2月20日、主砲塔上に3インチ子砲装備の訓令が出された[42]

同年(大正元年)8月28日、日本海軍は艦艇類別等級表を改訂する[43]。伊吹以下4隻(筑波生駒鞍馬伊吹)が巡洋戦艦に類別された[44][5]

12月1日、第1艦隊に編入された[45]

1913年度

1913年(大正2年)2月10日打狗を出港、南方面の警備を行い17日馬公に帰着した[39]

第一次世界大戦

1914年(大正3年)8月10日第2艦隊に編入[46]、 8月18日時点では、金剛比叡、鞍馬、筑波の4隻で第1艦隊第3戦隊を編制していた[47]。同日佐世保を出港し、以後東シナ海の警備を行った[39]。8月23日に日本はドイツに宣戦布告し、第一次世界大戦に参戦した。

9月14日に鞍馬(旗艦)、筑波、浅間、第16駆逐隊(海風山風)、南海丸、遠海丸で第1南遣枝隊を編成、17日に二見港を出港し[39]、通商保護とマリアナ諸島及びカロリン諸島の占領支援に従事した[28]。翌1915年(大正4年)1月17日、横須賀軍港に帰港した[39]

1915年度

1915年(大正4)年5月7日呉港を出港し、揚子江方面の警備を行い、11日中甑浦に帰着した[39]。5月20日、第3戦隊旗艦となる[48]

呉出港前の5月4日、鞍馬のビルジキール改造が訓令された[49]。在役中のまま都合を見て速やかに工事を行い、艦隊に復帰することが希望され[50]、 9月8日にビルジキール改造後の公試運転が行われた[51][52]

10月9日横須賀で、第3戦隊旗艦は安芸から鞍馬に変更となった[53]

1916年度

1915年(大正4年)12月13日、第1艦隊第2戦隊に編入、第2戦隊は鞍馬と生駒の2隻編制になった[54]。12月15日、第2戦隊旗艦となる[55]

1917年度

1916年(大正5年)12月1日、第2戦隊を外れる[56]1917年(大正6年)7月23日、において大正6年度予算により大修理(機関総検査)他を行う訓令が出され[57]ビルジキール後端を147フレームから更に3フレーム延長する工事も行われた[58]1918年(大正7年)3月まで、大修理(大改造)を施行した[2]。3月26日行われた修理公試は19.879ノットの成績だった[59]

1918年度

1918年(大正7年)4月1日、第3艦隊第5戦隊に編入[60]。5月18日、応用教練射撃実行のため鎮海西湾から単独出港中の9時10分、巨済島東岸で海図に無い暗礁に触れた[61]。右舷ビルジキール下方、ビーム40番から60番までのリベット列が切断、最大幅約6インチ(約15cm)の破口が出来[62]、二重底などに浸水した[63]。 5月18日から28日まで鎮海要港部修理工場で応急修理を行い、29日佐世保に帰着した[64]。鎮海で応急修理中の7月25日、第5戦隊を外れた[65]

同年12月1日、第3艦隊第5戦隊に復帰、第5戦隊は鞍馬、伊吹、三笠の3隻編制となった[66]

1919年度

シベリア出兵の支援に参加した[67]。6月22日大湊を出港しロシア沿岸を航行、7月17日清津に帰着した[39]

1919年(大正8年)8月19日から25日の間、伊吹、鞍馬、明石の3隻は富山県伏木石川県穴水輪島金石港を訪問した[68]。24日25日に金石港に停泊した際は、伊吹、鞍馬の乗員約500名が上陸し金沢市を訪れた[69]。この2日間で一般公開の参加者は約2万人となった[70]

同年9月から10月、40cm信号用探照灯2基を佐世保海軍工廠で設置した[71]

1920年度

前年に引き続きシベリア出兵の支援に参加した[67]1920年(大正9年)5月22日小樽を出港しロシア沿岸を航行、7月17日小樽に帰着[39]。7月25日小樽を出港し、10月10日大泊に帰着[39]。10月13日大泊を出港し、10月20日小樽に帰着した[39]

