小幡豊治
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小幡 豊治(おばた とよじ、1880年1月4日 - 1961年7月30日[1])は、日本の内務官僚、検察官、弁護士。政友会系県知事。
来歴
[編集]千葉県出身。小幡締次郎の三男として生まれる。1905年(明治38年)、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。司法省に入り、千葉地方裁判所・津地方裁判所・名古屋地方裁判所・浦和地方裁判所・東京地方裁判所などの検事を歴任。
1917年(大正6年)1月、内務省に転じ警視庁保安部長に就任[2]。以後、愛知県・大阪府の各内務部長などを歴任。
1922年(大正11年)10月、高知県知事に就任。さらに、鹿児島県知事、徳島県知事を務める。1926年(大正15年)9月28日に知事を休職[3]。1927年(昭和2年)9月、愛知県知事となり、1929年(昭和4年)7月まで在任。1931年(昭和6年)12月、犬養内閣成立により新潟県知事に登用され、1932年(昭和7年)6月28日、知事を依願免本官となり退官した[4]。
その後、東京で弁護士となり、豆陽金属工業株式会社監査役などを務めた。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会編、歴代知事編纂会、1991年
外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、小幡豊治に関するカテゴリがあります。