五島市立福江中学校
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五島市立福江中学校 | |
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福江中学校正門 | |
北緯32度42分03秒 東経128度50分25秒 / 北緯32.700944度 東経128.840139度座標: 北緯32度42分03秒 東経128度50分25秒 / 北緯32.700944度 東経128.840139度 | |
過去の名称 |
福江町立福江中学校 福江市立福江中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 五島市 |
併合学校 |
福江市立赤島中学校 福江市立福江中学校赤島分校 福江市立黄島中学校 五島市立福江中学校黄島分校 五島市立椛島中学校 五島市立奥浦中学校 五島市立崎山中学校 |
設立年月日 | 1947年(昭和22年)4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
分校 | 椛島分校 |
学校コード | C142210000534 |
所在地 | 〒853-0052 |
長崎県五島市松山町75番地4 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
五島市立福江中学校(ごとうしりつ ふくえちゅうがっこう, Goto City Fukue Junior High School)は、長崎県五島市松山町にある公立中学校。略称は「福中」(ふくちゅう)。2023年(令和5年)5月1日現在で生徒数が五島市内最多の中学校である[1]。
概要
[編集]- 歴史
- 1947年(昭和22年)の学制改革によって、旧・福江国民学校の高等科が改組され、「福江町立福江中学校」(新制中学校)として開校。2012年(平成24年)に創立65周年を迎えた。
- 校章
- 校名の「福」を偏の「示」と旁の「畐」に分け、その間に「中」の文字を置いている。
- 校歌
- 作詞は斉藤清衛、作曲は下総皖一による。歌詞は3番まであり、歌詞の校名は登場しない。
- 生徒数・学級数
- 計543名 - 1年生5学級、2年生5学級、3年生4学級、特別支援学級2学級 (2010年度(平成22年度)時点)
- 校区
- 住所表記で五島市の後に「下大津町、上大津町、三尾野町、三尾野一~三丁目、坂の上一丁目、大円寺町、福江町、東浜町一丁目~三丁目、紺屋町、武家屋敷一~三丁目、池田町、新港町、江川町、栄町、中央町、末広町、幸町、錦町、松山町、大荒町、木場町、黄島町、赤島町、吉久木町、籠淵町、平蔵町、奥浦町、戸岐町、下崎山町、上崎山町、向町、長手町」が続く地区。
- 小学校区は五島市立福江小学校、五島市立緑丘小学校[2]。
沿革
[編集]- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)。
- 旧・福江国民学校の初等科が改組され、福江町立福江小学校となる。
- 旧・福江国民学校の高等科が改組され、「福江町立福江中学校」となり、当初小学校に併設される。初代校長には田口馬次が就任。
- 1948年(昭和23年)
- 福江小学校の校舎9教室を借用。
- 寺山校舎が完成し、2年生が移転。校舎不足で二部授業[3]を実施。
- 1951年(昭和26年)1月 - 旧・長崎県立五島高等女学校[4]に全学年が移転完了。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 町制合併・市制施行により、「福江市立福江中学校」に改称。
- 1957年(昭和32年)- 4教室を増築。玄関前のコンクリート舗装を実施。
- 1959年(昭和34年)- 南校舎6教室を増築。
- 1960年(昭和35年)- 木造2階建て東校舎(4教室)、砂場、自転車置き場が完成。
- 1962年(昭和37年)- 玄関前に築山が完成。
- 1963年(昭和38年)- 土俵が完成。
- 1964年(昭和39年)- 県道側ブロック塀が完成。
