福岡県立福岡魁誠高等学校
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福岡県立福岡魁誠高等学校 | |
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北緯33度37分7.3秒 東経130度28分55.7秒 / 北緯33.618694度 東経130.482139度座標: 北緯33度37分7.3秒 東経130度28分55.7秒 / 北緯33.618694度 東経130.482139度 | |
過去の名称 |
糟屋郡立農学校 福岡県立粕屋農業高等学校 福岡県立粕屋高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 福岡県 |
校訓 | 至誠・礼節・勤労 |
設立年月日 | 1912年(大正元年) |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 単位制 |
設置学科 | 総合学科 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | D140234900018 |
高校コード | 40134A |
所在地 | 〒811-2317 |
福岡県糟屋郡粕屋町長者原東5丁目5番1号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
福岡県立福岡魁誠高等学校(ふくおかけんりつ ふくおかかいせいこうとうがっこう)は、福岡県糟屋郡粕屋町長者原東五丁目に位置する公立の高等学校。
総合学科を有している。
概要
[編集]- 歴史
- 1912年(大正元年)創立の「糟屋郡立農学校」(実業学校)を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革により、新制高等学校となった。当初は農業高等学校であったが、1973年(昭和48年)には農業に関する学科に加えて、普通科を設置。2003年(平成15年)には従来の学科の生徒募集を停止し、総合学科を新設し、現校名となった。2022年(令和4年)には創立110周年を迎えた。
- 校訓
- 「至誠・礼節・勤労」
- 校是
- 自らを創造する心
- 自らを律する心
- 自ら学ぶ意欲的な心
- 校章
- 旭日章を背景にして、中央に「髙」の文字を配している。
- 校歌
- タイトルは「THE WAY TO MY DREAMⅢ」。作詞・作曲ともにPIPELINE PROJECTによる。歌詞は3番まであり、歌詞中に校名は登場しない。
- 同窓会
- 「糟屋至誠会」と称している。
沿革
[編集]- 農学校(実業学校)時代
- 1912年(大正元年)10月16日 - 「糟屋郡立農学校」の設置が文部省により認可される。
- 1913年(大正2年)4月10日 - 開校式ならびに第1回入学式を挙行。
- 1916年(大正5年)
- 1917年(大正6年)2月11日 - 校友会(同窓会の前身)が発足。
- 1920年(大正9年)5月 - 「福岡県粕屋農学校」と改称。
- 1921年(大正10年)4月1日 - 学級数を4、定員を150名とする。
- 1923年(大正12年)3月 - 県立移管により、「福岡県立農学校」と改称。
- 1925年(大正14年)4月1日 - 「福岡県粕屋農学校」に改称。
- 1928年(昭和3年)3月 - 学則の一部を変更の上、修業年限を4年、定員を200名とする。
- 1936年(昭和11年)3月 - 組織を変更。
- 1937年(昭和12年)2月 - 学則を改正し、2学期制を3学期制とする。
- 1940年(昭和15年)3月 - 第一本科を3年制とする。研究科を設置。全生徒定員を350名とする。
- 1941年(昭和16年)3月 - 第一本科の学級を増設の上、全生徒定員を500名とする。
- 1944年(昭和19年)3月 - 学級増により、全生徒定員を550名とする。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、新制中学校を併置し(以下・併置中学校)、農学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
- 1948年(昭和23年)3月31日 - 旧制・農学校が廃止される。
- 新制高等学校
- 1948年(昭和23年)
- 4月1日 - 学制改革により、新制高等学校「福岡県立粕屋農業高等学校」に改組・改称。併置中学校を継承。
- 6月30日 - 定時制課程(1学級)を併置。
- 1949年(昭和24年)
