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諫早英雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

諫早 英雄[1](いさはや ひでお、1922年大正11年)4月26日[2][3] - 2007年平成19年)2月28日[4])は、日本華族(旧佐賀藩国老、男爵[3][5][6]、地主[7]

人物

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長崎県北高来郡諫早村(現・諫早市)出身。諫早不二雄の長男[3][5]、あるいは二男[6][8]1923年、襲爵する[3][5]

1924年6月に農務局がまとめた「五十町歩以上ノ大地主」によると、当時まだ幼少の英雄は97.7町、23.3町、計121.0の耕地をもち、面積では県内第4位の地主で、主な耕地は北高来郡内の10町村にまたがり、小作人は530戸である[9]

宗教は曹洞宗[5][6]。住所は長崎県北高来郡諫早町[3][7][8]、諫早市原西小路[6]東京市小石川区白山御殿町[2]、世田谷区松原町[5]

諫早市の初代教育委員を務めた。その他、諫早公園上山公園諫早高等学校・諫早幼稚園の用地や、諫早家の古文書などの歴史史料を諫早市に寄贈した[4]

家族・親族

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諫早家
親戚

脚注

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出典

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  1. ^ a b 『現代華族譜要』イ52頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月6日閲覧。
  2. ^ a b 『華族名簿 昭和17年6月1日現在』182頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月7日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 『人事興信録 第10版 上』イ147頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月9日閲覧。
  4. ^ a b 『広報諫早』2007年4月号 No.25 10頁
  5. ^ a b c d e f 『人事興信録 第13版 上』イ127頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月6日閲覧。
  6. ^ a b c d 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』長崎2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月6日閲覧。
  7. ^ a b 『大日本人事録 全国銀行会社附記 昭和7年版』長崎県2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月22日閲覧。
  8. ^ a b c 『昭和人名辞典』イ90 - 91頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月6日閲覧。
  9. ^ 岡本洋之「江戸時代がなかった町」の郷土史に関する研究と教育-1969年〜現在、長崎県諫早市-、年報 教育の境界 2014第11号40頁。
  10. ^ 『人事興信録 第4版 上』い127頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月6日閲覧。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 維新史料編纂会編『現代華族譜要』日本史籍協会、1929年。
  • 『大日本人事録 全国銀行会社附記 昭和7年版』国際公論社、1932年。
  • 『昭和人名辞典』光人社、1933年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
  • 『華族名簿 昭和17年6月1日現在』華族会館、1942年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1943年。

関連項目

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日本の爵位
先代
諫早不二雄
男爵
諫早家4代
1923年 - 1947年
次代
華族制度廃止