小林光政
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小林 光政(こばやし みつまさ、1892年(明治25年)1月13日[1] - 1962年(昭和37年)7月9日[2])は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選県知事、読売新聞社専務取締役。
経歴
[編集]栃木県下都賀郡絹村延島(現小山市)出身[1]。小林長蔵の長男として生まれた[3]。第一高等学校を卒業。1916年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1917年3月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し警視庁警部となる[1][3][4]。
以後、警視庁警視、同特別高等課長、兼警察講習所教授、朝鮮総督府事務官、台湾総督府事務官・警務局保安課長、警視庁書記官・官房主事、内務省警保局勤務、福岡県内務部長、埼玉県書記官・内務部長などを歴任[1][3]。
1934年8月、青森県知事に就任。選挙粛正運動を推進[1]。1936年10月、高知県知事に転任[3]。1939年4月、文部省教学局長官に転任し1940年1月まで在任[5]。1942年に退官[4]。その後、九州日報社長、九州日日新聞社長を務めた[3]。戦後、公職追放となる[4]。
その後、報知新聞社副社長、読売新聞社専務取締役を務めた[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。
公職 | ||
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先代 菊池豊三郎 |
教学局長官 日本文化大観編修会会長 1939年 - 1940年 |
次代 菊池豊三郎 |