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第1施設群

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第1施設群
第1施設群門標と隷下部隊旗
創設 1952年(昭和27年)10月15日
廃止 2004年(平成16年)3月29日
所属政体 日本の旗 日本
所属組織 陸上自衛隊
部隊編制単位
兵科 施設科
所在地 北海道 恵庭市
編成地 南恵庭
上級単位 第3施設団
最終上級単位 第3施設団
担当地域 道央
最終位置 南恵庭
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第1施設群(だいいちしせつぐん、JGSDF 1st Engineer Group(Construction))とは、北海道恵庭市南恵庭駐屯地に群本部が駐屯していた陸上自衛隊第3施設団隷下の施設科部隊で2004年(平成16年)3月29日に廃止された。

概要

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北部方面隊創隊時に直轄の施設科部隊として編成され、その後、第3施設団新編により、その隷下部隊となる。施設科部隊としてさまざまな災害派遣や国際貢献活動で活躍していたが、第3施設団の縮小改編を前にした2004年(平成16年)3月に廃止された。廃止後、隷下部隊の一部は他部隊へ隷属替えされた。

沿革

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独立第1施設群

  • 1952年(昭和27年)
    • 10月15日:独立第1施設群本部が勝田駐屯地において編成完結[1]
    • 12月10日:独立第1施設群本部及び本部中隊が勝田駐屯地から南恵庭駐屯地に移駐[1]
    • 12月11日:北部方面隊隷下に編合。

第1施設群(3個大隊編成)

  1. 第102施設大隊(岩見沢駐屯地)を隷下に編合。
  2. 第103施設大隊(幌別駐屯地)を隷下に編合。
  3. 第104施設大隊を南恵庭駐屯地に新編し、隷下に編合。
※ 編成 第1施設群本部、本部中隊、第102施設大隊(岩見沢駐屯地)、第103施設大隊(幌別駐屯地)、第104施設大隊(南恵庭駐屯地

第1施設群

  • 1976年(昭和51年)3月25日:第3施設団改編
  1. (旧)第1施設群の第104施設大隊を基幹に、(新)第1施設群として南恵庭駐屯地に再編。
  2. (旧)第1施設群の第102施設大隊を基幹に、第12施設群として岩見沢駐屯地に新編。
  3. (旧)第1施設群の第103施設大隊を基幹に、第13施設群として幌別駐屯地に新編。
  4. 第307地区施設隊(釧路駐屯地)及び第303ダンプ車両中隊(南恵庭駐屯地)を編合。
※ 編成 第1施設群本部、本部中隊、第332施設中隊~第334施設中隊、第303ダンプ車両中隊、第302施設器材中隊、第307地区施設隊(釧路駐屯地
  • 1982年(昭和57年)3月25日:第303ダンプ車両中隊が第3施設団直轄へ異動。
  • 1988年(昭和63年)3月25日:第307地区施設隊(釧路駐屯地)を廃止し、第341施設中隊を釧路駐屯地に新編し、隷下に編合。
  • 1991年(平成03年)3月29日:第301坑道中隊を南恵庭駐屯地に新編し、隷下に編合。
  • 2000年(平成12年)3月28日:後方支援体制移行に伴い、整備部門を北部方面後方支援隊第101施設直接支援大隊第1直接支援中隊に移管。
  • 2004年(平成16年)
    • 3月23日:第341施設中隊(釧路駐屯地)を廃止し、第12施設群隷下の第342施設中隊(名寄駐屯地)と統合し、新たに釧路駐屯地において第12施設群隷下に第342施設中隊が再編。
    • 3月29日:第1施設群(南恵庭駐屯地)が廃止。
    1. 第332施設中隊~第334施設中隊(南恵庭駐屯地)、第302施設器材中隊(南恵庭駐屯地)が廃止。
    2. 第301坑道中隊(南恵庭駐屯地)が第13施設群に編合。

廃止時の部隊編成・駐屯地

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編成

  • 第1施設群本部
  • 本部管理中隊「1施群-本」
  • 第332施設中隊「332施」
  • 第333施設中隊「333施」
  • 第334施設中隊「334施」
  • 第341施設中隊「341施」
  • 第302施設器材中隊「302施器」
  • 第301坑道中隊「301坑」 → 第1施設群廃止後は第13施設群隷下となる。

