コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

川口彦治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
川口彦治

川口 彦治(かわぐち ひこはる、1871年1月30日(明治3年12月10日[1] - 1955年昭和30年)5月[2])は、日本の内務警察官僚実業家政友会系官選県知事関東庁事務総長。

経歴

[編集]

日向国諸県郡、後の宮崎県西諸県郡加久藤村(現えびの市)出身[3]郷士・川口時清の長男として生まれる[1]1893年7月鹿児島高等中学造士館予科卒業、1895年7月鹿児島高等中学造士館本科卒業[4]1899年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。内務省に入省し警視庁警部となる。1900年11月、文官高等試験行政科試験に合格した[1][5][6]

以後、警視庁警視府中警察署長、山梨県警部長山梨県事務官第四部長、茨城県事務官・第四部長、大分県事務官・第一部長兼第三部長[7]愛知県事務官・内務部長などを歴任[1][5]

1913年6月、大分県知事に就任[5]1914年4月、奈良県知事に転任。「政友会札付知事」と呼ばれた。好景気による奢侈生活を戒める生活合理化を推奨した。1915年7月、知事を休職となる[8]1917年1月、秋田県知事として復帰。憲政会の強い秋田県会を「原案執行」という強硬策で乗り切った[2]1919年4月、熊本県知事に転任。憲政会の強い県内において政友会の勢力伸長を図った[9]1921年5月、愛知県知事に転任。名古屋市の憲政会勢力を抑制するため、同年8月に名古屋市に隣接町村を編入し、市域を拡大させた市議選に干渉したが失敗した[3]1923年6月、関東庁事務総長に転任。1924年6月30日に辞職し退官した[6][10]

1927年、不動貯蓄銀行取締役となり10年間在任した[2]

脚注

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d 『人事興信録』第4版、か46頁。
  2. ^ a b c 『新編日本の歴代知事』173頁。
  3. ^ a b 『新編日本の歴代知事』590頁。
  4. ^ 『第七高等学校造士館一覧 自昭和14年4月至昭和15年3月』119-125頁
  5. ^ a b c 『新編日本の歴代知事』1063頁。
  6. ^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』181頁。
  7. ^ 『官報』第7061号、明治40年1月15日。
  8. ^ 『新編日本の歴代知事』717頁。
  9. ^ 『新編日本の歴代知事』1040頁。
  10. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』127頁。

参考文献

[編集]
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第4版、1915年。

関連項目

[編集]
公職
先代
土岐嘉平
日本の旗 関東庁事務総長
第3代:1923年 - 1924年
次代
廃官