遠賀町
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(遠賀村から転送)
おんがちょう 遠賀町 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 福岡県 | ||||
郡 | 遠賀郡 | ||||
市町村コード | 40384-9 | ||||
法人番号 | 2000020403849 | ||||
面積 |
22.15km2 (境界未定部分あり) | ||||
総人口 |
18,417人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 831人/km2 | ||||
隣接自治体 | 中間市、宗像市、遠賀郡岡垣町、水巻町、芦屋町、鞍手郡鞍手町 | ||||
町の木 | モクセイ | ||||
町の花 | スイセン[1] | ||||
他のシンボル | なし | ||||
遠賀町役場 | |||||
町長 | 古野修 | ||||
所在地 |
〒811-4303 福岡県遠賀郡遠賀町大字今古賀513番地 北緯33度50分52秒 東経130度40分06秒 / 北緯33.84789度 東経130.66828度座標: 北緯33度50分52秒 東経130度40分06秒 / 北緯33.84789度 東経130.66828度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
なお、福岡県内の自治体において、市町村の「町」は基本的に「まち」と読むが、当町だけ例外的に「ちょう」と呼ばれる[2]。
地理
[編集]福岡県の北東部、北九州市の西側に位置する。町の東端には遠賀川が流れており、水と緑に囲まれた自然豊かな土地である。遠賀川駅と、その少し北側の国道3号沿いにあるゆめタウン遠賀の周辺を中心に発展している。
北九州市と福岡市のほぼ中間に位置するため、北九州・福岡両都市圏に両属する。ただし北九州市に距離的に近いため、北九州都市圏の10%通勤圏に属し、同市への通勤通学人口が優勢である。そのため北九州市のベッドタウンとして発達している[1]。なお福岡都市圏(絶対都市圏)では5%通勤圏に属す。
隣接している自治体
[編集]- 中間市(水道事業、ごみ収集などを、中間市と遠賀郡4町共同で行っている)
- 遠賀郡:岡垣町、芦屋町、水巻町(水巻町との境界は全て遠賀川上のため、橋梁によってのみ接続)
- 鞍手郡:鞍手町(平地で隣接。下水道やインターチェンジ建設など、一部事業を共同で行っている)
- 宗像市(町南西端山間部で未確定部分を含む境界線のみ接しており、他自治体を経由せずに相互に行き来することは不可能)
地名
[編集]2001年以降、町内各地で住居表示が実施されるようになった。
- 松の本1丁目~7丁目(2001年、広渡・今古賀より発足)
- 遠賀川1丁目~3丁目(2002年、広渡・今古賀より発足)
- 旧停1丁目~2丁目(2002年、広渡より発足)
- 広渡1丁目(2002年、広渡より発足)
- 浅木1丁目~3丁目(2003年、浅木より発足)
- 芙蓉1丁目~2丁目(2003年、虫生津より発足)
- 若葉台(2003年、上別府・虫生津より発足)
- 田園1丁目~3丁目(2005年、鬼津・別府より発足)
- 島門(2005年、尾崎より発足)
- 虫生津南(2005年、虫生津より発足)
- 蓮角(2005年、上別府より発足)
歴史
[編集]かつては、「古遠賀潟」と呼ばれる内湾であったが、徐々に埋立てが進み、特に江戸時代には黒田藩が新田開発を進めたことから農業地帯として発達した[1]。
年表
[編集]- 1889年(明治22年) - 明治の大合併により遠賀郡島門村および同浅木村発足
- 1929年(昭和4年)4月1日 - 遠賀郡島門村・浅木村が対等合併し遠賀郡遠賀村となる
- 1964年(昭和39年)4月1日 - 遠賀村が町制施行、遠賀町となる[3]
- 2005年(平成17年)11月14日 - 住宅地の多くで、従来の「大字」「字」表示を「丁目」表示に変更、同時に一部町名を変更
歴代首長
[編集]代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 備考 |
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遠賀村長 | ||||
初 | 有吉暦太郎 | 1929年6月7日 | 1930年9月29日 | |
2 | 原田房太郎 | 1931年1月1日 | 1934年12月31日 | |
3 | 柴田円太 | 1935年1月28日 | 1939年1月27日 | |
4 | 安部伝次 | 1939年6月27日 | 1943年6月26日 | |
5 | 加藤猛雄 | 1943年12月29日 | 1945年6月19日 | |
