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2022年10月6日 (木) 22:25時点における版
山口県立宇部工業高等学校 | |
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北緯33度57分41秒 東経131度15分15.8秒 / 北緯33.96139度 東経131.254389度座標: 北緯33度57分41秒 東経131度15分15.8秒 / 北緯33.96139度 東経131.254389度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 山口県 |
学区 | 全県一学区 |
校訓 | 誠と熱 |
設立年月日 |
【宇部工業学校】 1921年(大正10年) 【山口県立工業高校】 1903年(明治36年) 【私立宇部徒弟学校】 1914年(大正3年) |
創立記念日 | 5月2日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 |
全日制課程 定時制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
機械科 電子機械科 電気科 化学工業科 機械科(定時制) |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D135210000229 |
高校コード | 35135A |
所在地 | 〒755-0036 |
山口県宇部市北琴芝1-1-1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
山口県立宇部工業高等学校(やまぐちけんりつ うべこうぎょうこうとうがっこう, Yamaguchi Prefectural Ube Technical High School)は、山口県宇部市に所在する公立の工業高等学校。
概要
1903年(明治36年)に山口県で最初に設立された「山口県立工業学校」(略称:県工)が起源であり、これまでの卒業生は2万人を超えている。山口県立工業学校は大正初期に生徒の募集を停止したが、その数年後に山口県議会において「新たに県立工業学校を設立する」と議決された。この動きに合わせ、宇部興産の創業者である渡辺祐策を筆頭に宇部共同義会が有志に呼びかけ寄付金を募り、設立に必要な30万円を地元から寄付する条件で県立宇部工業学校(第一工業学校)を誘致した。この様な事情もあり、宇部工業学校は開校当初から入学には相当に難易度が高く、1930年代には「(見出し)県下中等学校の入学最大難所 宇部工業 来年の志願者数予想900名を見越す (記事)入学志願者殺到を予想して県下随一否中国、全国的にも稀にみる激戦が演ぜられる宇部工業学校では来年の志願者900名を見越して討策に入った。募集は変わらず電気、機械各40名の予定である。昨年機械科入学者の統計を丹澤校長が取ってみた所、激戦が演ぜられるのも無理はなく、小学校で一番の成績が20名、二番が21名でこの優等成績者のみで一名超過の41名を示し、同校入学が如何に難関なるかを物語っている」と当時の新聞記事にもなるほどであった[1]。また、「宇部共同義会の方々の期待に恥じない技術者を社会に送り出す」という強い信念の元、入学もさる事ながら卒業も非常に狭き門であった[2]。その後、県工の同窓会名簿を宇部工業学校が引き継ぎ、山口県最古の工業学校となった。1914年の開校以来全校生徒全員男子のみ在籍してきたが、87年後の2001年から女子生徒入学も始まった。
2004年(平成16年)に全国で10校程度しか選ばれない文部科学省スペシャリスト養成事業の指定校となり3ヶ年に渡り環境改善研究を行った。2006年(平成18年)12月にその成果を発表して研究活動を完了した。2013年には時事通信社「教育奨励賞」を受賞している。
- 校訓
- 「誠と熱」
- 校章
- 桜を模ったマークの中に、起源となる「山口県立工業学校」の略称「山工」(縦書き)の文字を置いている。
- 襟章
- 1年次に黄色、2年次に水色、3年次に土色のものを着ける。この意味については諸説あるが、一般には「黄色は未熟な雛鳥、水色はその雛が成長して飛び立つ空の色、そして土色はそれらを育んだ大地の色である」と言われている。
- 特色
-
- ロボット関連
- 2000年(平成12年)に行われた第8回全国高等学校ロボット競技大会で全国優勝を果たし、これまでに同大会では優勝2回、準優勝1回、ベスト8が2回となっている。また、ロボット相撲は2008年(平成20年)の全国大会で準優勝した。2012年:全国準優勝 2013年:全国3位 2014年:全国準優勝、3位 2016年:全日本の部準優勝 世界大会出場 さらに2007年(平成19年)のロボットアメリカンフットボール大会では、技術的に最も優れたロボットを製作したとして経済産業大臣賞を受賞している。同大会では2007、2008年共に全国ベスト8であった。2010年:全国3位 2011年:全国3位 2012年:全国ベスト8 経済産業大臣賞 2013年:全国ベスト8 2014年:全国ベスト8
- マイコンカーラリーでは同競技の草創期から製作活動に取り組み中国地区の雄となっている。また、その一方で中国地区の工業高校を巡回して講義を行いマイコンカーの普及に努めた。
- ものづくりコンテストでは2008年(平成20年)は化学分析部門において中国大会で優勝し全国大会に出場した。今後は全国優勝を視野に入れて技術力の向上に努め、最終的にはロボット関連競技大会と、ものづくりコンテストの全ての部門での日本一を目指している。
沿革
旧・工業学校
- 1920年(大正9年)
- 1921年(大正10年)
- 1922年(大正11年)
- 3月3日 - 本校舎に移転。
- 4月 - 校歌を制定。(作詞は大井精、作曲は尾藤武夫)
- 1923年(大正12年)
