春日潜庵
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春日 潜庵(かすが せんあん、1811年9月20日(文化8年8月3日)- 1878年(明治11年)3月23日[1])は、日本の幕末から明治初期の地下人・儒学者、政治家。第一次奈良県知事。初名・仲好、名・仲襄、雅号・潜庵[1]。
経歴
[編集]山城国京都烏丸通一条上ル[2](現京都市上京区)で、久我家諸大夫・春日越前守仲恭の息子として生まれる[1]。内大臣・久我通明、久我建通に仕え、讃岐守となる[1]。朱子学を修め、さらに陽明学を修めた。安政4年(1857年)頃から梁川星巌、西郷隆盛らと国事に奔走[2]。そのため安政の大獄に座し永押込に処せられた。文久2年11月(1862年12月-1863年1月)和宮降嫁後に特赦を受けた[1]。
明治維新後、慶応4年2月(1868年)、久我通久が大和国鎮撫総督に任じられるとその参謀となった[1]。奈良県が設置されると、同年5月19日(7月8日)初代知事に就任。同年7月24日(9月10日)に知事を辞し退官[3]。 その後は学を講じた[1]。