藤村寛太
表示
藤村 寛太(ふじむら かんた、1892年〈明治25年〉12月13日[1] - 没年不詳)は、台湾総督府官僚、陸軍司政長官。花蓮港庁長、台北市長、新竹州知事。
経歴
[編集]福岡県出身[1][2]。1912年(明治45年)に福岡県師範学校を、1916年(大正5年)に東京高等師範学校を卒業した[3]。秋田県師範学校教諭、秋田県視学官、荏原郡立高等女学校教諭を歴任[1]。1922年(大正11年)に高等試験に合格し、警視庁警視・本所向島警察署長、鹿児島県地方課長を経て、1931年(昭和6年)より台湾総督府警務局警務課長、台南州警察部長、新竹州内務部長、花蓮港庁長、内務局地方課長、興亜院厦門連絡部勤務、台北市長、新竹州知事を歴任した[1][3]。
1943年(昭和18年)、陸軍司政長官となり[1]、第16軍軍政監部付(ジャワ島)として、敵産管理部長、チレボン州長官を務めた[4]。
戦後は、九州観光バスを設立し、常務を経て専務取締役を歴任した[5]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 大衆人事録 1943.
- ^ 『輓近大日本拓殖史』では福岡県出身。
- ^ a b 輓近大日本拓殖史 1934.
- ^ 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年。
- ^ 帝国秘密探偵社 1968, 780頁.
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。
- 『輓近大日本拓殖史』日本行政学会、1934年。
- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第26版 西日本編』帝国秘密探偵社、1968年 。