高取 (福岡市)
高取 | |
---|---|
高取(明治通りより) | |
高取の地図 | |
北緯33度34分46.7秒 東経130度21分6.8秒 / 北緯33.579639度 東経130.351889度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 福岡県 |
市町村 | 福岡市 |
区 | 早良区 |
面積 | |
• 合計 | 26.67 ha |
人口 (2022年(令和4年)9月末現在) | |
• 合計 | 6,391人 |
等時帯 | JST |
郵便番号 |
814-0011 |
市外局番 | 092 |
高取(たかとり)は、福岡県福岡市早良区の町名。現行行政地名は、高取一丁目および高取二丁目[1]。面積は26.67ヘクタール[2]。2022年9月末現在の人口は6,391人[3]。郵便番号は814-0011[4]。
地理
[編集]福岡市の都心部とされる中央区天神の西南西約4.5キロメートル、早良区の北部に位置する。北で明治通りを挟んで百道及び西新と、東で西新と、南東の角で祖原と、南で鳥飼藤崎線を挟んで昭代と、西で藤崎と隣接する。
都市計画
[編集]都市計画に関しては、「福岡市都市計画マスタープラン」[5]において定められた方針は次のとおりである。交通ネットワークとして都市の骨格となる明治通りの沿道は、商業、業務、サービス施設や中高層住宅などが連続した「都市軸」に位置付けられている。高取の北部は「西部広域拠点」(藤崎、西新及びシーサイドももちを合わせた地域)の一部を構成している。用途地域は、北側の明治通り(市道千代今宿線)と高取225号線及び西新1号線とに挟まれた区域並びに高取225号線及び西新1号線から30メートルの範囲は商業地域、これ以外の範囲は第一種住居地域に指定されている。
語源
[編集]「高取」の地名は、福岡藩の時代に御用窯であった「高取焼」の窯元(かまもと)にちなんでいる。語源としては高(たか)・崖(とり)で、原義は切り取られたような地形の山をいうとされる。[6]。
歴史
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
人口
[編集]高取一丁目と二丁目を合わせた人口の推移を福岡市の住民基本台帳(公称町別)[3]に基づき示す(単位:人)。集計時点は各年9月末現在である。
- 2001年(平成13年):5,327
- 2002年(平成14年):5,410
- 2003年(平成15年):5,275
- 2004年(平成16年):5,252
- 2005年(平成17年):5,294
- 2006年(平成18年):5,318
- 2007年(平成19年):5,615
- 2008年(平成20年):5,544
- 2009年(平成21年):5,447
- 2010年(平成22年):5,494
- 2011年(平成23年):5,652
- 2012年(平成24年):5,805
- 2013年(平成25年):5,796
- 2014年(平成26年):5,975
- 2015年(平成27年):6,252
- 2016年(平成28年):6,252
- 2017年(平成29年):6,261
- 2018年(平成30年):6,275
- 2019年(令和元年):6,571
- 2020年(令和2年):6,517
- 2021年(令和3年):6,417
- 2022年(令和4年):6,391
交通
[編集]道路
[編集]主な幹線道路は次の通り。
-
明治通り(藤崎交差点より、左:百道、右:高取)
-
藤崎通り商店街(西新1号線及び高取255号線)
-
高取商店街(西新1号線)
-
鳥飼藤崎線(高取2丁目交差点の東側、左:高取、右:昭代)
-
鳥飼藤崎線(高取2丁目交差点の西側、左:昭代、右:高取及び藤崎)
鉄道
[編集]鉄道については、福岡市交通局が運営する地下鉄が通っており、藤崎と百道にまたがる次の駅が最も近い。
なお、高取の東側のうち一部の地域では次の駅のほうが近い。
- 福岡市地下鉄空港線:西新駅
バス
[編集]バスについては、西日本鉄道株式会社が運営する西鉄バスが運行しており、次の停留所等がある。
- 高取
- 防塁前
施設
[編集]公共・公益施設
[編集]-
福岡市高取公民館
-
早良郵便局
-
紅葉山公園
-
紅葉山公園の頂上
学校
[編集]町内に学校は存在しないが、校区については、小学校区、中学校区についてそれぞれ次の学校の校区に属する[10]。
名所・旧跡
[編集]-
紅葉八幡宮
-
高取焼味楽窯の登窯
-
高取焼味楽窯の味楽窯美術館
-