- 1924年(大正13年)7月15日 - 電気科の卒業生に対して第三種電気事業主任技術者資格が認定される。
- 1925年(大正14年)3月3日 - 第1回卒業式を挙行。
- 1930年(昭和5年)10月25日 - 宇部市有志と卒業生父兄等の寄附により講堂が完成。
- 1932年(昭和7年)4月1日 - 選科(機械科、修業年限2ヶ年)を併設。
- 1934年(昭和9年)4月1日 - 規則を改正し、この年度の入学生から修業年限を4ヶ年から5ヶ年に延長。
- 1936年(昭和11年)4月1日 - 応用化学科を設置。
- 1937年(昭和12年)10月1日 - 第二部機械科を設置(10月入学)。
- 1938年(昭和13年)
- 4月1日 - 第二本科機械科を設置。
- 4月11日 - 鉱科・第二部採鉱科を設置(第二部採鉱科は6月入学)。
- 1939年(昭和14年)
- 1941年(昭和16年)3月31日 - 第二部採鉱科を廃止。
- 1942年(昭和17年)3月31日 - 第二部機械科を廃止。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 山口県立宇部第二工業学校(夜間部)を設置。
- 1944年(昭和19年)4月1日 - 応用化学科を工業化学科と改称。「教育ニ関スル戦時非常措置方策」[4]により山口県立宇部商業学校を併合し、第二本科機械科を専修機械科と改称。
- 1945年(昭和20年)7月2日 - 戦災により全校舎を焼失し、寄宿舎を仮校舎として授業を再開。
- 1946年(昭和21年)
- 1947年(昭和22年)
- 3月31日 - 専修科機械科を廃止。
- 5月31日 - 戦災復興第一期新校舎(機械・電気・化学の各実習室)が完成し仮校舎から移転。
- 1948年(昭和23年)3月31日 - 山口県立宇部工業学校(建築科・土木科)・山口県立宇部第二工業学校を廃止。
新制高等学校
- 1948年(昭和23年)
- 1949年(昭和24年)
- 3月31日 - 冶金科を廃止。
- 4月1日 - 山口県立宇部第二工業高等学校を統合の上、定時制(夜間部)とする。
- 8月12日 - 新講堂が完成。
- 1951年(昭和26年)
- 1957年(昭和32年)
- 1958年(昭和33年)3月31日 - 武道館・給食室が完成。
- 1959年(昭和34年)4月1日 - 電気科を1学級から2学級に増設。
- 1960年(昭和35年)
- 2月27日 - 第五校舎(普通教室)・渡り廊下が完成。
- 3月31日 - 球技コート・小型自動車練習場が完成。
- 1962年(昭和37年)
- 3月 - 採鉱科の募集を停止。
- 4月1日 - 機械科・工業化学科を1学級から2学級に増設。
- 1963年(昭和38年)
- 3月31日 - 鉄筋コンクリート造校舎(第一期工事)が完成。
- 4月1日 - 機械科を全日制で3学級・定時制で2学級に増設。化学工学科を設置。
- 1964年(昭和39年)
- 2月24日 - 鉄筋コンクリート造校舎(第二期工事)が完成。
- 3月31日 - 採鉱科を廃止。
- 4月1日 - 化学工学科を2学級に増設。
- 1965年(昭和40年)3月8日 - コンクリートブロック造の生徒会部室が完成。
- 1966年(昭和41年)
- 3月31日 - 化学工学科実習棟(第一期工事)が完成。
- 10月31日 - 化学工学科実習棟(第二期工事)が完成。
- 1967年(昭和42年)2月27日 - 相撲場が完成。
- 1969年(昭和44年)12月15日 - 正門門柱が完成。通学路のアスファルト舗装を施工。
- 1970年(昭和45年)3月31日 - 工業化学科・化学工学科実習棟が完成。
- 1971年(昭和46年)
- 1972年(昭和47年)
- 1973年(昭和48年)3月31日 - 中庭造園が完成。
- 1977年(昭和52年)1月25日 - 弓道場が完成。
- 1978年(昭和53年)7月5日 - 木造の旧電気実習棟を解体。
- 1979年(昭和54年)3月31日 - 電気科実習棟が完成。
- 1981年(昭和56年)
- 6月1日 - 山口県立宇部西高等学校より校地所属替。
- 12月15日 - 第二グラウンドが完成。
- 1982年(昭和57年)11月9日 - 第二グラウンド体育部室が完成。
- 1983年(昭和58年)
- 1984年(昭和59年)
- 1991年(平成3年)
- 3月1日 - 新柔剣道場が完成。
- 4月1日 - 電子機械科(1学級)を新設。機械科と電気科を各1学級減じる。
- 1992年(平成4年)4月1日 - 化学工業科を1学級減じる。
- 1993年(平成5年)1月26日 - 化学工業科実習棟の一部を電子機械科実習室に改装。
- 1994年(平成6年)3月22日 - 家庭科教室棟が完成。
- 1999年(平成11年)
- 3月31日 - 体育部室が完成。
- 4月1日 - 電気科を1学級減じる。
- 2001年(平成13年)
- 2004年(平成16年)4月1日 - 文部科学省によりスペシャリスト養成事業校に指定される。
- 2010年(平成22年)4月1日 - 機械科を1学級増設。
- 2020年(令和2年)7月 - 県央部多部制定時制・通信制高校の設置に伴う、2022年度からの定時制課程の募集停止を発表[6]。
学校行事
部活動
- 野球応援は、吹奏楽による応援を一切せず、太鼓と声援だけで独特の応援をおこなっている。
- 1976年(昭和51年)に硬式野球部が春の甲子園に出場、2007年(平成19年)に囲碁将棋部が全国大会初進出を果たした。
- 体育部
- 文化部
著名な出身者
- 苣木浅彦(日本鉱物学会桜井賞受賞、東北大学名誉教授)
- 大野篤美(トロント大学客員教授、千葉工業大学名誉教授)
- 安野光雅(絵本作家、文化功労者、国際アンデルセン賞受賞)
- 三鷹淳(歌手)
- 加藤九祚(創価大学、国立民族学博物館名誉教授)
- 福永法源(法の華三法行設立者・元代表)
- HuΣeR(作曲家)
- 小森航大郎(プロ野球選手)