コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ゴールデン・ハーフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高村ルナから転送)

ゴールデン・ハーフ(Golden Half)は、1970年代前半に活動したメンバーの全員がハーフ(という設定)の女性アイドルグループ渡辺プロダクション所属。『週刊セブンティーン』1972年3月14日号の「アイドル名鑑」には所属事務所は、上条英男の「サンズ・カンパニー」と書かれている[1]

1970年9月、スリー・キャッツの「黄色いさくらんぼ」をカバーしてデビュー。結成当時は5人だったが、すぐエリーが抜けて4人組に。4人時代が人気絶頂期だった。最終的には1973年の「ロコモーション」でメンバーのリーダーだった小林ユミが抜けて3人となり、翌1974年に「メロンの気持」を最後に解散[2]

本項では後に結成されたゴールデン・ハーフ・スペシャルについても記述する。

メンバー

[編集]
長野県長野市出身[3]スペイン人(父)と日本人(母)のハーフ。セントテレサスカレッジを8年で中退[3]。身長160cm(1972年3月)[1]
グループ解散後は「ほほにかかる涙」(1975年・東芝レコード) でソロ・デビュー。その後はタレントとして『霊感ヤマカン第六感』『笑って!笑って!!60分』『お笑いマンガ道場』などのテレビ番組にレギュラー出演。バラドルの草分け。
1978年当時、ダイアナ・ロスのファンとしていたことがある[3]
札幌生まれ、アメリカ育ち。アメリカ人(父)と日本人(母)のハーフ。父は当時FBI職員だった。身長164cm(1972年3月)[1]
解散後は、森マリアの芸名で女優として活動し、1990年代中頃に芸能界を引退。
神戸市生まれ。ドイツ人(父)と日本人(母)のハーフ。身長161cm(1972年3月)[1]。ゴールデン・ハーフ解散後、本名の高村ルナで女優として活動。1974年、映画『エスパイ』に出演。日活ロマンポルノ『修道女ルナの告白』(1976年)、『ルナの告白 私に群がった男たち』(1976年)に主演。ソロとして高村ルナ名義で「天使の朝」(1975年・クラウンレコード) もリリース。
2004年3月6日、癌のため、ホノルル市内の病院で死去。

脱退メンバー

[編集]
イタリア人(父)と日本人(母)のハーフと称していたが、後に自身が「両親とも日本人」と公表。身長164cm(1972年3月)[1]
ゴールデン・ハーフのリーダーだったが、1973年にグループを脱退。(「24,000回のキッス」まで活動。次作「ロコモーション」のジャケットには写真が掲載されている。)
タイ人(父)と日本人(母)のハーフ。「黄色いサクランボ」をリリース後まもなく脱退。(次作「ケ・セラ・セラ」のジャケットには写真が掲載されている。)

主な出演作品

[編集]

映画

[編集]

テレビ

[編集]

CM

[編集]

ディスコグラフィ

[編集]

シングル

[編集]
  1. 黄色いサクランボ c/w 恋人がほしいの(1970.08.05)
    A面はスリー・キャッツのカバー
  2. ゴールデン・ハーフのケ・セラ・セラ c/w おんなの弱点教えます(1970.12.21)
    A面はドリス・デイのカバー
  3. ゴールデン・ハーフのバナナボート c/w レモンのキッス(1971.05.05)
    A面はハリー・ベラフォンテが歌ってヒットしたジャマイカ民謡の、B面はナンシー・シナトラのカバー
  4. ゴールデン・ハーフのマンボ・バカン c/w 可愛いベイビー(1971.09.25)
    A面はソフィア・ローレンの、B面はコニー・フランシスのカバー。
  5. チョット・マッテ・クダサイ c/w ボタンとリボン(1971.12.01)
    A面はサム・カプー「ちょと待て下さい」の、B面はダイナ・ショアのカバー。
  6. ゴールデン・ハーフの太陽の彼方 c/w カム・カム・ハワイ(1972.05.25)
    A面はアストロノウツ太陽の彼方に」の、B面はザ・ピーナッツ「ヘイ・キャプテン」のカバー。
  7. ゴールデン・ハーフの24,000回のキッス c/w カレンダーガール(1972.10.05)
    A面はアドリアーノ・チェレンターノの、B面はニール・セダカのカバー。
  8. ゴールデン・ハーフのロコモーション c/w ゴールデン・ハーフの電話でキッス(1973.02.20)
    A面はリトル・エヴァの、B面はポール・アンカのカバー。
  9. ゴールデン・ハーフのアダムとイヴ c/w エヴリナイト(1973.08.05)
    A面はポール・アンカ「アダムとイヴの物語」の、B面も同じくポール・アンカのカバー。
  10. ゴールデン・ハーフのメロンの気持 c/w 私のベビー(1974.01.20)
    A面はカルロス・リグアルが作詞・作曲しアメリカでローズマリー・クルーニーがヒットさせた曲の、B面はザ・ロネッツのカバー。

