私たちの望むものは
「私たちの望むものは」 | |||||||
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岡林信康 の シングル | |||||||
初出アルバム『岡林信康アルバム第二集 見るまえに跳べ』 | |||||||
B面 | 性と文化の革命 | ||||||
リリース | |||||||
規格 |
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ジャンル | フォーク | ||||||
時間 | |||||||
レーベル | 日本ピクター | ||||||
作詞・作曲 | 岡林信康 | ||||||
岡林信康 シングル 年表 | |||||||
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『私たちの望むものは』(わたしたちののぞむものは)は、フォーク歌手岡林信康が、1970年7月5日に日本ピクターより発売した歌である。
解説
[編集]1969年9月6日[1][2]、いわゆる「岡林信康蒸発事件」。当時さまざまな音楽メディアに派手に書き立てられた。
の大阪労音公演をすっぽかし、同月23日の東京公演直前に、「下痢を治してきます」と置き手紙を残したまま失踪する岡林は、連日のハードな地方公演に加えて、「コマーシャリズムに隷属し、レコードを作って金儲けしてるやつ」という、フォーク・ゲリラの言いがかり的批判や何やで神経がまいってしまった[2]。
失踪しているさなか、岡林はボブ・ディランを聴き、『性と文化の革命』(W.ライヒ :著、中尾ハジメ :翻訳)を熟読し、大いに考えたという[1]。そのさなか、フランスの学生運動の中での落書きを集めた『壁は語る』(ジュリアン・ブザンソン)からヒントを得て、この曲『私たちの望むものは』は生まれた[3]。「今まで外に噛み付いてばかりいたけど、自分の中にこそ、噛みつかなければならないところがあるんではないか」[1][2]。
「岡林の目が外から自分の内部に向いたぶん、たくさんの人々のハートに訴えて、共感を呼んだようです。新生・岡林信康の誕生だったと思います」と、ビクターレコードの深井静史ディレクターは述懐する[2]。
松山千春は小学六年生の時、足寄町に岡林が来てコンサートをしたとき、「山谷ブルース」「チューリップのアップリケ」を聴き衝撃を受けたという[4][5]。その後、岡林を始めとするフォークソングにのめりこむ中で、高校生になりこの「私たちの望むものは」を文化祭の前夜祭で歌ったときの、聴衆との一体感を受け、歌手になろうと決めた[4]。
収録曲
[編集]全作詞・作曲・編曲・歌:岡林信康、伴奏:ビクター・オーケストラ
SIDE A
[編集]- 私たちの望むものは – (4:48)
SIDE B
[編集]- 性と文化の革命 – (4:23)
収録アルバム
[編集]- 岡林信康アルバム第二集 見るまえに跳べ(1970年 ) – シングル盤とは異なる。
- 私たちの望むものは 音楽舎春場所実況録音(1970年 )
カバー
[編集]『私たちの望むものは』は、様々なアーティストによってカバーされている。
- 泉谷しげる
- 山下達郎 ※ライブのみ
- 唄人羽(2004年、シングル『BORDER』収録)
- 松山千春(2006年、カバーアルバム『再生』収録)
- 阿部芙蓉美(2011年、アルバム『町』収録、映画『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』エンディングテーマ)
- kōkua(2016年、アルバム『Progress』収録)
脚注
[編集]- ^ a b c 私たちの望むものは〜“フォークの神様”と呼ばれた男が、社会への抗議(プロテスト)を自身に変換して紡ぎ出した強烈なメッセージソング|TAP the NEWS|TAP the POP2020年3月14日閲覧。
- ^ a b c d 『青春のバイブル―魂を揺さぶられた歌』富澤一誠著、シンコーミュージック、1993年5月15日発行、52頁。
- ^ 『風に吹かれた神々』鈴木勝生著、1987年、シンコー・ミュージック、16頁。
- ^ a b 「松山千春 『私たちの望むものは』に思うこと〜松山千春 全作品解説293〜」S3068_YUMENO BLOG 〜愛のうた_愛した季節の薫り From the 1960s to 2020s Music Diary notebook〜 夢野旅人2020年3月14日閲覧。
- ^ 『岡林信康黙示録』田頭道登著、三友会出版、1980年8月1日、208-209頁。