「青森市立女鹿沢小学校」の版間の差分
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2022年10月7日 (金) 14:24時点における版
青森市立女鹿沢小学校 | |
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北緯40度41分52.9秒 東経140度33分51秒 / 北緯40.698028度 東経140.56417度座標: 北緯40度41分52.9秒 東経140度33分51秒 / 北緯40.698028度 東経140.56417度 | |
過去の名称 |
女鹿沢小学 女鹿沢尋常小学校 女鹿沢国民学校 女鹿沢村立女鹿沢小学校 浪岡町立女鹿沢小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 青森市 |
併合学校 | 成業小学校 |
設立年月日 | 1876年11月7日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B102210001793 |
所在地 | 〒038-1332 |
青森県青森市浪岡大字下十川字扇田19番2号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
青森市立女鹿沢小学校(あおもりしりつ めがさわしょうがっこう)は、青森県青森市浪岡(旧南津軽郡浪岡町)大字下十川字扇田にある公立小学校。
沿革
- 1876年(明治9年)11月7日 - 女鹿沢村の海老名久右衛門宅を教場とし、女鹿沢小学として発足。
- 1887年(明治20年) - 女鹿沢尋常小学校と改称。
- 1888年(明治21年)6月 - 女鹿沢字種本30番地の旧郷蔵を改築し、校舎とする。
- 1896年(明治29年)8月 - 女鹿沢字西花岡74番地に校舎移転。
- 1923年(大正12年)12月 - 女鹿沢字東富田100番地に校舎新築移転。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、女鹿沢国民学校と改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学校教育法施行(学制改革)により、女鹿沢村立女鹿沢小学校と改称。同日、女鹿沢中学校を併設し、高等科生を中学校に移籍。
- 1953年(昭和28年)12月18日 - 女鹿沢中学校独立校舎新築分離。
- 1962年(昭和37年)4月1日 - 成業小学校を併合。
- 1954年(昭和29年)12月15日 - 女鹿沢村が浪岡町に合併された為、浪岡町立女鹿沢小学校と改称。
- 1963年(昭和38年)
- 1964年(昭和39年)
- 1965年(昭和40年)4月15日 - 国立岩木診療所内に岩木学級開設。
- 2000年(平成12年)3月 - 下十川字扇田19番2号(現在地)に新校舎着工。
- 2002年(平成14年)11月15日 - 新校舎落成記念式典を挙行。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 浪岡町が青森市に合併された為、青森市立女鹿沢小学校と改称。
学区
女鹿沢(字東花岡の一部、字西花岡、字東種本の一部、字西種本、字東富田、字西富田、字赤茶、字東増田、字西増田、字平野、字野尻、字生田)、下十川(字扇田、字村元、字富岡、字宮本、字大沼袋、字白鳥沼)、増舘(字若柳、字富岡、字宮元)、銀(字杉田、字前田、字稲田)
進学先中学校
周辺
- 青森県道285号浪岡藤崎線(旧国道7号)
- 国道7号浪岡バイパス
アクセス
- JR奥羽本線浪岡駅から、
- 車で、約2.2km・約5分。
- 浪岡地区コミュニティバス増館線で、「銀入口」バス停まで16分、下車後、徒歩約180m・約3分。
- 弘南バス黒石青森線・浪岡地区コミュニティバス増館線で、「銀入口」バス停下車後、徒歩約180m・約3分。
参考資料
- 『浪岡町史 第四巻』(浪岡町・2004年12月15日発行)「第Ⅶ部 21世紀を迎えて・第4章 ゆたかな教育」の557頁~558頁「第一節 社会教育・二 現在の小学校・女鹿沢小学校」。
- 『青森県教育史 別巻』(青森県教育委員会・1973年12月20日発行)787頁「学校沿革 小学校 女鹿沢小学校」。