鍋島茂周
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 天正18年2月5日(1590年3月10日) |
死没 | 慶安5年6月20日(1652年7月25日) |
改名 | 龍造寺茂周、鍋島茂周 |
別名 | 因幡(通称) |
主君 | 鍋島勝茂 |
藩 | 肥前佐賀藩 |
氏族 | 須古鍋島家 |
父母 | 龍造寺信昭 |
子 | 正辰 |
鍋島 茂周(なべしま しげちか)は、江戸時代前期の武将。肥前国佐賀藩士。須古鍋島家3代当主。鍋島姓を賜るまでは龍造寺姓を名乗る。
略歴
[編集]天正18年(1590年)、2代当主・龍造寺信昭の子として誕生。
寛永3年(1626年)、父・信昭の隠居により家督を相続する。この頃に佐賀藩初代藩主・鍋島勝茂より鍋島姓を賜る。寛永14年(1637年)、島原の乱に佐賀藩の軍勢のうち800人を率いて参加している。
慶安5年6月20日(1652年7月25日)、死去。享年63。
出典
[編集]- 吉岡達太郎『須古村片影』1980年