第73戦車連隊
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第73戦車連隊 | |
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90式戦車の車列 | |
創設 | 1981年(昭和56年)3月25日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 機甲科 |
所在地 | 北海道 恵庭市 |
編成地 | 北恵庭 |
愛称 | 勝兜 |
上級単位 | 第7師団 |
担当地域 | 苫小牧市、白老町(警備隊区) |
第73戦車連隊(だいななじゅうさんせんしゃれんたい、JGSDF 73rd Tank Regiment)は、北海道恵庭市の南恵庭駐屯地に駐屯する、陸上自衛隊第7師団隷下の機甲科部隊である。
概要
[編集]部隊マークは、”勝兜”恵庭岳のシルエットに、創隊時の主力であった74式戦車の履帯爪をVサインのように配置し、中央に連隊番号の73を図形化して組み合わせている。戦国武将の兜に見立ていることから勝兜と呼ばれている。
沿革
[編集]第104特車大隊
第104戦車大隊
- 1962年(昭和37年)1月18日:第1特車群が第1戦車群に称号変更、併せて第104特車大隊が第104戦車大隊に称号変更。
- 1969年(昭和44年)5月:61式戦車装備開始。
- 1974年(昭和49年)7月31日:第104戦車大隊(北恵庭駐屯地)が廃止。
第3戦車群
- 1974年(昭和49年)8月1日:第1戦車団新編に伴い、第3戦車群(5個戦車中隊基幹)に改編。
- 1979年(昭和54年)6月:74式戦車装備開始。
- 1981年(昭和56年)3月24日:第3戦車群(北恵庭駐屯地)が廃止。
第73戦車連隊
- 1981年(昭和56年)3月25日:第7師団の機甲師団への改編に伴い、第1戦車団より第7師団へ配属変更、第73戦車連隊(4個戦車中隊基幹)に北恵庭駐屯地で改編。
- 1990年(平成 2年)
- 1999年(平成11年)7月:90式戦車装備開始。
- 2000年(平成12年)3月28日:連隊を改編し即応予備自衛官を編成に含むコア部隊化。後方支援体制変換に伴い、整備部門を第7後方支援連隊第2整備大隊第3戦車直接支援中隊へ移管。
- 2014年(平成26年)3月26日:即応予備自衛官訓練を終了し、フル化に改編[1]。
- 2024年(令和 6年)3月20日:第5戦車中隊を廃止[2]。
部隊編成
[編集]- 第73戦車連隊本部
- 本部管理中隊「73戦‐本」
- 第1戦車中隊「73戦‐1」- 90式戦車
- 第2戦車中隊「73戦‐2」- 90式戦車
- 第3戦車中隊「73戦‐3」- 90式戦車
- 第4戦車中隊「73戦‐4」- 90式戦車
廃止部隊
[編集]整備支援部隊
[編集]- 第7後方支援連隊第2整備大隊第3戦車直接支援中隊:2000年(平成12年)3月28日から
主要幹部
[編集]官職名 | 階級 | 氏名 | 補職発令日 | 前職 |
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第73戦車連隊長 | 1等陸佐 | 山下義弘 | 2023年 | 3月13日陸上幕僚監部人事教育部厚生課 厚生班長 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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1 | 齊野光浩 | 1981年 | 3月25日 - 1981年 6月30日第3戦車群長 | 陸上幕僚監部教育訓練部付 |
2 | 中村晃 | 1981年 | 7月 1日 - 1983年 7月31日陸上自衛隊幹部学校学校教官 | 陸上自衛隊東北地区補給処企画室長 |
3 | 森壽樹 | 1983年 | 8月 1日 - 1986年 3月16日第1師団司令部第4部長 | 自衛隊熊本地区病院総務部長 |
4 | 車田巴 | 1986年 | 3月17日 - 1987年 7月31日陸上幕僚監部装備部装備計画課 後方計画班長 |
北部方面総監部装備部長 |
