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休養を終えて4歳緒戦は5月のブリガディアジェラードステークス (G3)から始動したが、[[チマデトリオンフ]]のハナ差の2着に敗れた。続く7月4日の[[エクリプスステークス]]では[[二冠馬]][[シーザスターズ]]の3着だった。そして7月25日の[[キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス]]では1番人気に支持され、レースでは2着の[[タータンベアラー]]に1馬身3/4差をつけ優勝、G1・3勝目を挙げた。その後、ぶっつけで[[凱旋門賞]]に挑んだが[[シーザスターズ]]の4着に敗れた。
休養を終えて4歳緒戦は5月のブリガディアジェラードステークス (G3)から始動したが、[[チマデトリオンフ]]のハナ差の2着に敗れた。続く7月4日の[[エクリプスステークス]]では[[二冠馬]][[シーザスターズ]]の3着だった。そして7月25日の[[キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス]]では1番人気に支持され、レースでは2着の[[タータンベアラー]]に1馬身3/4差をつけ優勝、G1・3勝目を挙げた。その後、ぶっつけで[[凱旋門賞]]に挑んだが[[シーザスターズ]]の4着に敗れた。


凱旋門賞後の[[10月29日]]、翌[[2010年]]から日本の[[ビッグレッドファーム]]で種牡馬となることが発表された。その後、ブリーダーズカップ・ターフでは道中最後方追走から徐々に進出すると、大逃げを打った{{仮リンク|プレシャスパッション|en|Presious Passion|label=プレシャスパッション}}をゴール前で交わして優勝、史上2頭目の連覇を飾った。引退レースとなった[[ジャパンカップ]]では同年キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス・BCターフの覇者の参戦ということで大いに注目が集まった。人気も[[ウオッカ]]、[[オウケンブルースリ]]に次ぐ3番人気となった。道中はやや後方待機で直線で追い上げるも、ウオッカ、オウケンブルースリをとらえられず、[[レッドディザイア]]に交わされ4着に敗れた。
凱旋門賞後の[[10月29日]]、翌[[2010年]]から日本の[[ビッグレッドファーム]]で種牡馬となることが発表された。その後、ブリーダーズカップ・ターフでは道中最後方追走から徐々に進出すると、大逃げを打った{{仮リンク|プレシャスパッション|en|Presious Passion|label=プレシャスパッション}}をゴール前で交わして優勝、史上2頭目の連覇を飾った。引退レースとなった[[ジャパンカップ]]では同年キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス・BCターフの覇者の参戦ということで大いに注目が集まった。人気も[[ウオッカ (競走馬)|ウオッカ]]、[[オウケンブルースリ]]に次ぐ3番人気となった。道中はやや後方待機で直線で追い上げるも、ウオッカ、オウケンブルースリをとらえられず、[[レッドディザイア]]に交わされ4着に敗れた。


=== 競走成績 ===
=== 競走成績 ===
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|2009年11月{{0}}7日||サンタアニタパーク||BCターフ||style="color:#f00"|GI||芝12f||style="color:#f00"|1着||R.ムーア||1/2馬身|| (Precious Passion)
|2009年11月{{0}}7日||サンタアニタパーク||BCターフ||style="color:#f00"|GI||芝12f||style="color:#f00"|1着||R.ムーア||1/2馬身|| (Precious Passion)
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|2009年11月29日||[[東京競馬場|東京]]||[[ジャパンカップ|ジャパンC]]||style="color:#f00"|GI||芝2400m||4着||R.ムーア||2 3/4馬身||[[ウオッカ]]
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2021年11月10日 (水) 00:33時点における版

コンデュイット
2008年ブリーダーズカップ・ターフ
(2008年10月25日)
欧字表記 Conduit
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛[1]
生誕 2005年3月23日[1]
死没 2020年6月17日(15歳没)[2]
Dalakhani
Well Head
母の父 Sadler's Wells
生国 アイルランドの旗 アイルランド
生産者 Ballymacoll Stud Farm Ltd.[1]
馬主 Ballymacoll Stud[1]
調教師 Sir Michael R.Stouteイギリス[1]
競走成績
生涯成績 15戦7勝[1]
獲得賞金 3,551,847ポンド(イギリス)
※英ポンド換算[1]
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コンデュイット (Conduit2005年3月23日 - 2020年6月17日) は、イギリス競走馬種牡馬である。2008年セントレジャーステークスブリーダーズカップ・ターフ2009年キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス、ブリーダーズカップ・ターフを制した。

経歴

2007年

2007年8月にデビューし、初勝利に3戦を要しそのまま2歳シーズンを終える。

2008年

2008年は6月に2勝目を挙げると、同月に行われたG2競走キングエドワード7世ステークスで2着と好走し、翌月にはG3競走ゴードンステークスを僅差ながら勝利する。続いて、三冠最終戦セントレジャーステークスに出走し、5番人気ながら早めに抜け出すと、後続を寄せ付けずに3馬身差の快勝。さらにブリーダーズカップ・ターフも快勝し、史上はじめてセントレジャーの勝ち馬がBCターフを制した。同年のエクリプス賞最優秀芝牡馬を受賞した。

