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第十七阪九

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第十七阪九
係船中の「PANAGIA AGIASOU」(右)
基本情報
船種 フェリー
船籍 日本の旗 日本
所有者 西日本フェリー(1973-1975)
阪九フェリー(1975-1984)
関釜フェリー
釜関フェリー
運用者 西日本フェリー(1973-1975)
阪九フェリー(1975-1984)
関釜フェリー
釜関フェリー
建造所 神田造船所[1]川尻工場
姉妹船 第十六阪九
建造費 約16億5000万円[1]
航行区域 沿海[1]
IMO番号 7351848
改名 はかた(1973-1975)
第十七阪九
フェリー関釜(3代)
フェリー釜関(2代)
銀河(Eunha)
Eun
PANAGIA AGIASOU(2006-)
経歴
起工 1973年
進水 1973年
竣工 1973年12月[1]
就航 1973年12月18日
運航終了 2008年
要目
総トン数 5,748 トン[1]
全長 135.5 m[1]
22.0 m[1]
機関方式 ディーゼル
主機関 IHI製 2基[1]
推進器 2軸
出力 16,000馬力[1]
最大速力 22.3ノット[1]
航海速力 20.0ノット[1]
旅客定員 770名[1]
車両搭載数 トラック87台、乗用車109台[1]
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第十七阪九(だいじゅうななはんきゅう)は、阪九フェリーが運航していたフェリー。当初は西日本フェリーはかたとして就航、後に関釜フェリー釜関フェリーでも就航した。

概要

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つくしに続く西日本フェリーの第二船として神田造船所川尻工場で建造され、1973年12月8日に神戸 - 苅田航路に就航した。

1975年3月、西日本フェリーが航路を譲渡して解散、阪九フェリーに継承され第十七阪九となり、1975年4月28日からは神戸 - 小倉航路に就航した。 ニューみやこの就航により、1984年1月に引退した。

1984年8月、関釜フェリーに売却されフェリー関釜(3代)となり、フェリー関釜 (2代)(元第六阪九)の代船として9月16日から就航した。 その後、はまゆうの就航により、1998年8月に定期運航から外れた。

1999年2月に釜関フェリーに売却されフェリー釜関(2代)となり、フェリー釜関 (初代)(元第十六阪九)の代船として2月5日から就航した。

2002年5月、星希の就航により、関釜航路から引退した。

その後、改造を受け銀河(Eunha)と改名して、2002年10月21日に釜山 -広島航路に就航したが、2005年8月22日に航路休止となった。

2005年11月、海外売船にあたりEunと改名されて、ギリシャのSaos Ferriesに売却されPANAGIA AGIASOUとなった。

2006年から改造工事が行われたが中断されたため、竣工は2008年となった。

2008年の夏季はブルースターフェリーに傭船された。

2008年、Saos Ferriesが倒産したため、ピレウスで係船された。

2013年3月にスクラップとしてトルコに売却されたが、回航されずサロニコス湾で係船されている。

船内

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西日本フェリー時代[1]
  • 特等室(計18名)
  • 1等室(計84名)
  • 特2等室(計72名)
  • 2等室(計497名)
  • ドライバー室(計99名)
関釜フェリー時代[2]
  • Aデッキ
    • 1等A(2名×8室)
  • Bデッキ
    • 1等B(4名×21室 ツインベッド7室・二段ベッド8室・和室6室)
    • 2等A(6名×9室+大部屋1室)
    • 2等B(マス席・16室)
    • 食堂
    • バー
    • 浴室
    • 案内所
    • 事務室
    • 事務長室
  • Cデッキ
    • 2等B(22室)
    • ホール

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 新船紹介 西日本フェリー「はかた」 - 旅客船104号(日本旅客船協会 1974年)
  2. ^ 客船紹介定期船 関釜フェリー株式会社フェリー関釜 - マリンブルー・ファンタジー客船新時代の船旅(日本外航客船協会 1991年)

外部リンク

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