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「5世紀」の版間の差分

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* 5世紀 - 西ローマ帝国支配下のガリア(フランス)。羊飼いの少女アストレと青年セラドンは純粋に愛し合っていたが、あらぬ誤解からアストレはセラドンを拒絶してしまう。絶望し川に身を投げ自殺を図るセラドンを森を妖精ニンフが見つけ、彼は一命を取り留めるが、はてさて恋の顛末は…(オノレ・デュルフェの小説『アストレ』。これを原作としたのが[[エリック・ロメール]]監督の遺作となった映画「[[我が至上の愛〜アストレとセラドン〜]]」)。
* 5世紀 - 西ローマ帝国支配下のガリア(フランス)。羊飼いの少女アストレと青年セラドンは純粋に愛し合っていたが、あらぬ誤解からアストレはセラドンを拒絶してしまう。絶望し川に身を投げ自殺を図るセラドンを森を妖精ニンフが見つけ、彼は一命を取り留めるが、はてさて恋の顛末は…(オノレ・デュルフェの小説『アストレ』。これを原作としたのが[[エリック・ロメール]]監督の遺作となった映画「[[我が至上の愛〜アストレとセラドン〜]]」)。
* 5世紀 - 6年6週と6日もの間砂漠の柱で修行に励むシモン([[登塔者シメオン]])。柱の上で一心不乱に神に祈るシモンの前に、彼を堕落させようとする魔女や豪勢な食料を持った悪魔が現れては甘言で彼を誘惑する。その誘惑に負けまいとしつつも、朦朧とした意識からついに彼は塔から降りてしまう。そして彼は……([[ルイス・ブニュエル]]の映画「砂漠のシモン」)。
* 5世紀 - 6年6週と6日もの間砂漠の柱で修行に励むシモン([[登塔者シメオン]])。柱の上で一心不乱に神に祈るシモンの前に、彼を堕落させようとする魔女や豪勢な食料を持った悪魔が現れては甘言で彼を誘惑する。その誘惑に負けまいとしつつも、朦朧とした意識からついに彼は塔から降りてしまう。そして彼は……([[ルイス・ブニュエル]]の映画「砂漠のシモン」)。
* 478年 - [[丹波国]]余社郡筒川の人である[[浦島太郎|瑞江浦島子]]が船に乗り、海へ出て沖合で釣りをしていたところ、巨大な亀を釣り上げる。その亀が美女に姿を変えたので、浦島子はその美女を妻とし、二人でともに海へ入り、[[蓬山]]へ至って仙境を見て回ったと言う(『[[日本書紀]]』雄略紀22年条。最古の「浦島太郎伝説」)。
* 478年 - [[丹波国]]余社郡筒川の人である[[浦島太郎|瑞江浦島子]]が船に乗り、海へ出て沖合で釣りをしていたところ、巨大な亀を釣り上げる。その亀が美女に姿を変えたので、浦島子はその美女を妻とし、二人でともに海へ入り、[[蓬山]]へ至って仙境を見て回ったと言う(『[[日本書紀]]』雄略紀22年条。最古の「浦島太郎伝説」)。


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2021年12月14日 (火) 08:51時点における版

