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2022年10月6日 (木) 21:49時点における版
熊本県立八代中学校・高等学校 | |
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北緯32度31分10.5秒 東経130度35分50.2秒 / 北緯32.519583度 東経130.597278度座標: 北緯32度31分10.5秒 東経130度35分50.2秒 / 北緯32.519583度 東経130.597278度 | |
過去の名称 |
【男子校】 熊本縣尋常中學濟々黌八代分黌 熊本縣尋常中學濟々黌城南分黌 熊本縣第一中學校 熊本縣立八代中學校 【女子校】 八代郡立高等女學校 熊本縣立八代高等女學校 熊本県立八代女子高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 熊本県 |
学区 |
【中学校】 熊本県全域 【高等学校】 県南学区[1] |
併合学校 | 八代市立八代工業学校 |
校訓 |
三綱領 誠実にして真理を愛する 自律を旨として協和を重んじる 闊達にして進取の気性を尚ぶ |
設立年月日 | 1896年4月 |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 併設型 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード |
C143210001462 中学校) D143210000103 (高等学校) | (
高校コード | 43132A |
所在地 | 〒866-0885 |
熊本県八代市永碇町856 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
熊本県立八代中学校・高等学校(くまもとけんりつ やつしろちゅうがっこう・こうとうがっこう,英: Kumamoto Prefectural Yatsushiro Junior and Senior High School)は、熊本県八代市永碇町にある公立中学校・高等学校。略称は「八高」(はちこう)[2]。
概要
- 歴史
1896年(明治29年)に開校した「熊本県尋常中学済々黌[3]八代分黌[4]」(後の熊本県立八代中学校(旧制中学校))と1902年(明治35年)に開校した「八代高等女学校」を前身としている。この2校が戦後の1949年(昭和24年)に統合され現校名となった。2011年(平成23年)に創立115周年を迎えた。
2009年(平成21年)に中学校を新設し、中高一貫教育を開始した。
- 学区
- 中学校 - 熊本県全域
- 高等学校 - 県南学区[1](併設の八代中学校からの進学者はこの限りではない)
- 設置課程・学科(高等学校)
全日制課程 普通科 - ほとんどの生徒が国立大学をはじめとする上級学校への進学を目指している。
- 校訓・三綱領
- 誠実にして真理を愛する
- 自律を旨として協和を重んじる
- 闊達にて進取の気性を尚ぶ
- 教育目標
- 志を高く持ち、自ら学ぶ生徒の育成
- 心身ともに逞しく、豊かな人間性を備えた魅力ある生徒の育成
- 他者への思いやりを大切にし、社会へ貢献できる生徒の育成
- 校章
高等学校の校章は旧制中学校時代のものを継承。山桜と朝日の絵を背景に、中央に「高」の文字を置いている。新設された中学校の校章は中央に「中」の文字を置いており、旧制中学時代の校章とほぼ同じものになっている。
なお、これとは別に中高一貫のシンボルマークが八代高等学校の生徒のデザインで制定された。鳳凰のヒナ(鳳雛(ほうすう))をモチーフにして、八代(Yatsushiro)の頭文字Yの形を表している[5]。
- 校歌
タイトルは「道」。作詞は耕治人、作曲は林光による[6]。3番まであり、校名は歌詞に登場しない。旧制中学校の校歌[7]は継承されず、1957年(昭和32年)11月に新しく制定された。また校歌とは別に「八高生徒歌」(作詞 - 生田陽子/作曲 - 田尻 久)がある[注 1]。
- 同窓会
「八高同窓会」と称している。関東、関西、岡山、大分、山口県、福岡等に支部を置く。
沿革
- 旧制熊本県立八代中学校・(旧)熊本県立八代高等学校
- 1896年(明治29年)4月 - 「熊本県尋常中学済々黌八代分黌」として創立。
- 1898年(明治31年)1月 - 八代町旧城内伝習堂(旧藩校)に移転し、「熊本縣尋常中學濟々黌城南分黌」と改称。
- 1900年(明治33年)4月 - 「熊本県第一中学校」として独立。
- 1901年(明治34年)6月 - 「熊本県立八代中学校」と改称。
- 1929年(昭和4年)11月 - 鉄筋コンクリート造3階建校舎(本館)が完成。
- 1930年(昭和5年)11月 - 校歌を制定。
- 1943年(昭和18年)4月 - 中等学校令により、旧制中学校の修業年限が5年から4年に短縮される[9]。
- 1945年(昭和20年)4月 - 決戦教育措置要綱が閣議決定され、全国の国民学校初等科を除いた学校の授業を1年間[10]停止することになる。[11]
- 1946年(昭和21年)3月 - 中学校令改正により、修業年限が5年に戻る。
- 1947年(昭和22年)4月 - 1年後の新制高等学校の開校に備え、学制改革の特別措置として併設中学校を設置し、旧制中学の2・3年生を収容。旧制中学1年生募集停止[12]。
- 1948年(昭和23年)4月
- 学制改革により、「熊本県立八代高等学校」(男子校)と改称。全日制普通科を第一部とし、旧八代工業学校を統合の上、第二部とする。また、定時制・通信教育部を設置。
- 1949年(昭和24年)3月 - 併設中学校を廃止。
- 熊本県立八代高等女学校・熊本県立八代女子高等学校
- 1901年(明治34年)7月 - 八代郡立高等女学校の設立が認可される。
- 1902年(明治35年)
- 1923年(大正12年)4月 - 「熊本県立八代高等女学校」と改称。