- 1965年(昭和40年)- 岩石園が完成。校旗を制定。
- 1967年(昭和42年)
- 1969年(昭和44年)- 杉400本と檜800本の植林を実施。
- 1971年(昭和46年)- 本館北校舎が解体され、鉄筋コンクリート造の新校舎(第一期工事)が完成。相撲部が長崎県中学校総合体育大会(以下、県中総体)で優勝。
- 1972年(昭和47年)- 卓球部が県中総体で優勝。
- 1973年(昭和48年)
- この年 - 新校舎(第二期工事)が完成。
- 3月31日 - 赤島分校を廃止。
- 1974年(昭和49年)- 男子卓球部と男子体操部が県中総体で優勝。
- 1975年(昭和50年)- 部活動振興会が発足。
- 1976年(昭和51年)- 運動場防球ネット・バックネットが完成。
- 1977年(昭和52年)- 運動場を整備。
- 1978年(昭和53年)- 国旗掲揚台が完成。
- 1980年(昭和55年)- 北側4階建て校舎(8教室)を増築。
- 1981年(昭和56年)- 東側木造校舎を解体。
- 1982年(昭和57年)- 南側特別教室棟(3階建て9教室)が完成。
- 1983年(昭和58年)- 南校舎の北側に屋外トイレが完成。
- 1989年(平成元年)- パソコンを設置。
- 1992年(平成4年)- PTAによる学校林伐採作業が行われる。科学部が日本学生科学賞を受賞。
- 2000年(平成12年)4月1日 - 福江市立黄島中学校を統合し、黄島分校とする。
- 2003年(平成15年)3月31日 - 黄島分校を休校とする。
- 2004年(平成16年)8月1日 - 市町村合併により、「五島市立福江中学校」(現校名)へ改称。
- 2011年(平成23年)3月31日 - 黄島分校を廃止し、本校に統合。
- 2018年(平成30年)4月1日 - 五島市立椛島中学校を統合の上、椛島分校とする[6]。
- 2024年(令和6年)4月1日 - 五島市立奥浦中学校と五島市立崎山中学校を統合。
部活動
[編集]- 運動部
- 文化部
著名な出身者
[編集]- 川口春奈 - 女優(3年生の1学期まで在籍)。2012年(平成24年)3月11日放送の行列のできる法律相談所の我が母校SPで実際に川口が母校に凱旋した模様が放送された[7]。
- 坪口道和 - 卓球選手。2年生のときに全国中学校卓球大会男子シングルスで3位、3年生のときに同大会男子団体・男子シングルス2位。その後、青森山田高等学校、青森大学を経て実業団の日産自動車へ。
- 高嶋仁 - アマチュア野球選手・指導者、智弁学園和歌山高等学校・智弁学園高等学校野球部元監督、現名誉監督。
交通アクセス
[編集]- 最寄りのバス停
- 五島自動車(五島バス)「福江中学校前」バス停
- 最寄りの道路
周辺
[編集]- 長崎県立五島高等学校
- 長崎県立五島海陽高等学校
- 五島市立福江小学校
- 五島市立緑丘小学校
- 五島市役所
- 長崎県五島振興局
- 福江郵便局
- みどり丘保育園
- 聖マリア病院
参考資料
[編集]- 「福江市史 上巻」(1995年(平成7年)3月31日, 福江市)第3編 教育・文化、第2章 学校教育、第2節 学校の沿革と現況 p. 417 ~ p. 421
脚注
[編集]- ^ “学校別児童・生徒数【令和5年5月1日現在】”. 長崎県 (2023年10月17日). 2023年12月9日閲覧。
- ^ 就学指定学校及び区域外通学について - 五島市ウェブサイト
- ^ 1日の授業を時間によって2部に区切って行う方式。
- ^ 旧制・長崎県立五島中学校(旧制中学校、男子校)とともに、長崎県立五島高等学校の前身となった学校。
- ^ 1947年(昭和22年)4月1日に「崎山村立崎山中学校赤島分校」として開校。1950年(昭和25年)4月に「崎山村立赤島中学校」として独立。1954年(昭和29年)に「福江市立赤島中学校」となった。
- ^ 平成30年3月定例教育委員会資料 (PDF) - 長崎県教育委員会ウェブサイト
- ^ “「行列のできる法律相談所」2012年3月11日(日)放送内容”. カカクコム (2012年3月11日). 2020年3月13日閲覧。