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阿藤快

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
阿藤海から転送)
あとう かい
阿藤 快
本名 阿藤 公一(あとう こういち)
別名義 阿藤 海
生年月日 (1946-11-14) 1946年11月14日
没年月日 (2015-11-14) 2015年11月14日(69歳没)
出生地 日本の旗 日本神奈川県小田原市
死没地 日本の旗 日本東京都新宿区[1]
身長 183 cm
血液型 A型
ジャンル 俳優
タレント
活動期間 1969年 - 2015年
活動内容 映画
舞台
テレビドラマ
配偶者 あり(離婚歴あり)
主な作品
テレビドラマ
教師びんびん物語』シリーズ
バラエティー番組など
ぶらり途中下車の旅
遠くへ行きたい
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阿藤 快(あとう かい、[2][1]1946年昭和21年〉11月14日[2] - 2015年平成27年〉11月14日[1][3])は、日本俳優タレントである。神奈川県[2]小田原市出身。東京都立大学[2]法学部法律学科(二部)卒業。劇団俳優座[2]舞プロモーション[2]を経て、 ボニート合同会社(Bonito LLC)に所属していた。血液型A型。本名は阿藤 公一(あとう こういち)。旧芸名は阿藤 海(読み同じ)[1][2]

来歴

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中学時代は野球に熱中していた。神奈川県立西湘高等学校に入学するが、高校に野球部がなかったため2年時に退学[注 1]。その後、野球部名門校の編入試験を受験するも不合格になり、西湘高校へ復学。卒業後は、東京都立大学法学部法律学科(二部)に合格し、入学。

学生時代は弁護士を志し司法試験の勉強に勤しむが、2年時にドイツ語の単位が足りず断念。

大学卒業後、劇団俳優座の舞台部に加入。後に原田芳雄の薫陶を受けたことと中村敦夫の誘いをきっかけに役者を目指すようになった。原田が出演した映画・ドラマに起用されることが多く、原田を兄事してその交流は原田逝去まで続いた。他にも高倉健と共演する機会も多かった。

その後、原田、中村、市原悦子地井武男ら、いわゆる俳優座造反組と呼ばれるグループと退座。約10年余は悪役や端役として俳優活動を続けていた。1988年、『教師びんびん物語』に主人公・徳川龍之介(演:田原俊彦)の上司である教頭・御前崎マキオ役でレギュラー出演し、お茶の間の人気を獲得[1]

ドラマ出演等の俳優活動に加え、グルメ番組でのリポーター役・旅番組での案内役を担当。特に「なんだかなー」の名ゼリフは頻繁にモノマネに起用されるなど、有名である(ちなみに 「なんだかなー」は、険悪な現場を和ませるために言うようになったもので、料理がまずい際に言う言葉ではない)。コージー冨田がモノマネで笑わせるのは誤解だ、とも本人は語っていた。一方でコージー自身のモノマネに対しては「そっくりだった!」と大絶賛しており、モノマネをさせることには寛容だった。

上記のような気さくで謙虚な人柄から「芸能界で最もいい人」や「裏表のない芸能人」として名前が挙がることもある(実際、タモリらからも「芸能界一イイ人」と評されていた[4])。

食べ物でむせにくい芸能人としても重宝され、彦摩呂らグルメリポーター界からも一目置かれていた。

2001年11月14日に芸名を阿藤海から阿藤快へ改名[1]

2002年、出身地である小田原市の小田原ふるさと大使に就任[5]。その縁で北條五代祭りでは北条早雲に扮してパレードに参加している。また小田原市が主催する小田原映画祭の実行委員を第1回(2005年)より務めており、第2回(2007年)から実行委員長も務めていた。

2015年11月15日、仕事先に姿を見せなかったため、午後2時頃に所属事務所スタッフと家族が自宅を訪ねたところ、ベッドに横たわって亡くなっているのが発見された。発見時より病死とみられ[3][6]、その後、胸部大動脈瘤破裂が正式な死因とされた。69歳没。奇しくも69歳の誕生日を迎えた日に亡くなった[7][8]

ゲスト出演した『総合診療医ドクターG』第7回「腹がひどく痛む」(NHK総合)は2015年12月3日に予定通り放送され、収録日(2015年9月20日)を示すテロップが番組冒頭と途中に、阿藤へ哀悼の意を示すテロップが番組最後にそれぞれ画面上部に表示され、生前の元気な姿が放送された。偶然にもこの回の放送では阿藤の死因となった大動脈瘤破裂も取り上げられていた。

