岩崎長武
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岩崎 長武(いわさき ながたけ、1839年(天保9年12月[1])- 1898年(明治31年)12月27日[2])は、幕末の土佐藩士。明治期の内務官僚、自由民権運動家。高知県権令。位階は正六位。
経歴
[編集]土佐国土佐郡高知金子橋(現高知県高知市)で土佐藩槍術指南役・岩崎長幸の二男として生まれる[1]。
1872年、浜松県権参事、同参事を務めた。明治5年11月27日(1872年12月27日)、高知県権令に転任[3]。立志社の民権運動に寛容で、1875年6月の第1回地方官会議で、民会の公選制を主張した。立志社系の人物を県庁に登用したことなどで、保守派の反発を受け1876年8月に権令を罷免された[1][3]。
その後、民権運動家として活躍した[1]。 明治31年12月27日死去、享年60。妻の猶子は1909年(明治42年)8月27日逝去。墓所は青山霊園[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 『高知県人名事典 新版』高知新聞社、1999年。
- 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。