澄田信義
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澄田 信義 すみた のぶよし | |
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2006年7月18日 | |
生年月日 | 1935年2月20日 |
出生地 | 日本 島根県出雲市 |
没年月日 | 2009年6月13日(74歳没) |
死没地 | 日本 島根県松江市 |
出身校 | 東京大学法学部 |
前職 | 日本国有鉄道常務理事 |
所属政党 |
(自由民主党→) 無所属 |
称号 | 従三位、旭日大綬章 |
公選第11-15代島根県知事 | |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1987年4月30日 - 2007年4月29日 |
澄田 信義(すみた のぶよし、1935年(昭和10年)2月20日 - 2009年(平成21年)6月13日)は、日本の政治家。元島根県知事(5期)。島根県出雲市出身。
来歴・人物
[編集]1953年(昭和28年)島根県立出雲高等学校卒業。1957年(昭和32年)に東京大学法学部を卒業して日本国有鉄道に入社した。1980年(昭和55年)に和歌山県警察本部長、1982年(昭和57年)に日本国有鉄道監察局長、1986年(昭和61年)同常務理事などを歴任した。
1987年(昭和62年)4月の島根県知事選挙に自由民主党公認で出馬し当選[1]。4月30日に就任した。2007年(平成19年)4月29日まで島根県知事として最長の5期20年務めた。この間、2003年(平成15年)に全国知事会副会長に就任している。退任時には、昭和時代に就任した最後の現職都道府県知事であった。退任後は島根県文化振興財団理事長、島根県社会福祉協議会会長を務めた[1]。2007年(平成19年)11月には旭日大綬章を受章[1]。
2009年(平成21年)6月13日、内臓疾患のため松江市内の病院で死去した[1]。従三位に叙せられた。同年9月13日に県・県議会・県内市町村などで組織された実行委員会主催の「お別れの会」が営まれた。
文献
[編集]著書
[編集]- 『ふるさとに立ちて-島根新時代への道』 山陰中央新報社、1990年7月、ISBN 4879030155。
- 『あすの島根をつくる「環日本海時代をひらくふるさと創造計画」』 山陰中央新報社、1994年 ISBN 4879030341。
- 『21世紀しまね新時代 理性の時代から感性の時代へ』 山陰中央新報社、1998年。ISBN 4879030651。
- 『汽笛に想う-鉄道マン知事の交通への挑戦』 ぎょうせい、2001年6月、ISBN 4324064318。
脚注
[編集]関連項目
[編集]- 竹下登
- 青木幹雄
- 中海 - 在任中の2002年(平成14年)に淡水化事業の中止を決定。
- 竹島 (島根県) - 在任中に竹島の日などを制定。
- JR西日本キハ187系気動車 - 元国鉄幹部の人脈を生かして、山陰本線の高速化に尽力した。その時に補助金で導入した車両。
公職 | ||
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先代 恒松制治 |
島根県知事 公選第11-15代:1987年 - 2007年 |
次代 溝口善兵衛 |