アルバム

[編集]
  • ゴールデンハーフでーす(1971年)
  • ゴールデン・ハーフ2(1972年)
  • アダムとイヴ(1973年)
  • ベスト・セレクション・オリジナルシリーズ(ゴールデン・ハーフ)

ゴールデン・ハーフ・スペシャル

[編集]

ゴールデン・ハーフの派生グループとして結成された4人組(途中で1人脱退)。本家グループと同じ渡辺プロダクションから、1976年にレコードデビューした。 しかし、本家グループに比べて人気が振るう事なく消滅してしまった。 尚、メンバーのリンダは当時、サザンオールスターズのギタリストだった大森隆志と交際していた。

メンバー

[編集]
  • ナンシー ナンシー・メイアール、1960年9月26日生、神奈川県横浜市出身
  • トミー  トミー砂川、1956年9月14日生、沖縄県出身。後に“トミー・ジュン”に改名し、1982年6月21日に「倖せの黄色いティッシュ」という曲でソロデビュー。富井淳の名前で『新・ど根性ガエル』の京子役(初代・第13話まで)[4]の声優として、『カックラキン大放送!!』にレギュラー出演などのタレント活動も行った。
  • ペギー 脱退したエミリーの後任として「月影のドンチュッチュ」から加入、解散まで務め上げた

脱退メンバー

[編集]
  • エミリー ハーフではなく日本人だったと、元メンバーが証言。シングル2枚目「恋のチアガール」を最後に脱退。
  • リンダ 4枚目のシングル「嘘みたい!?」を最後に脱退。

ディスコグラフィ

[編集]

シングル

[編集]

「ゴールデン・ハーフ・スペシャルのキューティ・パイ」から「嘘みたい!?」までは東宝レコード、「プリズムカラーの夏ざかり」から「ギラ!」までは日本コロムビアから発売。

  1. ゴールデン・ハーフ・スペシャルのキューティ・パイ c/w 恋の売り込み(1976年7月)
    A面はジョニー・ティロットソンの、B面はアイズレー・ブラザーズエディ・ホッジスらのカバー
  2. 恋のチアガール c/w ワタシ宵の口(1976年11月)
  3. 月影のドンチュッチュ c/w ラブNo.4 (1977年4月25日)
    『月影のドンチュッチュ』は最も売れたシングル
  4. 嘘みたい!? c/w ノッポとチビ・デブ(1977年11月)
  5. プリズムカラーの夏ざかり c/w バスツアー(1978年8月)
    このシングルから3人体制に
  6. ハーレム・ノック・アウト c/w 狙撃者(1979年2月)
    B面はロス・ブラボーズ「ブラック・イズ・ブラック」のカバー
  7. ギラ! c/w Y.M.C.A.(1979年6月)
    B面はヴィレッジ・ピープルのカバー

テレビ

[編集]

CM

[編集]
  • オートハーフシリーズ(リコー

CD

[編集]
  • ゴールデン・ハーフ・スペシャル『月影のドンチュッチュ』CD

備考

[編集]

田村正和主演の刑事ドラマ『古畑任三郎』(フジテレビ系列)に登場する、古畑任三郎(演 - 田村正和)とその部下の今泉慎太郎(演 - 西村雅彦)、科学捜査研究所の桑原万太郎技官(演 - 伊藤俊人)の3人はゴールデン・ハーフのファンクラブに入っていたとの設定が存在する。当時好きだったメンバーは、古畑はルナ、今泉はエバ、桑原はユミであり、また今泉と桑原に関してはそれぞれおっかけもしていたとの設定がある。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i 柳柊二「内外人気スターからバレー選手まで 決定版STアイドル名鑑」『週刊セブンティーン』第5巻第10号、集英社、1972年、109頁、doi:10.11501/1863354  ※1972年3月14日号
  2. ^ 森マリア「Gメン75」刑事役でハードアクション披露 高さ5メートル石垣の上でも笑顔”. 東京スポーツ (2023年8月13日). 2024年4月15日閲覧。
  3. ^ a b c 週刊テレビ番組(東京ポスト)1978年5月5日号 p.22「エバ プロフィール」
  4. ^ 新・ど根性ガエル”. トムス・エンタテインメント 公式サイト. トムス・エンタテインメント. 2023年3月22日閲覧。