野口敏治
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野口 敏治(のぐち としはる、1889年(明治22年)5月21日[1] - 1944年(昭和19年)1月14日[2])は、台湾総督府官僚。
経歴
[編集]神奈川県横浜市[1]出身。第一高等学校を経て、1915年(大正4年)に東京帝国大学法科大学政治科を卒業した[3]。同年に高等文官試験に合格し、台湾総督府属、新竹州属、台湾総督府視学官、台中州警務部長、文教局学務課長・附属博物館長、同社会課長を歴任した[3]。1931年(昭和6年)、新竹州知事となり、高雄州知事を経て、1933年(昭和8年)には台北州知事に就任した[3]。
1936年(昭和11年)に退官した後は、台湾電力株式会社理事・経理部長となり、1940年(昭和15年)に退任した[4][5]。他に福大公司監査役を務めた[5]。1944年(昭和19年)1月、病気療養中に死去した[2]。
脚注
[編集]- ^ a b 『台湾人士鑑』台湾新民報社、1937年、p.311。
- ^ a b 『朝日新聞』(東京本社発行)1944年1月18日朝刊、4頁。
- ^ a b c 帝国大学出身名鑑 1934.
- ^ 人事興信録 1943.
- ^ a b 大衆人事録 1943.
参考文献
[編集]- 校友調査会編『帝国大学出身名鑑』校友調査会、1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。