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中井光次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中井光次
なかい みつじ
生年月日 1892年10月5日
出生地 日本の旗静岡県
没年月日 (1968-04-09) 1968年4月9日(75歳没)
出身校 東京帝国大学(現東京大学)卒業
所属政党 (日本民主党→)
国民民主党
称号 正四位
勲二等瑞宝章
藍綬褒章

選挙区 大阪府選挙区
当選回数 1回
在任期間 1947年4月20日 - 1951年3月31日

第12代大阪市長
当選回数 3回
在任期間 1951年4月25日 - 1963年3月23日

第10代官選大阪市長
在任期間 1945年9月8日 - 1946年12月13日

在任期間 1936年4月21日 - 1936年9月2日
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中井 光次(なかい みつじ、1892年明治25年)10月5日[1] - 1968年昭和43年)4月9日[1])は、日本政治家内務官僚大阪市長(第10・12代)。

経歴

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静岡県出身。大阪府立市岡中学校6期、1917年に東京帝国大学卒業。内務省に勤務し、各府県の内務部長・警察部長を歴任。1936年4月1日から9月2日まで島根県知事(官選第32代)、同年9月3月から1945年9月7日まで大阪市助役を務める。

1945年9月8日から1946年12月13日まで第10代大阪市長を務める。1947年第1回参議院議員通常選挙で当選(大阪府選出)、民主党国民民主党に所属。1951年3月31日まで務めた。

その後第12代(公選2代目)大阪市長に当選(1951年4月25日 - 1963年3月23日)。その間、全国市長会の第5代会長(1952年11月20日 - 1954年6月18日)も務めた。1963年、大阪市助役及び市長に就任して公共の福祉に奉仕して実績を挙げたとして藍綬褒章[2]

1965年(昭和40年)春の叙勲で勲二等瑞宝章受章(勲四等からの昇叙)[3]

1968年4月9日死去、75歳。死没日をもって従四位から正四位に叙される[4]。没後、市葬が行われた。

著書

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  • 『大阪港史』(全3巻) 中井光次・太田久治郎編、大阪市港湾局、1959年-1964年

脚注

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  1. ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、279頁。
  2. ^ 『官報』第11067号10-13頁 昭和38年11月4日号
  3. ^ 『官報』第11513号14頁 昭和40年4月30日号
  4. ^ 『官報』第12401号21-22頁 昭和43年4月18日号

関連書誌

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  • 『前大阪市長中井光次市葬記録』(大阪市市長室、1969年、135p、全国書誌番号:73003627NDC:289.1、書誌ID:000001212598)

関連項目

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公職
先代
近藤博夫
大阪市長
公選第2 - 4代:2015年 - 2019年
次代
中馬馨
議会
先代
新設
日本の旗 参議院人事委員長
1948年 - 1950年
次代
木下源吾
官職
先代
福邑正樹
島根県の旗 島根県知事
官選第20代:1936年
次代
児玉九一
先代
坂間棟治
大阪市長
官選第10代:1945年 - 1946年
次代
廃止