大野緑一郎
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おおの ろくいちろう 大野 緑一郎 | |
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大野緑一郎の肖像写真 | |
生誕 |
1887年10月1日 埼玉県浦和市 |
死没 | 1985年9月2日(97歳没) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 東京帝国大学法科大学 |
職業 | 内務官僚、弁護士 |
親戚 |
橋本龍太郎(外孫) 橋本岳(曾孫) |
受賞 | 勲一等旭日大綬章 |
大野 緑一郎(おおの ろくいちろう、明治20年(1887年)10月1日 - 昭和60年(1985年)9月2日)は、日本の内務官僚、弁護士。第37代警視総監、朝鮮総督府政務総監など歴任。
第82代・第83代内閣総理大臣・橋本龍太郎の外祖父。衆議院議員・橋本岳の曾祖父。
経歴
[編集]明治20年(1887年)10月1日、現在の埼玉県さいたま市(旧浦和市)に農業・大野安之助の四男として生まれた。旧制一高を経て、明治45年(1912年)7月東京帝国大学法科大学(独法)卒業。内務省入省。
大正3年(1914年)7月、秋田県庶務課長。大正5年(1916年)11月、香川県勧業課長。
大正15年(1926年)9月、徳島県知事。昭和2年(1927年)5月、岐阜県知事。
昭和3年(1928年)2月、社会局社会部長兼中央職業紹介事務局長。昭和6年(1931年)12月、内務省地方局長。
昭和7年(1932年)1月、警視総監。昭和10年(1935年)5月、関東局総長。昭和11年(1936年)8月、朝鮮総督府政務総監。創氏改名を推進したとされる。
昭和17年(1942年)5月29日[1]、貴族院議員(~1946年3月8日[2])。
昭和21年(1946年)9月、公職追放(~1951年8月)。弁護士を開業。
昭和60年(1985年)9月2日、死去。享年97。
栄典
[編集]- 昭和15年4月29日 - 勲一等旭日大綬章
その他
[編集]家族・親族
[編集]- 父・安之助(農業)
- 次兄・栄三(東京帝大卒、日本勧業銀行監査役。妻の兄に杉坂悌二郎)[3]
- 三兄・弘(岳父に阿部守太郎)[3]
- 妻・テル(広島県、多羅尾篤吉(下田次郎の兄)の長女、官僚岡村武の姉)
- 長男・一郎
- 長女・春子(東京、官僚・政治家橋本龍伍の妻。子に橋本龍太郎)
- 二男・雄二郎
- 同妻・洋子(大阪、牧田宗保の長女)
- 三男・徹三
脚注
[編集]外部リンク
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公職 | ||
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先代 今井田清徳 |
朝鮮総督府政務総監 第9代:1936年 - 1942年 |
次代 田中武雄 |