貴妃
貴妃(きひ)は、かつての中国における皇帝の妃嬪の封号の一つである。通例では皇帝の側室の中で、高位の者に与えられた。宮廷における地位の高さとしては、親王の正室である親王妃に相当する。また、朝鮮半島やベトナムにおいても用いられた。
歴史
[編集]漢や晋の時代、貴妃は正式な封号ではなく、非公式な場で、高位の妃嬪の尊称として用いられた。
南北朝時代、南朝宋の孝武帝が、初めて正式に貴妃の封号を定め、位としては相国に相当するものだった。そして、貴嬪と貴人とあわせて三夫人と称した[1]。後世ではこれに沿った制度が多い。
唐においては、貴妃は皇后に次ぐ封号だった。唐の初め、皇后の下に貴妃、淑妃、徳妃を設け、これを四夫人と称し、位は正一品とした。玄宗の開元年間には後宮の封号制度が改められ、先の四つの妃の代わりに恵妃、麗妃、華妃の三妃を設けた[2]。開元十二年(724年)に王皇后が廃され、玄宗は武氏を恵妃とし、そのほかに趙氏を麗妃、劉氏を華妃とした。開元二十三年(735年)、皇甫徳儀が亡くなると、淑妃を追贈した[3]。天宝年間には改めて楊氏を貴妃とした。
これ以降の唐の後宮における妃の封号は貴妃、淑妃、徳妃、賢妃となった。ただし、唐では代宗から懿宗まで長期間、徳宗が王淑妃(昭徳王皇后)を亡くなる直前に皇后とした以外は皇后を立てず、この四妃(貴妃、淑妃、德妃、賢妃)で後宮関連の職務(本来は皇后の職務)を行っていたので、実際上は正室であった。それでも、名分上は側室でしかなく、皇帝が代替わりした場合、新帝の母でなければ必ずしも皇太后とされるわけではなかったし、あるいは追諡で皇后とされるわけでもなく、皇帝の嫡母というわけでもなかった。例としては代宗の崔貴妃がある。
明においては、宮中の皇妃の封号は多く、たとえば順妃、寧妃などがあった。貴妃は最高の封号だった。明の中後期には皇貴妃の封号があったので、貴妃は最高位のひとつ下となった。
清の後宮における品級は次の通り:皇后、皇貴妃、貴妃、妃、嬪、貴人、常在、答応、官女子。貴妃は三番目に位置する封号だった。
歴代王朝での貴妃の一覧
[編集]南朝
[編集]北周
[編集]唐朝
[編集]五代十国
[編集]宋朝
[編集]- 宋太宗:臧貴妃(追尊)
- 宋真宗:昭静貴妃(尊封)、杜瓊真(追尊)
- 宋仁宗:張貴妃、昭節貴妃(尊封)、昭淑貴妃(尊封)、昭懿貴妃(追尊)
- 宋神宗:刑貴妃(尊封)
- 宋哲宗:慕容貴妃(尊封)
- 宋徽宗:鄭貴妃、大王貴妃、懿粛貴妃、小王貴妃、喬貴妃、劉貴妃、劉貴妃
- 宋高宗:呉貴妃、劉貴妃、張貴妃
- 宋孝宗:謝貴妃、蔡貴妃
- 宋寧宗:楊貴妃
- 宋光宗:黄貴妃、張貴妃
- 宋理宗:謝道清、賈貴妃、閻貴妃
遼朝
[編集]金朝
[編集]明朝
[編集]- 明太祖:成穆貴妃
- 明成祖:昭献貴妃、昭懿貴妃
- 明仁宗:郭貴妃
- 明宣宗:孫貴妃、何貴妃(追尊)
- 明英宗:周貴妃
- 明宪宗:万貴妃、邵貴妃
- 明世宗:沈貴妃、文貴妃、閻貴妃
- 明穆宗:李貴妃
- 明神宗:鄭貴妃
- 明思宗:袁貴妃、田貴妃
- 弘光帝:金貴妃
清朝
[編集]- 順治帝:懿靖大貴妃(ナムジョン)
- 康熙帝:貴妃佟佳氏、貴妃佟佳氏、温僖貴妃、皇考貴妃瓜尔佳氏
- 雍正帝:貴妃年氏、熹貴妃鈕祜禄氏、皇考裕貴妃耿氏(尊封)
- 乾隆帝:貴妃高氏、嫻貴妃輝発那拉氏、令貴妃魏氏、純貴妃蘇氏、慶貴妃陸氏、嘉貴妃金氏、婉貴妃陳氏(尊封)、穎貴妃巴林氏、忻貴妃戴佳氏(追封)、愉貴妃珂里叶特氏(追封)、循貴妃伊爾根覚羅氏(追封)
- 嘉慶帝:貴妃鈕祜禄氏、諴貴妃劉佳氏、皇考如貴妃鈕祜禄氏
- 道光帝:全貴妃鈕祜禄氏、静貴妃博尔济吉特氏、琳貴妃烏雅氏、彤貴妃舒穆禄氏、佳貴妃郭佳氏(尊封)、成貴妃鈕祜禄氏(尊封)
- 咸豊帝:貞貴妃鈕祜禄氏、懿貴妃叶赫那拉氏、祺貴妃佟佳氏(尊封)、玫貴妃(尊封)、婉貴妃(尊封)
- 同治帝:瑨貴妃、珣貴妃、瑜貴妃
- 光緒帝:瑾貴妃(尊封)、珍貴妃(追封)
- 溥儀:明賢貴妃(追贈)
朝鮮半島
[編集]高麗の後宮制度は当初は定まっていなかった。第8代国王の顕宗の時に貴妃や淑妃の号が用いられるようになり、妃嬪の一人、李子林は王姓と貴妃の号を与えられ、元質貴妃王氏となった。その後、第11代国王の文宗の時に制度が整えられ、貴妃、淑妃、徳妃、賢妃は正一品となった[4]。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 『南史』巻十一・紀伝第一「及孝武孝建三年,省夫人,置貴妃,位比相国。进貴嬪比丞相,貴人比三司,以為三夫人」
- ^ 『新唐書』巻四十七・志第三十七・百官二「惠妃、麗妃、華妃,以代三夫人」 :s:zh:新唐書/卷047#內官
- ^ “唐故德仪赠淑妃皇甫氏神道碑”. 中国盲人数字图书馆 (2008年11月25日). 2012年7月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月23日閲覧。
- ^ 『高麗史』巻七十七・志第三十一・内職「國初未有定制,后妃而下,以某院、某宮夫人爲號。顯宗時,有尙宮、尙寢、尙食、尙針之職,又有貴妃、淑妃等號。靖宗以後,或稱院主、院妃,或稱宮主。文宗定官制,貴妃、淑妃、德妃、賢妃並正一品。」