阿部正備
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時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
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生誕 | 文政6年6月20日(1823年7月27日) |
死没 | 明治7年(1874年)4月11日 |
墓所 | 多磨霊園(西福寺から改葬) |
官位 | 従五位下・能登守 |
幕府 | 江戸幕府奏者番 |
主君 | 徳川家慶 |
藩 | 陸奥白河藩主 |
氏族 | 大村氏→阿部氏 |
父母 |
父:大村純昌、母:不詳 養父:阿部正瞭 |
兄弟 | 大村純鑑、大村純徴、大村純享、大村純顕、正備、大村道純、高木正功、小出英教、大村孝純、大村純熈、松平乗懿正室、相良長福正室、九鬼隆能室、植村家興 |
妻 | 正室:内藤頼寧の娘・教 |
子 |
資満、貞子、幸、内藤政養正室、多子、山田某室 養子:正定 |
阿部 正備(あべ まさかた)は、江戸時代後期の大名。陸奥白河藩の第4代藩主。官位は従五位下・能登守。忠秋系阿部家12代
略歴
[編集]文政6年(1823年)、肥前国大村藩主・大村純昌の五男として誕生する。天保9年(1838年)5月12日に先代藩主・阿部正瞭が亡くなったため、養子となり同年6月28日に跡を継ぎ、従五位下・能登守に叙任された。天保14年(1843年)9月、奏者番になったが、弘化4年(1847年)に辞任する。
翌嘉永元年(1848年)5月10日に隠居し、養子の正定に家督を譲った。明治7年(1874年)、52歳で死去した。
系譜
[編集]父母
正室
- 教 ー 内藤頼寧の娘
子女
養子