由起しげ子
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由起 しげ子(ゆき しげこ、1900年12月2日 - 1969年12月30日)は、日本の小説家。山田耕筰に師事し、フランスに音楽留学もしたが、脊椎カリエスのため文筆に転じ、芥川賞を受賞しベストセラー作家になった[1]。旧名新飼 志げ(しんがい しげ)。
生涯
[編集]大阪府堺市生まれ。神戸女学院音楽部在学中に山田耕筰から作曲を学び[2]、才能を発揮していたが、中退する。
1945年、伊原と別居する。神近市子らの勧めにより作家の道に進む。
1949年、『作品』に発表した最初の短篇「本の話」で第21回(戦後再開第1回)芥川賞を受賞する[2]。
1954年、『小説新潮』に載せた「女中ッ子」が映画化され、ベストセラーとなる。以後はもっぱら少女小説や中間小説の作家として活躍した。息子は彫刻家の伊原通夫(1928年- )。
1960年、『赤坂の姉妹』が川島雄三監督により『赤坂の姉妹より 夜の肌』として映画化された。墓所は富士霊園。
著書
[編集]- 『厄介な女』(時事通信社、1950年)
- 『春を告げる花』(時事通信社、1950年)
- 『警視総監の笑ひ・本の話』(角川文庫、1951年)
- 『コクリコ夫人』(早川書房、1952年)
- 『ルリ色の海』(同和春秋社、1955年)
- 『女中ッ子・この道の果に』(新潮社、1955年)
- 『語らざる人』(大日本雄弁会講談社、1955年)
- 『今日のいのち』(現代社、1956年)
- 『未知からの誘い』(現代社、1956年)
- 『若い火』(河出新書、1956年)
- 『夕すげ』(現代社、1956年)
- 『生きる場所』(大日本雄弁会講談社(ロマン・ブックス)、1958年)
- 『ヒマワリさん』(講談社(ロマン・ブックス)、1958年)- 明日は咲こう花咲こうの原作
- 『女ごころ』(文芸評論新社、1958年)
- 『女の中の悪魔』(新潮社、1959年)
- 『契約結婚』(新潮社、1960年)
- 『夢違い』(光文社、1960年)
- 『赤坂の姉妹』(新潮社、1960年)
- 『沢夫人の貞節』(新潮社、1961年)
- 『罪と愛』(新潮社、1962年)
- 『小さな結婚』(講談社、1963年)
- 『真夜中の顔』(新潮社、1963年)
- 『やさしい良人』(文藝春秋新社、1963年)
- 『愛のかけら』(文藝春秋新社、1964年)
- 『女性作家シリーズ 森茉莉・由起しげ子・萩原葉子』角川書店 1998
脚注
[編集]- ^ 津上智実、「神戸女学院所蔵資料に見る由起しげ子の音楽教育歴」『女性学評論』 2017年 31巻, NCID AN10066294, 神戸女学院大学女性学インスティチュート
- ^ a b c “日本大百科全書(ニッポニカ)「由起しげ子」の解説”. KOTOBANK. 2022年7月17日閲覧。
参考文献
[編集]- デジタル版日本人名大辞典
- 『日本近代文学大辞典』講談社、1984年
- 「年譜」『芥川賞全集』第4巻 文藝春秋、1982年
- 「年譜」『女性作家シリーズ』
関連項目
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