人物

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  • 座右の銘は「一日一生」。
  • 長年煙草を1日に平均2箱から4箱吸っていたが、2014年に禁煙。
  • 競馬研究を熱心にする競馬ファンであり、それが高じて競馬の関連書籍も執筆している。関西テレビのバラエティー番組『たかじん胸いっぱい』にゲスト出演した際、同局のアナウンサー馬場鉄志に数々のGIレースの実況を再現してもらい、感激していた。
  • 学生時代は干物屋でアルバイトをしていた(後年、『静岡発そこ知り』でその店と主人を訪れた)。
  • 雑誌の取材にてインタビューした姓名判断士の助言により、「海」より「快」に改名。女優の加藤あいと名前が似ている(アナグラム。より正確には「スプーナリズム」。「語音転換」の項参照)ことから、『タモリ倶楽部』で加藤の写真集『24人の加藤あい』に対抗した『24人の阿藤海』という企画が作られた際、この放送より阿藤「快」としての活動を開始した。
  • 公式サイトを2004年にリニューアルした後、公式の競馬ブログ開設や、長年の経験を生かした旅とグルメのサイト「阿藤快、旅、一生…」を開設するなど、ネット上の活動も盛んに行った。なお、公式HPのBBSでは、本人によるレスが付けられることもあった。
  • テレビ番組や映画への出演のほか、『ぶらり途中下車の旅』の旅人役が特に有名。2008年1月28日放送の『ヤッターマン』(読売テレビ)にて、『ぶらり途中下車の旅』のナレーションを担当している滝口順平が演じるドクロベエから「おやおや阿藤さん、今日はどちらへ?…」というセリフが登場する。芸能人のゲスト出演が多い同作において、名前だけの出演を果たした例である。
  • 下積み時代が長く『太陽にほえろ!』『西部警察』などの刑事ドラマや時代劇の悪役俳優として多くの出演がある。また、日活ロマンポルノにも幾度か出演しており、中でも『赫い髪の女』の演技は評価が高い。
  • 名取裕子とは彼女のTVドラマデビュー作品で共演して以来、同じ神奈川県出身ということもあって兄妹のような付き合いを続けていた。阿藤は旅番組で訪れた各地の名産品を名取に贈り、名取からはそのお返しに毎年ユニークで変わった柄の浴衣を贈られていたという。
  • 柳沢慎吾は小学校と中学校の後輩で、家族ぐるみでの交際があったといい、『真夏の刑事』で共演した[9]
  • 実妹によると阿藤は幕末の志士として名高い坂本龍馬を敬愛しており、「俺も坂本龍馬のように死にたい」と生前によく語っていたことを明かしている[10]。尚、先述の様に阿藤は生没同日だが、坂本龍馬も生没同日であるので阿藤の願いは叶ったといえる[注 2]

出演

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テレビドラマ

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映画

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舞台

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  • はんらん狂騒曲(1970年、俳優座劇場)
  • ロミオとジュリエット(1974年、日生劇場、蜷川幸雄演出)
  • 朝食までいたら(西武劇場、福田陽一郎演出)
  • 十二夜(1986年、日生劇場、野田秀樹演出)
  • お気に召すまま As You Like It(1990年、銀座セゾン劇場、石坂浩二)
  • 奇想天外万事良(1997年、新宿厚生年金ホール・近鉄劇場、本間忠良演出)
  • 吉原炎上(1998年、新橋演舞場、鵜山仁演出)
  • 仇打ちでござる(1999年、明治座、吉本哲夫演出)
  • 腕におぼえあり(2000年、明治座、岡本さとる演出)
  • ふる里の風(2009年、牛込箪笥町区民ホール)
  • たいこ茶屋殺人事件(2013年1月 浅草橋たいこ茶屋、塩崎智晴 脚本演出)
  • たいこ茶屋殺人事件2013夏(2013年8月 浅草橋たいこ茶屋、塩崎智晴 脚本演出)
  • 幽霊(2014年、Bunkamura シアターコクーン、森新太郎演出)
  • 居酒屋「夢の郷」殺人事件(2014年10月 神田夢の郷、塩崎智晴 脚本演出)
  • 居酒屋「夢の郷」殺人事件2015夏(2015年7月 神田夢の郷、塩崎智晴 脚本演出)
  • MOTHER マザー〜特攻の母 鳥濱トメ物語〜(2015年、銀河劇場・コラニー文化ホール・愛知芸術劇場・岐阜市文化センター・梅田芸術劇場、藤森一朗演出)
  • 阿藤快 追悼公演 居酒屋「夢の郷」殺人事件2016春(2016年3月 神田夢の郷、塩崎智晴 脚本演出)★追悼公演
  • 阿藤快 一周忌追悼公演 居酒屋「夢の郷」2017秋物語 〜いつかまた逢える~(2016年10月 神田夢の郷 塩崎智晴 脚本演出)
  • 居酒屋「夢の郷」殺人事件2017春 〜阿藤快は死なず〜 “勝者の書いた歴史は真実か?”(2017年3月 神田夢の郷 塩崎智晴 脚本演出)
  • 阿藤快 三回忌追悼公演 いつかまた逢える2017秋物語 ~熱い想いをこめて~(2017年11月10-15日 笹塚Blue-T 塩崎智晴 脚本演出)
  • 阿藤快 七回忌追悼公演 いつかまた逢える ~居酒屋「夢の郷」2021秋物語~(2021年9月18-26日 神田夢の郷 塩崎智晴 脚本演出)

