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大野緑一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おおの ろくいちろう

大野 緑一郎
大野緑一郎の肖像写真
生誕 (1887-10-01) 1887年10月1日
埼玉県浦和市
死没 (1985-09-02) 1985年9月2日(97歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京帝国大学法科大学
職業 内務官僚弁護士
親戚 橋本龍太郎(外孫)
橋本岳(曾孫)
受賞 勲一等旭日大綬章
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警視総監在任中の大野緑一郎

大野 緑一郎(おおの ろくいちろう、明治20年(1887年10月1日 - 昭和60年(1985年9月2日)は、日本内務官僚弁護士。第37代警視総監朝鮮総督府政務総監など歴任。

第82代第83代内閣総理大臣橋本龍太郎外祖父衆議院議員橋本岳の曾祖父。

経歴

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明治20年(1887年)10月1日、現在の埼玉県さいたま市(旧浦和市)に農業・大野安之助の四男として生まれた。旧制一高を経て、明治45年(1912年)7月東京帝国大学法科大学(独法)卒業。内務省入省。

大正3年(1914年)7月、秋田県庶務課長。大正5年(1916年)11月、香川県勧業課長。

大正15年(1926年)9月、徳島県知事昭和2年(1927年)5月、岐阜県知事

昭和3年(1928年)2月、社会局社会部長兼中央職業紹介事務局長。昭和6年(1931年)12月、内務省地方局長。

昭和7年(1932年)1月、警視総監。昭和10年(1935年)5月、関東局総長。昭和11年(1936年)8月、朝鮮総督府政務総監創氏改名を推進したとされる。

昭和17年(1942年)5月29日[1]貴族院議員(~1946年3月8日[2])。

昭和21年(1946年)9月、公職追放(~1951年8月)。弁護士を開業。

昭和60年(1985年)9月2日、死去。享年97。

栄典

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その他

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東京都武蔵野市居住した。

家族・親族

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脚注

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  1. ^ 『官報』第4614号、昭和17年5月30日。
  2. ^ 『官報』第5745号、昭和21年3月11日。
  3. ^ a b 大野栄三『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]

外部リンク

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公職
先代
今井田清徳
日本の旗 朝鮮総督府政務総監
第9代:1936年 - 1942年
次代
田中武雄