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私たちの望むものは

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「私たちの望むものは」
岡林信康シングル
初出アルバム『岡林信康アルバム第二集 見るまえに跳べ
B面 性と文化の革命
リリース
規格
  • 7インチレコード
  • SV-1080
ジャンル フォーク
時間
レーベル 日本ピクター
作詞・作曲 岡林信康
岡林信康 シングル 年表
  • 私たちの望むものは
  • (1970年 (1970)
岡林信康アルバム第二集 見るまえに跳べ 収録曲
Side A
  1. 愛する人へ
  2. おまわりさんに捧げる唄
  3. 性と文化の革命
  4. 自由への長い旅
  5. 私たちの望むものは
Side B
  1. NHKに捧げる歌
  2. 堕天使ロック
  3. ロールオーバー庫之助
  4. ラブ・ゼネレーション
  5. 無用ノ介
  6. 今日をこえて
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私たちの望むものは』(わたしたちののぞむものは)は、フォーク歌手岡林信康が、1970年7月5日日本ピクターより発売した歌である。

解説

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1969年9月6日 (1969-09-06)の大阪労音公演をすっぽかし、同月23日の東京公演直前に、「下痢を治してきます」と置き手紙を残したまま失踪する[1][2]、いわゆる「岡林信康蒸発事件」。当時さまざまな音楽メディアに派手に書き立てられた。

岡林は、連日のハードな地方公演に加えて、「コマーシャリズムに隷属し、レコードを作って金儲けしてるやつ」という、フォーク・ゲリラの言いがかり的批判や何やで神経がまいってしまった[2]

失踪しているさなか、岡林はボブ・ディランを聴き、『性と文化の革命』(W.ライヒ :著、中尾ハジメ :翻訳)を熟読し、大いに考えたという[1]。そのさなか、フランスの学生運動の中での落書きを集めた『壁は語る』(ジュリアン・ブザンソン)からヒントを得て、この曲『私たちの望むものは』は生まれた[3]。「今まで外に噛み付いてばかりいたけど、自分の中にこそ、噛みつかなければならないところがあるんではないか」[1][2]

「岡林の目が外から自分の内部に向いたぶん、たくさんの人々のハートに訴えて、共感を呼んだようです。新生・岡林信康の誕生だったと思います」と、ビクターレコードの深井静史ディレクターは述懐する[2]

松山千春は小学六年生の時、足寄町に岡林が来てコンサートをしたとき、「山谷ブルース」「チューリップのアップリケ」を聴き衝撃を受けたという[4][5]。その後、岡林を始めとするフォークソングにのめりこむ中で、高校生になりこの「私たちの望むものは」を文化祭の前夜祭で歌ったときの、聴衆との一体感を受け、歌手になろうと決めた[4]

収録曲

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全作詞・作曲・編曲・歌:岡林信康、伴奏:ビクター・オーケストラ

SIDE A

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  1. 私たちの望むものは  – (4:48)

SIDE B

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  1. 性と文化の革命  – (4:23)

収録アルバム

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カバー

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『私たちの望むものは』は、様々なアーティストによってカバーされている。

脚注

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  1. ^ a b c 私たちの望むものは〜“フォークの神様”と呼ばれた男が、社会への抗議(プロテスト)を自身に変換して紡ぎ出した強烈なメッセージソング|TAP the NEWS|TAP the POP2020年3月14日閲覧。
  2. ^ a b c d 『青春のバイブル―魂を揺さぶられた歌』富澤一誠著、シンコーミュージック、1993年5月15日発行、52頁。
  3. ^ 『風に吹かれた神々』鈴木勝生著、1987年、シンコー・ミュージック、16頁。
  4. ^ a b 「松山千春 『私たちの望むものは』に思うこと〜松山千春 全作品解説293〜」S3068_YUMENO BLOG 〜愛のうた_愛した季節の薫り  From the 1960s to 2020s Music Diary notebook〜 夢野旅人2020年3月14日閲覧。
  5. ^ 『岡林信康黙示録』田頭道登著、三友会出版、1980年8月1日、208-209頁。

関連項目

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外部リンク

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