5 | 古沢節夫 | 1987年 | 8月 1日 - 1989年 7月31日中部方面総監部防衛部訓練課長 | 自衛隊岐阜地方連絡部長 |
6 | 重松英夫 | 1989年 | 8月 1日 - 1992年 3月15日北部方面総監部防衛部防衛課長 | 東部方面総監部人事部長 |
7 | 持丸徹 | 1992年 | 3月16日 - 1994年 7月31日北部方面総監部人事部人事課長 | 陸上自衛隊幹部学校主任研究開発官 |
8 | 赤谷信之 | 1994年 | 8月 1日 - 1997年 6月30日陸上幕僚監部教育訓練部教育課 学校第1班長 |
第12師団司令部幕僚長 |
9 | 宮永義文 | 1997年 | 7月 1日 - 2000年11月30日自衛隊体育学校企画室長 | 陸上自衛隊幹部学校主任研究開発官 |
10 | 平賀邦明 | 2000年12月 | 1日 - 2002年12月 1日陸上自衛隊富士学校主任教官 | 北部方面指揮所訓練支援隊長 |
11 | 内野龍之 | 2002年12月 | 2日 - 2004年 7月31日陸上自衛隊富士学校機甲科部 研究課長 |
陸上自衛隊富士学校機甲科部副部長 |
12 | 野口利保 | 2004年 | 8月 1日 - 2006年 3月31日陸上自衛隊北海道補給処装備計画部 企画課長 |
陸上自衛隊研究本部主任研究開発官 |
13 | 水嶋達人 | 2006年 | 4月 1日 - 2007年 7月31日自衛隊高知地方連絡部長 | 陸上自衛隊研究本部付 |
14 | 前釜安孝 | 2007年 | 8月 1日 - 2009年 7月31日技術研究本部 技術開発官(陸上担当)付 新戦車開発室長 |
陸上自衛隊幹部学校主任教官 |
15 | 藤原修 | 2009年 | 8月 1日 - 2011年 7月31日陸上自衛隊化学学校教育部長 | 富士教導団副団長 |
16 | 福重毅尚 | 2011年 | 8月 1日 - 2013年 3月31日陸上自衛隊幹部学校学校教官 | 自衛隊長野地方協力本部長 |
17 | 國嶋健一 | 2013年 | 4月 1日 - 2015年 3月22日第7師団司令部第3部長 | 中部方面指揮所訓練支援隊長 |
18 | 平松良一 | 2015年 | 3月23日 - 2016年12月19日東部方面総監部防衛部訓練課長 | 陸上自衛隊富士学校機甲科部 教育課長 |
19 | 中村智志 | 2016年12月20日 - 2019年 | 3月22日陸上自衛隊富士学校機甲科部 研究課長 |
装備実験隊副隊長 |
20 | 諏訪国重 | 2019年 | 3月23日 - 2020年11月30日陸上幕僚監部人事教育部 募集・援護課募集・援護調整官 |
自衛隊宮城地方協力本部長 |
21 | 瀧澤英一 | 2020年12月 | 1日 - 2023年 3月12日陸上幕僚監部防衛部防衛課勤務 | 第14旅団司令部幕僚長 |
22 | 山下義弘 | 2023年 | 3月13日 -陸上幕僚監部人事教育部厚生課 厚生班長 |
主要装備
[編集]- 90式戦車
- 73式装甲車
- 87式偵察警戒車
- 軽装甲機動車
- 78式雪上車
- 1/2tトラック/73式小型トラック
- 1 1/2tトラック/73式中型トラック
- 3 1/2tトラック/73式大型トラック
- 89式5.56mm小銃
- 9mm拳銃
- 84mm無反動砲
警備隊区
[編集]脚注
[編集]- ^ 第7師団改編と第1戦車群廃止 防衛省が来年度予算の概算要求に盛り込む(苫小牧民報社、2012/9/10、9/12閲覧)
- ^ “第73戦車連隊 沿革”. 2024年3月29日閲覧。
- ^ “令和5年度北海道地域防災計画 第5章災害応急対策計画”. 北海道. pp. 120-124. 2024年3月14日閲覧。
参考文献
[編集]- PANZER臨時増刊 ウォーマシンレポート50 陸上自衛隊の戦車部隊 その歴史と現状 アルゴノート社 2016
- 陸上自衛隊機甲科全史 菊池征男著 イカロス出版 2017
- DVD「勝兜連隊此処に在り〜第73戦車連隊映像記録集」 HAJIMEVISION 2019年3月制作
- “防衛省人事発令”. 2015年3月23日閲覧。