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1977年東京都議会議員選挙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1977年東京都議会議員選挙
東京都
1973年 ←
1977年7月10日
→ 1981年

公示日 1977年6月28日
改選数 126
選挙制度 中選挙区制
選挙後の党派別勢力図

投票率 65.17% (増加4.43%)
  第1党 第2党 第3党
 
政党 自由民主党 公明党 日本社会党
選挙前議席 49 26 20
獲得議席 56 25 18
議席増減 増加7 減少1 減少2
得票数 1,832,205 748,327 771,419
得票率 36.08% 14.74% 15.19%

  第4党 第5党 第6党
 
政党 日本共産党 新自由クラブ 民社党
選挙前議席 21 2 2
獲得議席 11 10 3
議席増減 減少10 増加8 増加1
得票数 722,497 515,763 174,300
得票率 14.23% 10.15% 3.43%

選挙前都議会議長

山村久
自由民主党

選出都議会議長

河野一郎
自由民主党

1977年東京都議会議員選挙(1977ねんとうきょうとぎかいぎいんせんきょ)は、東京都の議決機関である東京都議会を構成する都議会議員を全面改選するため1977年昭和52年)7月10日投票が行われた日本の選挙である。

概要

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東京都議会議員の任期(4年)が満了したことに伴って実施された選挙である。都議会は1965年に自主解散されたため、統一地方選挙と2年ずれる形で選挙が実施されている。なお茨城県議会沖縄県議会の議員選挙も統一地方選挙で実施されない。

第11回参議院議員通常選挙と同日選挙となった本選挙では、任期半ばの美濃部都政に対する中間評価の色合いが強く、都政与党(社会党・共産党・公明党)が当時、辛うじて維持していた過半数の議席を守ることが出来るかどうかが、焦点となった[1]。また、これまでしのぎを削ってきた自民、社会、共産、公明、民社の5党に加え、新たに新自由クラブと社会市民連合(社市連)、革新自由連合(革自連)が参入し、多党化傾向に拍車がかかることになった。

選挙日程と立候補者数

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改選議席数:126議席

  • 告示:6月28日
  • 立候補届出締め切り:6月29日
  • 投票日:7月10日
  • 立候補者数:228名
党派別立候補者数
党派 新旧内訳 現有
議席
自由民主党 61 44 1 16 49
公明党 27 22 0 5 26
日本共産党 36 19 1 16 21
日本社会党 33 18 3 12 20
民社党 10 2 1 7 2
新自由クラブ 23 2 0 21 2
社会市民連合 9 0 2 7 0
革新自由連合 4 0 0 2 0
無所属 25 2 1 22 1
合計 228 109 9 108 121
(欠4)
定数:126名。女性候補は12名。
出典:朝日新聞1977年6月28日付夕刊1面表「都議選立候補者数」、朝日新聞1977年6月30日付1面「都議選立候補者数は228名」。

選挙結果

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投票日:1977年7月10日・・投票率:65.17%[2]

党派別議席数
党派 合計 新旧内訳 候補
者数
現有
議席
前回
選挙
前回比
(±)
自由民主党 56 42 1 13 61 49 51 +5
公明党 25 22 0 3 27 26 26 -1
日本共産党 11 8 0 3 36 21 24 -13
日本社会党 18 14 1 3 33 20 20 -2
民社党 3 2 1 0 10 2 2 +1
新自由クラブ 10 1 0 9 23 2 0 +10
社会市民連合 0 0 0 0 9 0 0 ±0
革新自由連合 0 0 0 4 0 0 ±0
無所属 3 0 0 3 25 1 2 +1
合計 126 89 3 34 228 121
(欠4)
125
女性候補は5名が当選。定数は前回より1増の126議席。
出典:朝日新聞1977年7月12日付1面表「都議選党派別当選者数」。
党派別得票数
党派 得票数 比率
自由民主党 1,832,205 36.08
公明党 748,327 14.74
日本共産党 722,497 14.23
日本社会党 771,419 15.19
民社党 174,300 3.43
新自由クラブ 515,763 10.15
社会市民連合 67,976 1.34
革新自由連合 32,251 0.63
無所属 213,268 4.20
出典:朝日新聞1977年7月12日付13面表「都議選 党派別当選者・得票数」。

都政与党である社会、共産、公明の3党とも議席を減らし、与党が過半数を下回る結果となった。一方、自民党は前回議席を上回り、都議選初挑戦である新自由クラブは10議席を獲得し、選挙前の2議席から議席を大幅に増やした。