千年紀: 1千年紀
世紀: 4世紀 - 5世紀 - 6世紀
十年紀: 400年代 410年代 420年代 430年代 440年代
450年代 460年代 470年代 480年代 490年代
大仙古墳。5世紀頃に築造された全長486メートルの最大級の前方後円墳で、大阪府堺市に広がる百舌鳥古墳群を代表する。伝承では仁徳天皇陵とされている。
稲荷山古墳出土鉄剣(国宝)。埼玉県立さきたま史跡の博物館展示。左は表面、右は裏面。 稲荷山古墳出土鉄剣(国宝)。埼玉県立さきたま史跡の博物館展示。左は表面、右は裏面。
稲荷山古墳出土鉄剣(国宝)。埼玉県立さきたま史跡の博物館展示。左は表面、右は裏面。
フン族の王アッティラ。アッティラの侵入は東西ローマ帝国を驚倒させた。画像はヴァティカン教皇宮殿ヘリオドロスの間にあるラファエロの「教皇レオ1世とアッティラの会見」。
ラヴェンナガッラ・プラキディア廟堂。ガッラ・プラキディアは西ローマ皇帝ヴァレンティニアヌス3世の母。初期キリスト教美術を代表するモザイク壁画が残されている。
西ローマ帝国の滅亡。ゲルマン諸族の自立によりこの帝国の統治機構は寸断され、最後の皇帝ロムルス・アウグストゥルスはスキリア族傭兵隊長オドアケルに廃位され、ここに西ローマ帝国は滅亡した。画像は少年皇帝ロムルス・アウグストゥルスの肖像が刻印された金貨。
仏教と道教の融合。政権が不安定だった六朝時代は儒教が不振で、深遠な形而上学を扱う仏教や道教が歓迎された。画像は江戸時代の曽我蕭白の「虎渓三笑図」でこの時代を代表する仏僧の慧遠と道士の陸修静と詩人の陶淵明の邂逅が画題となっている。
雲崗石窟北魏文成帝の時代に曇曜の奏上によって、都の平城大同市)から西方約20キロに位置する雲崗で造営された石窟寺院。
キジル千仏洞壁画。この石窟はシルクロード沿いのオアシス国家亀茲(クチャ)によって作られたもので、この時期には仏教が大いに繁栄したと伝えられている。訳経僧として名高い鳩摩羅什もここの出身である。
アジャンター石窟寺院。インドではこの時代にグプタ様式と呼ばれる表現が発達した。画像はアジャンター石窟の壁画でパドマパーニ(蓮華手(観世音)菩薩)の像。
シーギリヤスリランカのシンハラ朝のカッサパ1世は父王から王位を奪い、アヌラーダプラからこの地へと遷都した。画像はシーギリヤロックの全景で、この頂上にカッサパ1世は王宮を営んだが、最後は反乱軍の攻撃を受けここで自害している。
エフタルの侵攻。現在のアフガニスタン北部に興起した遊牧民族エフタルは幾度となくサーサーン朝ペルシアと干戈を交え、インドではグプタ朝衰退の原因となった。画像は5世紀後半に作られたエフタル騎馬人物像のある銀碗(大英博物館蔵)。
コパンの王権。コパンは古典期マヤの都市国家の一つ。画像は776年に作られた「コパンの祭壇Q」で、426年に初代コパン王となったキニチ・ヤシュ・クック・モから16代の王の姿が刻まれている。
ナスカ文化。紀元前1世紀から紀元後8世紀まで栄えたナスカ文化の編年はおよそ9期に分けられるが、5期から6期にかけての多色彩土器は巧緻な造形の絶頂期と位置づけられる。画像はペルーリマにあるラルコ博物館所蔵のシャチをモチーフにした多色彩土器。
カルケドン公会議以後にキリスト論をめぐりキリスト教は分立した。「単性論派」と呼ばれる「非カルケドン派正教会」(自らの教理は単性論ではなく合性論であると自認する)には、シリア正教会コプト正教会アルメニア使徒教会などがある。画像は483年に再建されたアルメニア使徒教会の首座主教座、エチミアジン大聖堂英語版
シリア教会。シリアでも修道生活が独自に発展した。アレッポ近郊で高い塔の上に登り、そこで祈りと瞑想の日々を送ったのが登塔者シメオンである。画像はこの修道士を描いた500年頃の浮き彫り(シリア・ハマー博物館蔵)。
ヴァンダル人の躍進。ゲルマン諸族の中で最も故地から遠方に本拠地を構えたのがヴァンダル人である。指導者ガイセリックのもとローマを略奪して、その後帝国の穀倉地帯である北アフリカに定住した。画像はカルタゴから出土したヴァンダル騎兵を描いたモザイク断片(大英博物館蔵)。
ヒッポレギウスアウグスティヌス。異民族の跳梁する衰勢の西ローマ帝国にあって、神の救済の歴史を描き出す『神の国』を執筆した。画像は6世紀にローマラテラノ大聖堂に描かれた肖像画。
クローヴィスの洗礼。ゲルマン系諸民族の中でもフランク族はいち早くカトリック教会に従った。画像はランス司教レミギウスの伝記を浮き彫りにした9世紀の象牙板(ピカルディー美術館)だが、その下段はレミギウスがフランク王クローヴィスを受洗している場面である。