- 3月31日 - 併置中学校を廃止。
- 8月31日 - 「福岡県立粕屋高等学校」に改称。
- 1951年(昭和26年)3月 - 定時制古賀分校(農村家庭科)を設置。
- 1952年(昭和27年)4月1日 - 農業科の学級数を2から1に減じ、畜産科(1学級、定員50名)を新設。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 「福岡県立粕屋農業高等学校」に改称。
- 1957年(昭和32年)
- 1962年(昭和37年)
- 3月31日 - 定時制課程古賀分校(農村家庭科)の募集を停止。
- 4月1日 - 古賀分校に福岡県公立古賀高等学校が併設される。
- 7月 - 体育館兼講堂が完成。
- 1963年(昭和38年)
- 3月 - 石炭鉱害復旧法に基づき、運動場の盛土工事が完了。
- 4月1日 - 農村家庭科を「生活科」に改称。
- 1964年(昭和39年)3月 - 生活科学級を2学級を臨時増。
- 1965年(昭和40年)4月 - 糟屋郡久山町大字山田椿河内内の町有林を果樹園用地として購入。
- 1966年(昭和41年)
- 3月 - 畜産科を「農業土木科」に変更。
- 4月 - 生活科学級数を以降2学級とする。
- 1967年(昭和42年)3月 - 測量実習と土壌土質実習室が完成。
- 1970年(昭和45年)3月 - 新校舎第一棟が完成。
- 1971年(昭和46年)3月 - 実習棟が完成。
- 1973年(昭和48年)
- 3月 - 新校舎第二棟が完成。
- 4月1日 - 普通科(2学級)を新設。
- 1974年(昭和49年)
- 1974年(昭和49年)
- 6月 - 新校舎2棟・実習棟が完成。
- 1975年(昭和50年)
- 3月 - 新校舎2棟が完成。
- 4月 - 新運動場の造成が完了。
- 1976年(昭和51年)6月 - 新校舎2棟が完成。
- 1979年(昭和54年)12月 - クラブハウスが完成。
- 1980年(昭和55年)
- 3月 - 体育館兼講堂が完成。
- 7月 - 図書室、視聴覚室、職員室、ピロティーが完成。
- 8月 - 食堂が完成。
- 1983年(昭和58年)2月 - 武道場が完成。
- 1985年(昭和60年)3月 - 2階建て部室(10室)が完成。
- 1989年(平成元年)3月 - 果樹園を造成。果樹園ビニールハウスが完成。
- 1992年(平成4年)4月1日 - 1学年の学級数が普通科6(そのうち体育コース1)、産業技術科2、合計8となる。
- 1993年(平成5年)
- 1月 - 地学教室を生物工学実験室に改造。
- 2月 - 運動場を造成。創立「80」周年を記念誌、桜「80」本を植樹。記念碑を運動場に建立。
- 1994年(平成6年)3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、農業科・農業土木科・生活科を閉科。
- 1997年(平成9年)
- 3月 - 大規模改造(耐震)工事が完了。
- 4月 - 1学年の学級数が普通科7学級(臨時増1、そのうち、体育コース1)、産業技術科2学級、合計9となる。
- 2002年(平成14年)4月1日 - 1学年の学級数が普通科5(そのうち、体育コースは1)、産業技術科2、合計7となる。
- 2003年(平成15年)
- 4月1日 - 「福岡県立福岡魁誠高等学校」(現校名)に改称。総合学科(1学年7学級)を設置。普通科および産業技術科の募集を停止。
- 10月 - 第1期工事(第一棟西側大規模改築)が完了。
- 2004年(平成16年)8月 - 第2期工事(第三棟総合学科棟と渡り廊下)が完了。
- 2005年(平成17年)
- 3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、普通科および産業技術科を閉科。
- 10月 - 第3期工事(第一棟東側大規模改築)が完了。
- 2006年(平成18年)3月 - 相撲場が完成。
- 2007年(平成19年)
- 1月 - 第4期工事(第二棟大規模改築)が完了。
- 3月 - 第5期工事(旧体育館等解体・外構)が完了。
- 2008年(平成20年)3月 - 野球部室が完成。
- 2012年(平成24年)10月 - 創立100周年記念式典を挙行。
交通アクセス
[編集]- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停
- 西鉄バス「魁誠高校前」より徒歩1分
- 最寄りの道路
- 九州自動車道 「福岡IC」より車で5分
- 福岡県道607号福岡篠栗線