6 | 名和朴 | 1945年7月16日 | 1946年10月15日 | |
7-8 | 古野繁樹 | 1947年4月5日 | 1955年4月30日 | 以後、公選 |
9-10 | 有吉茂也 | 1955年5月1日 | 1963年4月23日 | |
11 | 小川登一郎 | 1963年5月1日 | 1964年3月31日 | |
遠賀町長(1964年4月1日町制) | ||||
初-2 | 小川登一郎 | (1963年5月1日) | 1971年4月13日 | |
3-6 | 柴田貫蔵 | 1971年4月25日 | 1987年4月26日 | |
7-10 | 高山和幸 | 1987年4月27日 | 2003年4月26日 | |
11-12 | 木村隆治 | 2003年4月27日 | 2010年10月21日 | 任期中死去 |
13-14 | 原田正武 | 2010年12月12日 | 2018年12月11日 | |
15-16 | 古野修 | 2018年12月12日 | 現職 |
※歴代首長[4]
行政
[編集]町長
[編集]- 古野修(2期目)
- 任期:2026年12月11日
町議会
[編集]- 定数:13人
- 任期:2023年4月30日
消防署・救急医療
[編集]警察
[編集]公共施設
[編集]- 遠賀総合運動公園 住所:大字広渡23番地6
- 遠賀川漕艇場 住所:大字島津339番地1
- 5月下旬に開催される「九州朝日レガッタ」、および同時に開催される「おんがレガッタ」の会場
- ふれあいの里 住所:浅木二丁目31番1号
- ふれあいの里センター(屋内運動場、トレーニングルーム、娯楽室、カラオケルーム、大浴場、会議室など)、研修センター(宿泊可)、ふれあい工房(パン工房、麺工房、陶芸室)、民俗資料館、ふれあい農園、駐車場
- 遠賀町中央公民館 住所:大字今古賀513番地
- 「遠賀町文化祭」の会場
- 遠賀町立図書館 住所:大字今古賀513番地
- おんがみらいテラス 住所:遠賀川一丁目1番2号
地域
[編集]人口
[編集]遠賀町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 遠賀町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 遠賀町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
遠賀町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
人口関連
[編集]2005年国勢調査速報より
- 人口増加率:-0.16%(2000 - 05年の5年間。県平均0.67%、北九州都市広域圏[5]平均-1.65%)
- 性比[6]:88.9(県平均90.4、北九州都市広域圏[5]平均88.6)
- 世帯数:6,722世帯(県計200万8880世帯、北九州都市広域圏[5]計46万6724世帯)
- 世帯数増加率:7.04%(2000 - 05年の5年間。県平均4.75%、北九州都市広域圏[5]平均1.63%)
- 1世帯あたり人員:2.87人(県平均2.51、北九州都市広域圏[5]平均2.44)
- 高齢化率 20.5%
- 人口に占める15歳以下の子どもの率 12.2%
教育
[編集]高等学校
[編集]中学校
[編集]- 遠賀町立遠賀中学校
- 遠賀町立遠賀南中学校
小学校
[編集]- 遠賀町立広渡小学校
- 遠賀町立浅木小学校
- 遠賀町立島門小学校
産業・経済
[編集]農業
[編集]町の農業としては稲作が盛んである。
特産品
[編集]商業・観光施設
[編集]- ゆめタウン遠賀 - 1995年(平成7年)3月23日にイズミの九州進出1号店として開業した[7]。
- 遠賀川駅前商店街
- 島津・丸山歴史自然公園
- 馬頭岳ハイキングコース
- 地元の管理組合が毎年登山大会を実施している。
- 遠賀川温泉
- 浅木にある町内唯一の天然温泉。
その他
[編集]古墳・遺跡
[編集]神社・仏閣他
[編集]遠賀町には数多くの神社、仏閣が存在している。
- 仏閣
- 堂塔寺(若松) 九州二十四地蔵尊霊場 札所 第二番 身代地蔵尊
- 長楽寺(虫生津)
- 西光寺(浅木)
- 妙雲寺(老良)
- 長岸寺(広渡)
- 栄宗寺(若松)
- 常楽寺(鬼津)(曹洞宗)
- 本門立正宗本部道場(上別府)
- 神社
- 浅木神社(浅木)
- 地主神社(鬼津字小鳥掛)
- 貴船神社(鬼津)
- 貴船神社(別府)
- 八剣神社(今古賀)
- 八剱神社(広渡)
- 島門神社(広渡)
- 牟田神社(尾崎字先野口)
- 白山神社(尾崎字上の越)
- 伊豆神社(島津字丸山)(伊豆能売神)
- 老良神社(老良)
- 住吉神社(若松)
- 今泉神社(別府字宮前)
