田口易之
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田口 易之(たぐち やすゆき[1] / えきし[2]、1883年(明治16年)2月24日[3] - 1965年(昭和40年)2月13日[2])は、日本の検察官、内務・警察官僚、政治家。官選大分県知事、和歌山市長。
経歴
[編集]岡山県出身。田口徳一郎の二男として生まれた[1]。1912年10月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年12月、司法官試補に任じられ静岡地方裁判所検事局事務修習となる[1]。
1913年10月、静岡区裁判所検事代理に就任。同年7月、検事に昇格し名古屋地方裁判所検事局勤務となる。以後、富山区裁判所検事、輪島区裁判所検事、金沢区裁判所検事などを歴任。1920年6月、内務省に転じ、大阪府警視・刑事課長に就任。以後、和歌山県警察部長、北海道庁部長・警察部長、山梨県書記官・内務部長、新潟県書記官・警察部長、京都府書記官・警察部長、佐賀県書記官・内務部長、高知県書記官・内務部長、愛媛県書記官・内務部長、京都府書記官・内務部長などを歴任[1]。
1932年6月、大分県知事に就任。県招魂社の復興、広瀬神社の建立、宇佐神宮の神域拡張計画を推進した。1936年4月に知事を退任した[1]。その後、和歌山市長に就任し、1946年まで在任し、公職追放となった[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。