立石尚行
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 千葉県習志野市 |
生年月日 | 1970年5月14日(54歳) |
身長 体重 |
178 cm 84 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1998年 ドラフト3位 |
初出場 | 1999年5月20日 |
最終出場 | 2006年9月15日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
立石 尚行(たていし なおゆき、1970年5月14日 - )は、千葉県習志野市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。現在は北海道日本ハムファイターズ・ベースボールアカデミーのコーチ(野球教室講師)として活動している[1]。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]市立船橋高では同期の伏島良平(巨人)とバッテリーを組み、エースとして1988年春の選抜に出場。1回戦で倉吉東高に敗退[2]。1年下のチームメートに中堅手の大野和哉がいた。
卒業後は社会人野球のNTT関東に入社。川崎製鉄千葉・新日本製鐵君津と共に『千葉3強』の一角を形成していたチームをエースとして支えた。チームメートにバッテリーを組んでいた小笠原道大(当時捕手)や、遊撃手の沖原佳典がいる。
1996年の都市対抗に小笠原、沖原とともに新日本製鐵君津の補強選手として出場。1回戦ではJR東海を相手に先発として起用され好投、勝利投手となる。チームも準々決勝に進むが朝日生命に敗退した。
1998年はNTT関東チームの一員として都市対抗に出場。同年の日本選手権では、決勝で福留孝介を擁する日本生命相手に7失点ながら完投し9回に逆転されたがその裏に逆転サヨナラ勝ち、優勝を飾る。この試合で勝利投手となり優秀選手に選出された。同年のアジア大会日本代表にも選ばれたが、この年限りでNTT関東硬式野球部がNTTグループの統合再編に伴って廃部。これに伴って立石にも転籍話が持ち上がったが、日本ハムファイターズからドラフト3位指名を受け、28歳でプロ入りした。
プロ入り後
[編集]2000年には9勝の好成績を挙げた。
2004年3月31日のオリックス・ブルーウェーブ戦でチームの北海道移転後初の勝利投手となる[3]。5月10日の対千葉ロッテマリーンズ戦(札幌ドーム)では日本プロ野球タイ記録の1試合3ボークを記録[4]。6月15日の対ロッテ戦(千葉マリンスタジアム)で3年ぶり、1005日ぶりの勝利投手となる[5]
2005年には6月26日の西武ライオンズ戦でチーム移転後通算100勝目の勝利投手となる[3]。シーズン終盤には、この頃に確立された武田久、ブラッド・トーマス、建山義紀との4Ts(フォーティーズ)と呼ばれる勝利の方程式のリーダーとして、自身は先発もこなすなど大車輪の活躍を見せる。9月4日の対ロッテ戦ではこの4人だけのリレーで勝利、先発した立石が勝利投手になっている。
2006年には谷間の先発を任されている。
2007年に一軍登板なしに終わると、オフに日本ハムから戦力外通告を受け、現役引退。日本ハム球団の職員になった。
2008年3月5日に札幌ドームで行われたオープン戦、日本ハム対東京ヤクルトスワローズ戦の試合前に引退セレモニーが行われ、同期入団の森本稀哲を打席に迎えて最後の投球を披露した。
選手としての特徴・人物
[編集]チーム状況によって先発もリリーフもこなす器用さを持っていたため、トレイ・ヒルマン監督には「彼はボールを渡したらどこでも投げられる。私が見てきた中で最もプロらしい選手の一人だ」と評されていた[6]。入団時の監督だった上田利治は、日本ハムファイターズファンである伊集院光のラジオ(深夜の馬鹿力)にゲスト出演した際、「1位指名の松坂大輔を抽選で外したが、(同年ドラフト2位の)建山と立石の2人をとれたことの方が嬉しい」と語っていた。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1999 | 日本ハム | 21 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | -- | .500 | 202 | 46.2 | 49 | 4 | 14 | 1 | 5 | 34 | 2 | 2 | 28 | 28 | 5.40 | 1.35 |
2000 | 27 | 16 | 1 | 0 | 0 | 9 | 4 | 0 | -- | .692 | 484 | 112.2 | 107 | 13 | 51 | 0 | 2 | 68 | 2 | 1 | 57 | 51 | 4.07 | 1.40 | |
2001 | 18 | 10 | 0 | 0 | 0 | 3 | 4 | 0 | -- | .429 | 258 | 55.1 | 64 | 10 | 29 | 1 | 4 | 41 | 0 | 0 | 45 | 42 | 6.83 | 1.68 | |
2002 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | -- | .000 | 44 | 10.0 | 12 | 3 | 1 | 0 | 1 | 10 | 0 | 0 | 7 | 7 | 6.30 | 1.30 | |
2003 | 40 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | -- | .000 | 263 | 58.0 | 59 | 10 | 31 | 2 | 1 | 45 | 1 | 0 | 33 | 31 | 4.81 | 1.55 | |
2004 | 28 | 8 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 0 | -- | .571 | 332 | 76.0 | 84 | 12 | 21 | 0 | 2 | 57 | 1 | 3 | 34 | 30 | 3.55 | 1.38 | |
2005 | 28 | 9 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | 4 | .833 | 301 | 72.2 | 77 | 7 | 18 | 0 | 3 | 47 | 3 | 0 | 22 | 18 | 2.23 | 1.31 | |
2006 | 11 | 11 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 0 | 0 | .600 | 215 | 49.2 | 55 | 3 | 15 | 0 | 0 | 26 | 0 | 0 | 17 | 15 | 2.72 | 1.41 | |
通算:8年 | 181 | 57 | 1 | 0 | 0 | 25 | 19 | 1 | 4 | .568 | 2099 | 481.0 | 507 | 62 | 180 | 4 | 18 | 328 | 9 | 6 | 243 | 222 | 4.15 | 1.43 |
記録
[編集]- 初登板:1999年5月20日、対福岡ダイエーホークス9回戦(東京ドーム)、7回表に3番手で救援登板、2回無失点
- 初奪三振:同上、8回表に浜名千広から
- 初先発登板・初勝利・初先発勝利:1999年5月23日、対大阪近鉄バファローズ11回戦(東京ドーム)、5回2失点
- 初セーブ:1999年5月29日、対オリックス・ブルーウェーブ8回戦(グリーンスタジアム神戸)、7回裏に2番手で救援登板・完了、3回無失点
- 初完投勝利:2000年7月30日、対千葉ロッテマリーンズ18回戦(札幌市円山球場)、9回1失点
- 初ホールド:2005年3月30日、対西武ライオンズ3回戦(札幌ドーム)、8回表に3番手で救援登板、1回無失点
背番号
[編集]- 25 (1999年 - 2007年)
脚注
[編集]- ^ ファイターズアカデミー.北海道日本ハムファイターズ.2016年11月11日閲覧。
- ^ 「選抜高等学校野球大会65年史」毎日新聞社編 1994年
- ^ a b 北海道誕生通算1000勝達成! - 北海道日本ハムファイターズ
- ^ ベースボールマガジン2005年冬季号131ページ
- ^ ベースボールマガジン2005年冬季号132ページ
- ^ 「北海道日本ハムファイターズオフィシャルガイドブック2006」北海道新聞社、2006年
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 立石尚行 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)