- 山崎神社(上別府)
- 恵比須神社(今古賀字新川)
- 天満神社(上別府)
- 高田神社(虫生津)
- 井手神社(木守)
- 皇大神宮(尾崎)
- 地蔵
- 延命地蔵尊(松の本)
- 創価学会
- 創価学会遠賀文化会館(今古賀)
- 金光教
- 金光教虫生津教会(虫生津)
- キリスト教
- 遠賀キリスト教会(松の本)
- 遠賀キリスト教会(鬼津)
- 天理教
- 天理教西前田分教会(老良)
- 天理教広渡分教会(広渡)
- 天理教撫浅木分教会(広渡遠賀川)
交通
[編集]鉄道
[編集]以前は遠賀川駅から芦屋線と室木線が分岐していたが共に廃止された(それぞれ1960年と1985年に廃止)。
バス
[編集]町内にある唯一の鉄道駅である遠賀川駅から町内および隣接の芦屋町・鞍手町の各方面に路線バスが設定されている。
- 遠賀町コミュニティバス - 遠賀町内各地を運行。
- 田園・松の本線/田園・松の本快速線
- 虫生津・浅木線/虫生津・浅木快速線
- 島津・尾崎線
- 老良・広渡線
- 芦屋町タウンバス - 遠賀川駅と芦屋町内各地を結ぶ。下記の2系統があるが遠賀町内では同一ルートである。遠賀町内では遠賀川駅前のほか遠賀川役場前、ダイヤニュータウン、松の本、鬼津の計5か所に停留所があり遠賀町内のみの利用も可能。
- 遠賀川駅前 - 松の本 - 芦屋競艇場入口 - 鶴松団地 - 自衛隊前 - 芦屋海浜公園入口 - 港湾緑地前
- 遠賀川駅前 - 松の本 - 芦屋競艇場入口 - 正門通 - 自衛隊前 - 芦屋町役場前 - 山鹿 - 芦屋中央病院
- 西鉄バス筑豊 - 鞍手町を経由して遠賀川駅と直方市を結ぶ1路線を運行。
廃止されたバス路線
[編集]- 西鉄バス
- 20遠賀川駅 - 海老津駅
- 20今川橋 - 天神 - 香椎 - 福間 - 赤間 - 黒崎 - 小倉 - 門司田野浦
- 21芦屋車庫 - 遠賀川橋 - 折尾 - 黒崎 - 小倉浅野町
- 24芦屋車庫 - 遠賀川駅・折尾・黒崎
- 26遠賀川駅 - 松の本 - 田園都市第五
- 65遠賀川駅 - 室木(室木線代替[8])
- 68折尾車庫 - 遠賀川駅 - 鞍手役場 - 直方・西鉄直方
- 各系統とも利用者の減少が著しく徐々に運行区間を縮小した。行先番号が現存と同じものはその路線の名残。24番の遠賀川 - 芦屋間は現在芦屋タウンバス。
道路
[編集]一般国道
[編集]主要地方道
[編集]一般県道
[編集]遠賀町出身・在住の有名人
[編集]- 江藤昌之(遠賀村島津出身、新竹州知事)
- 三原朝雄(政治家)
- 三原朝彦(衆議院議員)
- マーフィ ロバート(北九州市立大学准教授、ローカルタレント、英会話スクール学長(元)、遠賀町在住)
- 南波志帆(歌手)
- 鈴木聡美(競泳選手(平泳ぎ)、ロンドンオリンピック(女子200m銀メダリスト)、(100m銅メダリスト)
- 児玉育則(ナレーター、ローカルタレント)
- 岩田美香(プロレスラー、センダイガールズプロレスリング所属)
- 大沢健太郎(バレーボール選手)
- 財前貴男(プロ野球選手)
- 堀田理恵(バレーボール選手)
- 弓崎恭平(プロサッカー選手)
妖怪
[編集]- ぬりかべが福岡県遠賀郡の海岸、遠賀川等で出没したという言い伝えがある。
- 河童が西川に出没し、悪さを働いたという言い伝えがあり、町の至る所に河童のオブジェクトや案内板が設置されている。
- 水巻町と遠賀町を結ぶ遠賀川で河童が住んでいたとの言い伝えがある
実現しなかった合併構想
[編集]同じ遠賀郡に属する岡垣町、芦屋町、水巻町との間で合併協議会を設置、遠賀市となる計画があったが、岡垣町での住民投票の結果、否決されたため協議会は解散した。
脚注
[編集]- ^ a b c 奥田伸一(2014年4月16日). “遠賀町:町制施行50周年 新シンボルマークや多彩な記念行事計画”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ 「町」の読み方 ちょ~まちまち 「まち」か「ちょう」か徹底調査 西日本新聞、2016年4月8日(2016年4月13日閲覧)。
- ^ 奥田伸一(2014年5月12日). “遠賀町:町制50周年記念式典 楽しい町づくりへ期待”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ 町勢要覧
- ^ a b c d e 北九州市、中間市、遠賀郡
- ^ 女性の人口を100とした場合の男性の人口
- ^ “イズミ、「ゆめタウン遠賀」開店 九州初進出異例の早さで実現”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年3月27日)
- ^ http://www.nishitetsu.co.jp/group/history_5.html 西日本鉄道沿革