5世紀(ごせいき)は、西暦401年から西暦500年までの100年間を指す世紀

できごと

400年代

410年代

420年代

430年代

440年代

  • 440-450年 - 千葉県市原市養老川下流域の北岸台地上の稲荷台1号墳で出土した「王賜銘」鉄剣が房総の王に授けられる。
  • 442年 - 沮渠氏により高昌国が成立。
  • 443年
    • (宋・元嘉20年)- 倭国王の済、宋に朝貢して、安東将軍倭国王とされる。
    • スイス・フランス東南部に第二ブルグント王国が成立。
  • 445年 - 北魏が鄯善国(楼蘭)を滅ぼす。
  • 446年 - 北魏の太武帝が廃仏の詔を出す。
  • 449年 - エフェソス強盗会議が開かれる。
    • この会議に対抗してローマ教皇レオ1世が「フラウィアヌスへの書簡(レオのトムス)」を送付する。

450年代

460年代

  • 460年 - 北魏で雲崗石窟の工事始まる。
  • 463年
  • 468年 - バシリスクス司令官率いる東西ローマ帝国連合軍が北アフリカのボン岬でヴァンダル王国に大敗。

470年代

  • 470年
  • 471年
  • 475年
  • 476年 - ゲルマン人傭兵隊長オドアケルにより皇帝ロムルス・アウグストゥルスが廃位され、西ローマ帝国が滅亡する。
    • 帝位は東ローマ皇帝ゼノンに返上され、オドアケルはパトリキウスとしてイタリアを支配する。
  • 477年 - 倭国が宋に朝貢する(『宋書』順帝紀)。これより先、興没し、弟の武立つ。
  • 478年 - 倭王武が宋に入貢して上表する。「父祖の功績と父兄の志を述べ、高句麗の無道を糾弾し、自ら開府儀同三司と称し、正式の任命を求める。宋の順帝武を「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東太将軍倭王」とする(『宋書』順帝紀、『宋書』倭国伝)。
  • 479年

480年代

490年代

500年代

文化

人物

地中海世界

フン族の帝国

ゲルマン諸王

西ローマ帝国とその周辺

東ローマ帝国とその周辺

西アジア

南アジア

東アジア

五胡十六国

東晋

南朝

北朝

柔然

満州

朝鮮半島

日本

フィクションのできごと

  • 5世紀 - 西ローマ帝国支配下のガリア(フランス)。羊飼いの少女アストレと青年セラドンは純粋に愛し合っていたが、あらぬ誤解からアストレはセラドンを拒絶してしまう。絶望し川に身を投げ自殺を図るセラドンを森を妖精ニンフが見つけ、彼は一命を取り留めるが、はてさて恋の顛末は…(オノレ・デュルフェの小説『アストレ』。これを原作としたのがエリック・ロメール監督の遺作となった映画「我が至上の愛〜アストレとセラドン〜」)。
  • 5世紀 - 6年6週と6日もの間砂漠の柱で修行に励むシモン(登塔者シメオン)。柱の上で一心不乱に神に祈るシモンの前に、彼を堕落させようとする魔女や豪勢な食料を持った悪魔が現れては甘言で彼を誘惑する。その誘惑に負けまいとしつつも、朦朧とした意識からついに彼は塔から降りてしまう。そして彼は……(ルイス・ブニュエルの映画「砂漠のシモン」)。
  • 478年 - 丹波国余社郡筒川の人である瑞江浦島子が船に乗り、海へ出て沖合で釣りをしていたところ、巨大な亀を釣り上げる。その亀が美女に姿を変えたので、浦島子はその美女を妻とし、二人でともに海へ入り、蓬萊山へ至って仙境を見て回ったと言う(『日本書紀』雄略紀22年条。最古の「浦島太郎伝説」)。

脚注

注釈

出典

関連項目

外部リンク

  • ウィキメディア・コモンズには、5世紀に関するカテゴリがあります。