語り

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吹き替え

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ラジオ

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バラエティ

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CM

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その他

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書籍

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  • 阿藤海のスーパー勝利馬券―「一白」の日は的場が走る! 日本文芸社 1998年2月 ISBN 4537026146
  • この熱き人たち 文芸社 2000年 ISBN 4835503279
  • ぶらり「快」的うまい旅 ソフトバンク新書 2008年4月 ISBN 4797346388
  • 阿藤快の商店街ぶらり歩き(講談社ビーシー出版部編集)講談社 2010年4月 ISBN 4063171795

シングル

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  • 熱い想いをこめて(2009年)鮎罹とのデュエット

関連項目

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脚注

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注釈

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  1. ^ 阿藤の卒業後に野球部が創設された。
  2. ^ 但し、坂本龍馬の場合は旧暦における生没同日である。
  3. ^ 後年に受けた取材で「印象に残った犯人役」として本作を挙げている[11]

出典

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  1. ^ a b c d e f “阿藤快さん急死、69歳”. Sponichi Annex. (2015年11月16日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/11/16/kiji/K20151116011520130.html 2015年11月16日閲覧。 
  2. ^ a b c d e f g 日本タレント名鑑'82』VIPタイムズ社、1981年、7頁。 
  3. ^ a b “阿藤快さん(69)が死去”. 日テレNEWS24. (2015年11月16日). https://news.ntv.co.jp/category/society/314963 2017年12月16日閲覧。 
  4. ^ 週刊朝日』2015年12月4日号、朝日新聞出版、149頁。 
  5. ^ 阿藤 快さん(小田原ふるさと大使)”. 小田原市. 2011年9月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月16日閲覧。
  6. ^ “阿藤快さん死去、69歳”. デイリースポーツonline. (2015年11月16日). https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2015/11/16/0008570578.shtml 2017年12月16日閲覧。 
  7. ^ 入倉功一 (2015年11月16日). “阿藤快さん死因は大動脈破裂…苦しんだ様子なく 69歳”. シネマトゥデイ. 2017年12月16日閲覧。
  8. ^ 阿藤快さん69歳誕生日に急死、「下町ロケット」出演したばかり”. 産経ニュース (2015年11月17日). 2022年8月18日閲覧。
  9. ^ 週刊文春』2015年12月3日号、文藝春秋、133-134頁。 
  10. ^ “阿藤快さん 大好き坂本龍馬と同じ誕生日に旅立つ…通夜に阿部寛ら参列”. Sponichi Annex. (2015年11月21日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/11/21/kiji/K20151121011547300.html 2015年11月21日閲覧。 
  11. ^ 阿藤快「名優・名監督が鍛えた“犯人専門”の怪演技」”. アサ芸プラス. 徳間書店 (2013年3月8日). 2017年12月16日閲覧。
  12. ^ 藤原令子&本郷奏多主演作「シネマの天使」老舗劇場の閉館惜しむ予告完成”. 映画.com (2015年7月31日). 2015年7月31日閲覧。
  13. ^ おはなしのくに 先生向け放送リスト”. 日本放送協会. 2018年4月9日閲覧。
  14. ^ 阿藤快 - オリコンTV出演情報

外部リンク

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