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脇澤美穂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
脇澤 美穂
Miho Wakizawa
プロフィール
リングネーム 脇澤 美穂
本名 脇澤 美穂
ニックネーム みんなの太陽
身長 164cm
体重 60kg
誕生日 (1979-10-09) 1979年10月9日(45歳)
出身地 千葉県夷隅郡(現:いすみ市
所属 スターダム
(最終所属)
トレーナー 伊藤薫
デビュー 1996年7月28日
引退 2014年12月23日
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脇澤 美穂(わきざわ みほ、女性、1979年10月9日 - )は、日本の元プロレスラー、元お笑い芸人。身長164.1cm、体重60kg。血液型O型。千葉県夷隅郡(現:いすみ市)出身。プロレスラーとして全日本女子プロレススターダム、芸人としてよしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属していた。

プロレスラー時代より、納見佳容との「ミホカヨ」コンビで人気を博した。また納見、中西百重高橋奈苗(脇澤引退後は西尾美香)とキッスの世界としてCDデビューを果たした。

芸人転身の際、納見とのコンビ名「ミホカヨ」をそのまま自身の芸名に流用した。

経歴・戦歴

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1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
  • 9月17日、高橋を破り全日本シングル選手権を獲得。
2001年
  • 12月16日、川崎市体育館の対納見佳容戦で引退。その後しばらくのアルバイト生活の後、故郷へ帰郷。
2008年
  • 4月からワタナベコメディスクール8期生として入学しお笑い芸人を志す。そのきっかけは、テレビで視た青木さやかに「会いたい」と思ったことだったという[1]。『ミホカヨ』の芸名で、最初はピン芸人としてデビューを目指したが、キングオブコント出場のために同期生の吉川崇とのお笑いコンビ『吉川☆ミホカヨ』のボケ担当で、芸名は『ミホカヨ』を結成、M-1グランプリの予選にも出場。なお『ミホカヨ』の名前の使用に関しては、かつてのパートナーだった納見に快諾してもらったという[1]。その一方で、12月28日の伊藤道場新宿FACE大会で伊藤薫相手にプロレス復帰戦を行う。リングネームは芸名と同じ『ミホカヨ』。以後、単発ではあるが伊藤道場の興行で試合に出場している。
2009年
2011年
  • 6月3日、現役復帰を目指し高橋が率いるスターダムに入団。足の怪我もあり遅れたが、高橋奈苗を相手に12月25日復帰戦。
  • 12月25日、新木場1stRING大会で復帰戦を行い、高橋奈苗相手に善戦したが冷蔵庫爆弾→エビ固めで敗れた。
2012年
2013年
2014年
  • 8月より、かねてからの首の不調から欠場。
  • 11月3日、岩谷麻優の持つワンダー・オブ・スターダム王座に挑戦し敗北試合後首に限界が来たと言うため引退を発表。
  • 12月23日、後楽園ホールで引退試合を行い豊田真奈美とDRAGON GATE堀口元気H.A.Gee.Mee!!とタッグを結成。試合は岩谷のドラゴンスープレックスで敗れてしまい、2度目の現役引退。プロレス引退後は芸人のほかにブル中野の経営するBAR中野のぶるちゃんでも働いている。
2016年
  • 2月11日、2008年の結成以来続けていたお笑いコンビの「カイドキッ」を解散、芸人としても引退した。
  • 3月14日、一般男性と結婚し、主婦になる。
  • 2021年3月3日に行われた「スターダム10周年記念~ALLSTAR DREAM CINDERELLA~」日本武道館大会ではオールスター・ランブルに出場。プロレスに一時復帰した[5]

得意技

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タイトル歴

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入場テーマ曲

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  • 「I Would Love To」(Steve Vai
  • 「SPACE SOLDIER」「バクバクKissの世界 -W EXPLOSION-」に収録。

出演

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脚注

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  1. ^ a b デイリースポーツonline(2009年3月6日)
  2. ^ 里歩vs奈苗、さくらvs脇澤のシングルマッチ決定。4月13日板橋大会決定カード。 - 我闘雲舞公式ブログ 2013年5月11日閲覧。
  3. ^ 試合結果 - 我闘雲舞公式ブログ 2013年5月11日閲覧。
  4. ^ ☆★ご報告★☆ みんなの太陽・脇澤美穂 2013年5月21日
  5. ^ 【スターダム】オールスター・ランブルに全24選手が出場!全選手入場写真あり スターダム10周年記念~ALLSTAR DREAM CINDERELLA~ | プロレスTODAY” (2021年3月4日). 2021年3月10日閲覧。

外部リンク

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