江藤昌之
表示
江藤 昌之(えとう まさゆき、1893年(明治26年)11月25日[1][2][3] - 1984年(昭和59年)4月17日[4])は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。
経歴・人物
[編集]江藤作吉の長男として[3]福岡県遠賀郡遠賀村島津(現:遠賀町大字島津)に生まれる[1][2]。1914年(大正3年)福岡県小倉師範学校を卒業し、久留米荘島小学校訓導となる[1][2]。のち広島高等師範学校に入学[1][2]。1919年(大正8年)3月、同校を卒業し、京都師範学校訓導兼教諭を拝命する[1][2]。さらに1922年(大正11年)京都帝国大学法学部法律学科に入学し、在学中の1924年(大正13年)11月[5]に高等試験行政科に合格[1][2]。1925年(大正14年)卒業と同時に渡台し、台湾総督府に出仕する[1][2]。
台北州内務部地方課勤務を振り出しに、1927年(昭和2年)地方理事官に進み、台中州勧業課長、台北州勧業課長、台湾総督府事務官営林所兼水産課勤務、文教局学務課勤務、学務課長、社会課長兼図書館長、財務局税務課長[1]、高雄州内務部長、米穀局総務課長、興亜院廈門連絡部書記官を経て、大使館一等書記官に就任[2]。中華民国勤務を経て、1943年(昭和18年)8月、新竹州知事に就任した[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 台湾新民報社 編『台湾人士鑑』呂霊石、1937年 。
- 興南新聞社 編『台湾人士鑑』呂霊石、1943年 。
- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年 。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。