田中織之進
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田中織之進 たなか おりのしん | |
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生年月日 | 1911年2月27日 |
出生地 | 和歌山県 |
没年月日 | 1978年3月2日(67歳没) |
出身校 | 九州帝国大学法学部 |
所属政党 |
(日本社会党→) (左派社会党→) (日本社会党) |
選挙区 | 和歌山県第1区 |
当選回数 | 8回 |
在任期間 | 1947年 - 1966年12月27日 |
田中 織之進(たなか おりのしん、1911年2月27日 - 1978年3月2日)は、和歌山県の被差別部落出身[1]の政治家、新聞記者、部落解放運動家。衆議院議員。
経歴
[編集]九州帝国大学法学部卒[2]。読売新聞社政経部次長の時に日本の敗戦を迎え、1947年、第23回衆議院議員総選挙に日本社会党から出馬して当選[2]。この選挙で当選した部落出身議員には、ほかに田中松月、松井豊吉、吉川兼光、加藤静雄、宮村又八がいた[1][注 1]。以後、社会党左派の議員として8選を重ね、日米安保反対派として論陣を張る[2]。
1966年、貿易商社の不正輸出事件に絡み東京地検に恐喝容疑で起訴され、7年後に無罪が確定[2]。この事件を機に社会党を離れ、無所属となる[2]。
かたわら、部落解放全国委員会常任中央委員、部落解放同盟和歌山県連委員長、部落解放同盟常任中央委員、同書記長を歴任[2]。参議院の松本治一郎、衆議院の八木一男、楢崎弥之助、田原春次らとともに「解放の議席」の一角を占めた[2]。日中友好協会国交回復委員会委員長を務めた[2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 同年の第1回参議院議員通常選挙では部落出身議員として松本治一郎、島田千寿が当選した。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 部落解放同盟佐久地区協議会編『佐久地域の部落解放運動史』部落解放同盟佐久地区協議会、1983年。
- 部落解放同盟中央本部編『上杉佐一郎伝』解放出版社、2002年。
議会 | ||
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先代 大上司 |
衆議院郵政委員長 1952年 - 1953年 |
次代 山花秀雄 |