旧黒田藩窯高取焼東皿山窯跡(西新五丁目8番19号)
-
伊佐家住宅
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 所在地:福岡市早良区高取一丁目14番13号[8]
- ^ 所在地:高取一丁目26、公園種別:街区公園、面積:8,284m2、開園年度:1965年[9]
- ^ 高齢者の健康、福祉、介護などに関する相談等の支援を行うことを目的として福岡市役所が設置する施設。福岡市のWEBページ:「いきいきセンターふくおか」、「福岡市指定介護予防支援等の事業の人員及び運営等の基準等を定める条例」参照。
- ^ 当窯元は西皿山窯とも呼ばれていたが、今は現存しない東皿山窯についての石碑が西新五丁目8番19号の中西宮地嶽神社(なかにしみやじだけじんじゃ)の境内にあり、次のように記されている。「旧黒田藩窯高取焼東皿山窯跡 黒田藩御用窯東皿山窯跡が、この宮地嶽神社附近にあった。(実際には、ここより約百メートルほど西側一帯にあったと思われる。)四代黒田綱政は、宝永五年(一七〇八年)に小石原から陶工を選んで、福岡城下の西、麁原(そはら)村に開窯させた。これを『東皿山』と呼んでいる。陶工は西皿山に居住し、交代で、この東皿山に製成ならびに焼成に来ていた。この東皿山は、黒田藩の御庭焼として隆盛をきわめ、主として茶入、茶碗、置物など薄手の遠州好みの製品を作陶していたが、その製品は、幕府及び諸侯への贈答用に限られていた。なお西皿山(西区高取一丁目)では、現在も引き続き製陶されている。 昭和五十三年三月 東皿山窯跡保存会 福岡市教育委員会」
- ^ 現在の地名では福岡市早良区高取、百道及び藤崎にまたがる範囲に弥生時代に存在した共同墓地の遺跡。石碑が早良区高取二丁目17番37号の私有地内北緯33度34分52.50秒 東経130度20分55.48秒 / 北緯33.5812500度 東経130.3487444度に設置されている。この石碑には次のように記されている。「藤崎遺跡 この地は、弥生時代の集団墓地の遺跡として古くから知られていたところで、弘中ビルの建築に先だって昭和五十二年八月四日から九月十六日まで発掘調査を行い、弥生時代(BC3-AD1)の上拡墓十基、甕棺墓六十基と、それを囲む大溝などが発見され、当時の人その生活や埋葬儀礼の様相が明らかにされました。この調査によって失われた祖先の跡を偲んでこの碑を建立し、永久にこれを伝えるものであります。 昭和五十三年四月二十二日 施主 広中 浩」
出典
[編集]- ^ 福岡市. “福岡市区の設置等に関する条例”. 2022年10月29日閲覧。→別表第1
- ^ 平成27年(2015年)国勢調査の結果
- ^ a b 福岡市統計調査課. “登録人口(公称町別)- 住民基本台帳(日本人)男女別人口及び世帯数”. 福岡市. 2022年10月29日閲覧。
- ^ 日本郵便株式会社. “郵便局”. 2023年3月24日閲覧。→「郵便番号を調べる」→キーワード検索等
- ^ 福岡市都市計画課. “福岡市都市計画マスタープラン”. 福岡市. 2012年5月21日閲覧。
- ^ 池田善朗 (2013), 筑前の古地名・小字, 石風社, pp. 108, ISBN 978-4-88344-222-5
- ^ 高取商店街及び藤崎通り商店街は藤崎から西新まで繋がるいわゆる西新商店街(通称「サザエさん商店街通り」西新商店街公式ホームページ)の一部を構成している。旧唐津街道の一部でもある。
- ^ 福岡市市民局コミュニティ推進部生涯学習課. “公民館情報(福岡市学習情報提供システム)”. 福岡市. 2022年8月12日閲覧。→キーワード検索
- ^ 公益財団法人福岡市緑のまちづくり協会. “紅葉山公園”. 2021年6月26日閲覧。
- ^ 福岡市教育委員会. “福岡市通学区域”. 福岡市. 2012年5月21日閲覧。
- ^ 位置:北緯33度34分46.3秒 東経130度21分5.6秒 / 北緯33.579528度 東経130.351556度、参照:福岡市WEBページ「高取焼窯元」
- ^ 福岡市のWEBページ「http://www.city.fukuoka.lg.jp/sawaraku-tamatebako/odekake/shiseki/isa.html 伊佐家住宅」
関連項目
[編集]- 福岡市の地名(福岡市の現行の全町名のほか、地名の変遷に詳しい。)
外部リンク
[編集]- 【公式】藤崎通り商店街(商店街の名称に「藤崎」を含むが高取で藤崎商店街組合が管理する藤崎通り商店街のホームページ)
- 高取商店街公式サイト
- 高取焼味楽窯