12月1日、第5戦隊を外れた[72]。以後、艦隊編入(就役)は無い[73]

1921年度

1921年(大正10年)、海軍思想普及のため、呉鎮守府管轄1府10県の地方官公使と青年団長や新聞記者などを便乗させ、3月下旬の約1週間、朝鮮半島南部を巡航した[74]。3月24日呉港で便乗者310名を乗せて、午前7時18分出港、戦闘訓練や艦内見学を行い[75]3月25日7時34分鎮海に入港、便乗者は上陸し汽車で京城へ向かった[76]。鞍馬は3月28日釜山に回航、同地で一般公開を行った[77]。京城から戻った便乗者が夕方再び鞍馬に乗艦し、午後8時2分出港した[77]。3月29日午後4時58分別府に入港、便乗者の一部が退艦した[78]。翌30日午後8時47分別府を出港[79]、31日第一艦隊の訓練を見学し、午前8時55分呉に入港、便乗者が上陸し巡航は終了した[80]

また、大分県主催で第14回九州沖縄8県連合共進会が開催され[81]、4月上旬から約10日間、大分港宇和島港に鞍馬が回航することが決まった[82]。4月11日呉発[83]周防(11日福岡[83])と共に大分港に停泊した[84]。周防は12日大分港を出港したが[85]、鞍馬は21日まで停泊、22日[86]から26日まで宇和島港に停泊した[87]。27日三津浜港(松山港)に寄港[88]、29日には呉港に帰着した[89]

廃棄

1922年(大正11年)2月6日締結のワシントン海軍軍縮条約により廃棄が決定[28]。鞍馬は10月の時点で第4予備艦となって[90]佐世保軍港に繋留されたおり[91]、定員は102名(艦長と機関長は欠員の予定)となっていた[92]

1923年(大正12年)9月20日、除籍[12]。艦艇類別等級表からも削除された[93][94]。旧鞍馬の兵装撤去工事は佐世保海軍工廠で行われ、11月8日までに魚雷発射管の陸揚げは終了[95]、続けてボイラーの陸揚げを11月9日から[96]29日まで行った[97]1925年(大正14年)1月19日、神戸製鋼所で解体は完了した[67]

艦長

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長
艦長
  • 西山保吉 大佐:1910年5月5日 - 1911年1月16日 *兼横須賀海軍工廠艤装員
  • 石井義太郎 大佐:1911年1月16日 - 12月1日 *兼横須賀海軍工廠艤装員
  • 秀島成忠 大佐:1911年12月1日 - 1912年6月18日
  • 永田泰次郎 大佐:1912年6月18日 - 1913年12月1日
  • 榊原忠三郎 大佐:1913年12月1日 - 1914年4月21日
  • (兼)町田駒次郎 大佐:1914年4月21日 - 5月27日
  • 志津田定一郎 大佐:1914年5月27日 - 1915年9月1日
  • 斎藤半六 大佐:1915年9月1日 - 1916年12月1日
  • (兼)大内田盛繁 大佐:1916年12月1日 - 1917年2月13日
  • 森本義寛 大佐:1917年2月13日 - 10月10日
  • 別府友次郎 大佐:1917年12月1日[98] - 1919年11月20日[99]
  • 井手元治 大佐:1919年11月20日 - 1920年11月20日
  • 寺岡平吾 大佐:1920年11月20日 - 1921年12月1日
  • 河合退蔵 大佐:1921年12月1日 - 1922年4月1日
  • 高倉正治 大佐:1922年4月1日[100] - 1922年11月10日[101]
  • (兼)小泉親治 大佐:1922年11月10日 - 12月1日
  • (兼)広沢恒 大佐:1922年12月1日[102] - 1923年4月1日[103]
  • (兼)安部隆吉 大佐:1923年4月1日[103] -

公試成績

実施日 種類 排水量 回転数 出力 速力 場所 備考 出典
1915年9月8日 全力 吃水:26'-10" 148rpm 21,700馬力 20.371ノット ビルジキール改造後の公試 [52]
同上 3/5 同上 130rpm 13,700馬力 18.430ノット 同上 [52]
1918年3月26日 修理公試 15,410英トン 144.3rpm 22,450馬力 19.879ノット 伊予灘 [59]