当選した議員

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 自由民主党   公明党   日本共産党   日本社会党   新自由クラブ   民社党   無所属 

千代田区 木村茂 川俣光勝 中央区 大橋秀雄 恩田保夫
港区 平山羊介 砂田昌寿 恩田耕一郎 清宮五郎
新宿区 田辺哲夫 四谷信子 藤井富雄 小野田隆 文京区 中内佐光[死去 1] 栗原茂 酒井良
茶山克巳
台東区 飯村恵一 保坂三蔵 石井敏雄 森川清次 墨田区 五十嵐省吾 伊藤嘉平 桜井武 大川清幸[辞職 1]
江東区 神田学忠 室橋昭 木村勉 深野昱子
品川区 竜年光 桜井政由 大沢三郎 佐藤進 目黒区 小杉隆[辞職 2] 松井比呂美 高橋直真 西浜二男
山村久
大田区 醍醐安之助 石井光義 大沢三郎 大山正行[死去 2] 世田谷区 河野一郎 桜井良之助 秋山肇 林永二
福村治平 園部恭平 松尾喜八郎 松本鶴二 斉藤一雄 菅沼元治 門田昌子 熊本哲之
渋谷区 小倉基 佐藤三郎 横山仁一 川崎実 中野区 高橋一郎 市川信夫 後藤マン 橋本辰二郎
杉並区 机里美 藤原行正 藤原哲太郎 増田卓二 豊島区 長橋孝 竹下孝雄 花山寧 池田梅夫
鈴木啓一 佐々木利
北区 川上昭三 安孫子清水 渋谷一郎 飯田幸平 荒川区 町田健彦[辞職 3] 順井博[死去 3] 星野義雄 西川太一郎
富田直之
板橋区 足羽維清 田中熊吉 篠佐太郎 田中秀男 練馬区 奥山則男 菅原世光 小林豊機 高橋知一
菅原宗一
足立区 三宅政一 近藤信好 黒田清 細井宥司 葛飾区 西方国治 高木四郎 村田宇之吉[死去 4] 宮沢道夫
安形惣司
江戸川区 宇田川芳雄 鈴木善次郎 中川儀郎 片桐昭三 八王子市 滝沢勇 石渡照久
立川市 若松貞一 武蔵野市 実川博
三鷹市 三浦政勝 青梅市 水村一郎
府中市 大室政右 昭島市 田中晃
町田市 渋谷守生 河合秀二郎 北多摩1 小島一 萩谷勝彦
北多摩2 小沢潔[辞職 4] 田中安三 鈴木仁 北多摩3 新井一男 神林芳夫
北多摩4 小林莞爾 棚橋泰助 山口正憲 北多摩5 岡野誠一
南多摩 浜西節郎 西多摩 田村利一
島部 峯元清次

補欠当選

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月日 選挙区 当選者 当選政党 欠員 欠員政党 欠員事由
1979年 4月8日 大田区選挙区 大山均 自由民主党 大山正行 自由民主党 死去
9月9日 荒川区選挙区 藤澤志光 自由民主党 町田健彦 自由民主党 荒川区長選挙立候補準備のため辞職
菅谷安男 自由民主党 順井博 自由民主党 死去

脚注

[編集]

注釈

[編集]
議員辞職
  1. ^ 第12回参議院議員通常選挙立候補準備(全国区)のため、1980年5月21日付で辞職。
  2. ^ 第35回衆議院議員総選挙立候補準備(旧東京都第3区)のため、1979年9月16日付で辞職。
  3. ^ 荒川区長選挙立候補準備のため、1979年4月5日付で辞職。
  4. ^ 第35回衆議院議員総選挙立候補準備(旧東京都第7区)のため、1979年9月12日付で辞職。
議員死去
  1. ^ 1979年6月2日、死去。
  2. ^ 1978年6月14日、死去。
  3. ^ 1979年7月20日、死去。
  4. ^ 1979年3月27日、死去。
注釈

出典

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  1. ^ 告示直前における都議会の勢力分野は、公明党(26議席)、共産党(21議席)、社会党(20議席)の与党3党で計67議席を占め、野党である自民(49議席)、民社(2議席)、新自由クラブ(2議席)の合計議席をわずかに上回っていた。
  2. ^ 東京都選挙管理委員会 | 選挙結果&データ | 各種選挙における投票率 - ウェイバックマシン(2003年8月11日アーカイブ分)

参考文献

[編集]
  • 朝日新聞『縮刷版 1977年6月号』、『縮刷版 1977年7月号』