2009年

休養を終えて4歳緒戦は5月のブリガディアジェラードステークス (G3)から始動したが、チマデトリオンフのハナ差の2着に敗れた。続く7月4日のエクリプスステークスでは二冠馬シーザスターズの3着だった。そして7月25日のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスでは1番人気に支持され、レースでは2着のタータンベアラーに1馬身3/4差をつけ優勝、G1・3勝目を挙げた。その後、ぶっつけで凱旋門賞に挑んだがシーザスターズの4着に敗れた。

凱旋門賞後の10月29日、翌2010年から日本のビッグレッドファームで種牡馬となることが発表された。その後、ブリーダーズカップ・ターフでは道中最後方追走から徐々に進出すると、大逃げを打ったプレシャスパッション英語版をゴール前で交わして優勝、史上2頭目の連覇を飾った。引退レースとなったジャパンカップでは同年キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス・BCターフの覇者の参戦ということで大いに注目が集まった。人気もウオッカオウケンブルースリに次ぐ3番人気となった。道中はやや後方待機で直線で追い上げるも、ウオッカ、オウケンブルースリをとらえられず、レッドディザイアに交わされ4着に敗れた。

競走成績

出走日 競馬場 競走名 距離 着順 騎手 着差 1着(2着)馬
2007年08月10日 ニューマーケット メイドン 芝7f 7着 R.ムーア 2 3/4馬身 Tanweer
2007年08月29日 ケンプトン メイドン AW8f 3着 R.ムーア 2 1/2馬身 City of the Kings
2007年09月22日 ウルヴァーハンプトン メイドン AW8f141y 1着 J.スペンサー 3/4馬身 (Oberlin)
2008年04月25日 サンダウン ハンデキャップ競走 芝10f7y 3着 R.ムーア 2 1/2馬身 Colony
2008年06月07日 エプソム ヘリテージH 芝10f18y 1着 R.ムーア 6馬身 (Ramona Chase)
2008年06月20日 アスコット キングエドワードVIIS G2 芝12f 2着 R.ムーア 3/4馬身 Campanologist
2008年07月29日 グッドウッド ゴードンS G3 芝12f 1着 R.ムーア アタマ (Donegal)
2008年09月13日 ドンカスター セントレジャーS G1 芝14f132y 1着 L.デットーリ 3馬身 (Unsung Heroine)
2008年10月25日 サンタアニタ BCターフ GI 芝12f 1着 R.ムーア 1 1/2馬身 (Eagle Mountain)
2009年05月28日 サンダウン ブリガディアジェラードS G3 芝10f7y 2着 R.ムーア ハナ Cima de Triomphe
2009年07月04日 サンダウン エクリプスS G1 芝10f7y 3着 R.ムーア 5 1/2馬身 Sea the Stars
2009年07月25日 アスコット KGVI&QES G1 芝12f 1着 R.ムーア 1 3/4馬身 (Tartan Bearer)
2009年10月04日 ロンシャン 凱旋門賞 G1 芝2400m 4着 R.ムーア 1 3/4馬身 Sea the Stars
2009年11月07日 サンタアニタパーク BCターフ GI 芝12f 1着 R.ムーア 1/2馬身 (Precious Passion)
2009年11月29日 東京 ジャパンC GI 芝2400m 4着 R.ムーア 2 3/4馬身 ウオッカ

種牡馬時代

現役引退後は予定通りビッグレッドファームで種牡馬活動に入ったが、2013年よりデビューした産駒の活躍は思わしくなく、中央競馬では東京ジャンプステークスを制したシンキングダンサー以外は、下級条件馬を数頭出す程度の成績に留まった。6年間の種牡馬生活で送り出した競走馬のうち、137頭が勝ち上がりを決めていた[2]2015年北アイルランドからの譲渡オファーに応じて輸出され、ダウン県のタリーレーンハウススタッドに繋養された[3][4]


2020年6月17日、コンデュイットは急性の脳損傷が原因で死亡、15歳であった[5][6]

おもな産駒

血統表

コンデュイット (Conduit)血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ミルリーフ系ネヴァーベンド系
[§ 2]

Dalakhani
2000 芦毛 アイルランド
父の父
Darshaan
1981 鹿毛 イギリス
Shirley Heights Mill Reef
Hardiemma
Delsy Abdos
Kelty
父の母
Daltawa
1989 芦毛 アイルランド
Miswaki Mr. Prospector
Hopespringseternal
Damana *クリスタルパレス
Denia

Well Head
1989 鹿毛 アイルランド
Sadler's Wells
1981 鹿毛 アメリカ
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Fairy Bridge Bold Reason
Special
母の母
River Dancer
1983 鹿毛 アイルランド
Irish River Riverman
Irish Star
Dancing Shadow *ダンサーズイメージ
Sunny Valley F-No.1-l
母系(F-No.) 1号族(FN:1-l) [§ 3]
5代内の近親交配 Never Bend5×5=6.25%、Native Dancer5×5=6.25%(母内) [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ コンデュイット 5代血統表2018年9月25日閲覧。
  2. ^ netkeiba.com コンデュイット 5代血統表2018年9月25日閲覧。
  3. ^ JBISサーチ コンデュイット 5代血統表2018年9月25日閲覧。
  4. ^ JBISサーチ コンデュイット 5代血統表2018年9月25日閲覧。


近親など

脚注

注釈

出典

外部リンク