- 1945年(昭和20年)4月 - 決戦教育措置要綱が閣議決定され、全国の国民学校初等科を除いた学校の授業を1年間[10]停止することになる。[11]
- 1947年(昭和22年)4月 - 1年後の新制高等学校の開校に備え、学制改革の特別措置として併設中学校を設置し、高等女学校の2・3年生を収容。高等女学校1年生募集停止[12]。
- 1948年(昭和23年)4月 - 学制改革により、「熊本県立八代女子高等学校」となる。
- 1949年(昭和24年)3月 - 併設中学校を廃止。
- (新)熊本県立八代高等学校
- 1949年(昭和24年)4月 - 八代高等学校(男子校)と八代女子高等学校を統合し、男女共学の「熊本県立八代高等学校」となる。
- 家庭科授業は旧女子高校校舎で継続。定時制課程を旧女子高校校舎に移転。第二部を工業課程と改称する。
- 1951年(昭和26年)4月 - 工業課程・定時制課程・通信教育部を分離。
- 工業課程が熊本県立八代工業高等学校として、定時制課程が熊本県立城南高等学校(現・熊本県立八代東高等学校)として独立。
- 通信教育部を熊本県立第一高等学校へ移管。
- (新制)代陽第二中学校(現・八代市立第一中学校)が八代高等学校校舎を間借りする。
- 1952年(昭和27年)4月 - 三綱領を制定。
- 1957年(昭和32年)11月 - 新校旗・新校歌を制定。
- 1965年(昭和40年)
- 3月 - 同窓会館が完成。
- 9月 - 新校舎が完成し、松江城の旧校舎から現在地に移転。
- 1985年(昭和60年)3月 - セミナーハウス「鳳雛館」が完成。
- 1998年(平成10年)11月 - 新体育館が完成。
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)6月 - 第2体育館、技術棟が完成。
学校行事
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- 1学期
- 4月 -
- 5月 -
- 6月 -
- 7月 -
- 2学期
- 9月 - 鳳雛祭Ⅰ部とⅡ部(体育の部と文化の部)
- 10月 -
- 11月 -
- 12月 -
- 3学期
- 1月 -
- 2月 -
- 3月 -
部活動
- 中学校
-
- 運動系
- 軟式野球部
- バドミントン部
- バスケットボール部
- サッカー部
- ソフトテニス部
- バレーボール部(女)
- 剣道部
- 文化系
- 科学部
- 物理部
- 生物研究部
- 化学部
- 天文部
- 吹奏楽部
- 合唱部
- 美術部
著名な出身者
- 政治家
- 軍人・自衛官
- 実業家
- 学者
- 安道知寛(経済学者、メルボルン大学ビジネススクール教授(日本では教授より上位の職階であるDistinguished professorに相当))
- 鋳方末彦(植物病理学者、元美作女子大学教授)
- 宮崎松記(医学者、初代インド救らいセンター院長)
- 矢野暢(政治学者、元京都大学教授、スウェーデン王立科学アカデミー会員)
- 文化人
- 内田健三(政治評論家)
- 蓑田胸喜(思想家)
- 耕治人(詩人、小説家)
- 小山寛二(小説家)
- 坂口れい子(小説家)
- 豊福きこう(ライター)
- 福島雄次郎(作曲家)
- 森岡賢一郎(作曲家)
- 藤田千秋(CGデザイナー、脚本家)
- マスコミ
- 芸能人
- スポーツ選手
- 秋山幸二(前福岡ソフトバンクホークス監督)
- 幸村ケンシロウ(プロレスラー、プロレスリング求道軍代表)
- 田上高(レスリング選手。ミュンヘンオリンピック出場)
- 本田大三郎(カヌー選手。東京オリンピック出場)
交通アクセス
- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停
- 最寄りの道路
- 熊本県道42号八代鏡線
- 熊本県道336号八代港線
- 「田中西町交差点」
周辺施設
脚注
注釈
出典
- ^ a b 旧・天草学区、八代水俣学区、球磨学区。
- ^ 卒業生の中には本校を「城南の雄」と称する者もいる。
- ^ 現・熊本県立済々黌高等学校
- ^ 黌(こう)とは学校のことで、「八代分校」という意味。
- ^ 学校案内---教育理念---校章・シンボルマーク - 熊本県立八代高等学校ウェブサイト
- ^ “校歌「道」”. 熊本県立八代中学校. 2021年4月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月25日閲覧。
- ^ 旧制八代中学校校歌の作詞は八波則吉、作詞は橋本正憲によるもので、3番まであり、校名は歌詞に登場しない。なお八代高等女学校校歌の作詞は森迫武、作曲は犬童球渓によるもので、2番まである。
- ^ “校歌”. 熊本県立八代高等学校同窓会. 2021年4月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月25日閲覧。
- ^ 中等学校制度の再編 - 文部科学省ウェブサイト
- ^ a b この後8月15日に終戦を迎えたため、一年を待たずに、徐々に学校教育が再開されていく。
- ^ a b 戦時下の教育行政 - 文部科学省ウェブサイト
- ^ a b この時に1年生になるはずだった国民学校尋常科を卒業したばかりの児童は、この年学制改革で開校した新制中学校(現在の中学校)に通うこととなった。
関連図書
- 『九州人国記』熊本日日新聞社、1966年
- 吉村敏之著『八高群像』西日本新聞社、1973年
- 熊本日日新聞編纂・発行『熊本県大百科事典』、1982年
- 『新・九州人国記』熊本日日新聞社、1984年
- 『八代高校 創立100周年記念美術展 図録』八代高校創立100周年記念事業実行委員会、1996年
- 『熊本県人物・人材情報リスト2007』日外アソシエーツ、2007年
関連項目
- 熊本県立済々黌高等学校
- 熊本県中学校一覧
- 熊本県高等学校一覧
- 旧制中学校
- 高等女学校
- 旧制中等教育学校の一覧 (熊本県)
- 村岡素一郎(八代郡立高等女学校初代校長)