坂間棟治
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坂間 棟治(さかま むねじ、1886年(明治19年)4月24日[1] - 1974年(昭和49年)2月17日[1])は、日本の内務官僚、第9代大阪市長である。高知県知事、岐阜県知事などを歴任した。
経歴
[編集]1886年(明治19年)4月、神奈川県に生まれる。1912年(明治45年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。
1913年(大正2年)、高等文官試験に合格。1914年(大正3年)岐阜県属。1917年(大正6年)、岐阜県内務部地方課長。1919年(大正8年)、大阪府内務部学務課長兼救済課長。1922年(大正11年)、富山県警察部長。1924年(大正13年)、愛媛県内務部長。その後、宮城県、香川県、広島県、兵庫県の内務部長を歴任。1931年(昭和6年)1月、大阪府内務部長に任命される。
1932年(昭和7年)3月、高知県知事。1935年(昭和10年)1月、岐阜県知事。同年6月、加々美武夫市長により、大阪市第1助役に迎えられる。1936年(昭和11年)7月10日、加々美市長が病気のため辞表提出。同年7月20日、大阪市会による市長選挙により、第9代市長に就任。1945年(昭和20年)8月23日、大阪市長を辞任。その後、公職追放となる[2]。
市長辞任後、大阪市社会福祉協議会会長、大阪市信用金庫理事長などを務めた。
1974年(昭和49年)、逝去。
市長在任中
[編集]- 1937年(昭和12年)3月 大阪市立電気科学館開館、5月 御堂筋完成
- 1938年(昭和13年)4月 地下鉄難波-天王寺間開通、7月 戦時市民生活運動始まる
- 1939年(昭和14年)1月 大阪市産業報国会結成
- 1940年(昭和15年)6月 青バスを買収し市バスに統合、9月 町内会・隣組の設置
- 1941年(昭和16年)下水処理場完成
- 1943年(昭和18年)4月 分区(15区→22区)
- 1944年(昭和19年)8月 安治川河底トンネル開通、学童集団疎開開始
- 1945年(昭和20年)1月 市内初空襲、3月 第一次大阪大空襲(以後、6月、7月、8月にも空襲)
親族
[編集]- 孫の坂間英気が株式会社 Blue Planet-works に勤務。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「新修 大阪市史」第8巻(大阪市)
- 「日本の歴代市長」第2巻(歴代知事編纂会)
- 「昭和人名辞典Ⅱ」第3巻西日本編(日本図書センター)