駐屯地

整備支援部隊

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  • 北部方面後方支援隊第101施設直接支援大隊第1直接支援中隊:2000年(平成12年)3月28日から2004年(平成16年)3月29日の間。 → 第1施設群と同時に廃止。

歴代群長

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歴代の第1施設群長
(1等陸佐)
(1952年12月1日から1961年8月16日までの間、南恵庭駐屯地司令兼補)
氏名 在職期間 前職 後職
01 中本太郎
(2等保安正)
1952年10月15日 - 1952年12月22日 死去[2]・1等保安正に特別昇任[3]
-
井川静男
(2等保安正)
1952年12月22日 - 1953年02月09日
※独立第1施設群長代理
02 青山左武郎
(1等保安正)
1953年02月10日 - 1955年03月15日 第2施設大隊
兼 第2管区総監部施設課長
旭川駐とん地部隊長
陸上自衛隊施設学校
03 岸田茂 1955年03月16日 - 1959年03月16日 陸上幕僚監部施設課調査班長 陸上自衛隊施設補給処副処長
04 新穂栄蔵 1959年03月17日 - 1961年07月16日 陸上自衛隊施設学校総務部長 北部方面総監部
05 千葉磨 1961年07月17日 - 1963年03月15日 北部方面総監部第4部勤務 東北方面総監部施設課長
06 吉ヶ江忠 1963年03月16日 - 1964年07月15日 統合幕僚会議事務局勤務 陸上幕僚監部第1部勤務
07 森分健二 1964年07月16日 - 1966年03月15日 第3施設団本部高級幕僚 陸上自衛隊施設補給処副処長
08 阿部太郎 1966年03月16日 - 1967年07月16日 第101測量大隊
立川分とん地司令
東北方面総監部施設課長
09 外口行雄 1967年07月17日 - 1969年07月15日 陸上幕僚監部付 自衛隊新潟地方連絡部
10 林栄一郎 1969年07月16日 - 1971年07月15日 統合幕僚会議事務局第4幕僚室勤務 陸上幕僚監部付
11 田脇幸雄 1971年07月16日 - 1973年07月15日 北部方面総監部第4部勤務 陸上自衛隊航空学校勤務
12 高松博 1973年07月16日 - 1975年07月15日 第4施設団本部高級幕僚 中部方面総監部施設課長
13 中島常一 1975年07月16日 - 1977年07月31日 第11師団司令部第4部長 陸上自衛隊施設学校教育部長
14 肥田益次 1977年08月01日 - 1979年07月31日 陸上自衛隊施設学校勤務 陸上幕僚監部監察官
15 岡崎悟 1979年08月01日 - 1981年07月31日 第11師団司令部第3部長 陸上自衛隊幹部学校学校教官
16 三好實 1981年08月01日 - 1983年07月31日 第3施設団本部高級幕僚 帯広駐屯地業務隊
17 隈元保雄 1983年08月01日 - 1986年03月16日 陸上幕僚監部調査部付 中部方面総監部装備部長
18 平崎憲昭 1986年03月17日 - 1988年03月15日 陸上幕僚監部装備部施設課
建設班長
東部方面総監部装備部施設課長
19 本保忠顯 1988年03月16日 - 1990年03月15日 陸上幕僚監部教育訓練部教育課
学校第2班長
北部方面総監部人事部長
20 石岡久彌 1990年03月16日 - 1992年03月31日 統合幕僚学校学校教官 統合幕僚会議事務局第3幕僚室
指揮調整班長
21 岡村功三 1992年04月01日 - 1994年07月31日 第2施設団本部高級幕僚 防衛大学校教授
22 森川啓二 1994年08月01日 - 1996年12月15日 陸上自衛隊調査学校学校教官 第4施設団副団長
23 井上敬 1996年12月16日 - 1999年07月31日 上富良野駐屯地業務隊長 北部方面総監部勤務
24 橋端信博 1999年08月01日 - 2002年03月26日 防衛医科大学校学生部訓練課長 陸上自衛隊施設学校教育部長
吉岡聖二 2002年03月27日 - 2004年03月28日 陸上自衛隊幹部学校学校教官 陸上自衛隊施設学校
→2004年4月1日
陸上自衛隊施設学校教育部長

脚注

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  1. ^ a b c 『北部方面隊三十年年表 附写真集』北部方面総監部総務部総務課編、1984年。 
  2. ^ 『官報』本紙第7811号(昭和28年1月22日)
  3. ^ 『官報』本紙第7917号(昭和28年5月29日)

関連項目

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