ギャラリー

脚注

注釈

  1. ^ #日本の戦艦(上)2001p.107による。しかし垂線間長、全長と比較すると明らかに短く、数値に疑問がある。
  2. ^ #日本近世造船史明治(1973)355-358頁では計画20ノットとなっている。
  3. ^ #昭和造船史1pp.776-777、では8インチとなっている。

出典

  1. ^ a b #海軍艦艇史1p.126、No.1155の写真解説。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その一「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その一 軍艦」
  3. ^ a b c #達明治40年10月p.22『達第百十九號 艦艇類別等級別表中巡洋艦ノ欄一等ノ下「生駒」ノ次ニ「鞍馬」ヲ加フ 明治四十年十月二十一日 海軍大臣男爵 齋藤實』
  4. ^ a b c #M44公文備考19/製造命令及予算等進水式関係(2画像6-10、明治38年1月31日官房機密第164号「臨時群費ヲ以テ製造スヘキ寅号装甲巡洋艦別紙図面製造方法書及豫算書ニ基キ所属工廠ヲシテ製造セシムヘシ 明治三十八年一月三十一日 海軍大臣 横須賀鎮守府司令長官アテ 備考 臨時軍事費艦艇補足費デ製造スヘキ装甲巡洋艦四隻ヲ子号、丑号、寅号、卯号トシ子、丑ノ二隻ハ呉工廠デ製造中ナリ故ニ本訓令分ヲ寅号トス」
  5. ^ a b c #達大正1年8月p.33『達第十二號 艦艇類別等級別表ノ通改正ス 大正元年八月二十八日 海軍大臣男爵 斎藤實|艦艇類別等級表|軍艦|巡洋戦艦| |筑波、生駒、鞍馬、伊吹|』
  6. ^ #内令提要7版/艦船(1)画像1-3、艦艇本籍別一覧表 大正四年四月一日調。
  7. ^ a b #戦史叢書31海軍軍戦備1pp.229-231
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    艦名考山名に採る、鞍馬山は山城國に在り、京都の北3里なり、古名暗部山、後世山谷の形状に附會し鞍馬の字を選ぶと云ふ、半腹に鞍馬寺あり。
    艦歴明治44年2月下旬竣工し、同年4月1日横須賀發、英國皇帝戴冠式に際し、6月24日同國「スピットヘッド」に於て擧行の観艦式参列の爲め利根と共に英國に回航(第二艦隊司令長官中将島村速雄引率、艦長大佐石井義太郎)。大正元年8月巡洋戰艦に列す(昭和8年類別標準の改正により戰艦となる)。同3年乃至9年戰役(日獨)に從軍:同3年9月第一南遣支隊に属し「マーシャル」・東「カロリン」群島方面の警戒竝に占領に任ず(艦長大佐志津田定一郎)、同12年9月20日除籍、廢棄(華府海軍々備制限條約に由る)。
    ―要目― 長485呎/幅75.5呎/吃水26呎/排水量14,600噸/機關 往復關機2基、宮原式罐/馬力22,500/速力21.25/乗組人員817/船材 鋼/兵装 12吋4/8吋8/4.7吋砲14/12听砲8/機關砲4/發射管3/起工 明治38-8-23/進水 同40-10-21/竣工 同44-2-28/建造所 横須賀工廠』
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  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 「思い出の日本軍艦 訪欧時の『鞍馬』と『利根』」『世界の艦船』第607集(2003年2月号)海人社
  • 造船協会『日本近世造船史 明治時代』 明治百年史叢書、原書房、1973年(原著1911年)。 
  • 福井静夫『海軍艦艇史 1 戦艦・巡洋戦艦』KKベストセラーズ、1974年8月。ISBN 4-584-17013-4 
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  • (社)日本造船学会/編『昭和造船史(第1巻)』 明治百年史叢書 第207巻(第3版)、原書房、1981年(原著1977年10月)。ISBN 4-562-00302-2 
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  • 官報

関連項目