コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

白坂依志夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
しらさか よしお
白坂 依志夫
本名 八住 利義 (やすみ としよし)
生年月日 (1932-09-01) 1932年9月1日
没年月日 (2015-01-02) 2015年1月2日(82歳没)
出生地 日本の旗 日本東京府東京市
死没地 日本の旗 日本東京都
職業 脚本家
ジャンル 劇場用映画テレビ映画
活動期間 1955年 - 2015年
配偶者 中川弘子(離別)
著名な家族 八住利雄 (父)
山本夏彦 (叔父)
山本露葉 (祖父)
中川三郎 (元義父)
事務所 大映東京撮影所 (1955年 - 1957年)
行動社 (1972年 - )
主な作品
永すぎた春
巨人と玩具
マンモスタワー(テレビ映画)
動脈列島
曽根崎心中
受賞
第13回芸術祭奨励賞
テンプレートを表示

白坂 依志夫(しらさか よしお、1932年昭和7年)9月1日 - 2015年平成27年)1月2日)は、日本脚本家である[1][2]。本名︰八住 利義(やすみ としよし)[1][2]市川市が特別協力する水木洋子の名を冠した「市川市水木洋子シナリオ賞」選考委員長。日本シナリオ作家協会全部委託承継会員[3]

略歴

[編集]

1932年(昭和7年)9月1日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる[1]。父はロシア文学者から脚本家に転じ、映画脚本界の大御所として知られた八住利雄[1](1903年 - 1991年)、母の父(母方の祖父)が山本露葉(1879年 - 1928年)、母の実弟(母方の叔父)が山本夏彦(1915年 - 2002年)である。

中学生時代から、多作で知られた父のラジオドラマの脚本などを代作。成城学園高等学校卒業。早稲田大学文学部在学中は、左幸子新東宝の若手俳優と劇団を結成し演劇活動に熱中するが、やがてアルバイトで脚本を書き始める。

1953年(昭和28年)に大学を中退。1955年(昭和30年)、大映東京撮影所に脚本家として入社する。ペンネームは、デビュー当時の阪神タイガースの二遊間コンビ、白坂長栄吉田義男に由来するが、特にタイガース・ファンという訳ではなかった。

高校時代から交流があった三島由紀夫作品を原作とした『永すぎた春』(監督田中重雄、1957年)で注目され、1957年(昭和32年)、大映を退社し、各社と契約。『巨人と玩具』(監督増村保造、大映、1958年)[1]、自らも出演した『野獣死すべし』(1959年、東宝、監督須川栄三)、『われらの時代』(監督蔵原惟繕日活、1959年)と映画会社をまたにかけて、若々しい感性の作品をたてつづけに執筆し、日本映画界の若き才能として活躍する。また、1958年(昭和33年)にはテレビドラマにおいて、同年に完成した東京タワーを指す語をタイトルに、テレビの勃興を脅威に感じる映画界の人々を描く異色作『マンモスタワー』の脚本を執筆し、芸術祭奨励賞を受賞した[4]

同世代の若き文化人たち、大江健三郎石原慎太郎寺山修司谷川俊太郎武満徹和田誠伊丹十三らと盛んに交流した。増村保造とは名コンビとして、1978年(昭和53年)の『曽根崎心中』まで、多くの作品を作り続けた[1]。大映倒産後には、増村映画のプロデューサーであった藤井浩明、増村とともに独立プロダクション「行動社」を起こした。

私生活ではプレイボーイとしても知られ、女優たちとの赤裸々な交際などを回顧したエッセイ『白坂依志夫の人間万華鏡』を月刊「シナリオ」誌に連載し、大いに話題を呼んだ。のちに別冊『脚本家白坂依志夫の世界 書いた!跳んだ!遊んだ!』としてまとめられた。門下生に石松愛弘桂千穂がいる。中川三郎(1916年 - 2003年)の長女で女優の中川弘子(1936年 - )と結婚したが、のちに離婚した。

2015年(平成27年)1月2日、肺炎のため、東京都内の自宅で死去した[1][2]。満82歳没。葬儀は近親者のみで行い、喪主は長女の竹宮映子が務め、白坂の死はその4日後の同6日に報じられた[1][2]

おもなフィルモグラフィ

[編集]

白坂が手がけたおもな劇場用映画テレビ映画の一覧である。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h 訃報:白坂依志夫さん 82歳=脚本家”. 毎日新聞 (2015年1月6日). 2015年8月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月23日閲覧。
  2. ^ a b c d 脚本家の白坂依志夫氏が死去…三島作品を映画化”. 読売新聞 (2015年1月6日). 2015年1月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月23日閲覧。
  3. ^ 著作者管理検索 検索結果、日本シナリオ作家協会、2015年8月19日閲覧。
  4. ^ 樋口[2008], p..[要ページ番号]

参考資料

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]